第10話 生贄の少女

「大丈夫、大丈夫だよ、フレタ。アランナ様が何とかしてくれる。イソトメ様を封印してくれるから」

 その夜、ジバの村の外れ、生贄の娘達が住む家の中で、ミレイはフレタに縋りつくようにして、彼女の手を握りしめていた。

 魔女アランナは、ミレイに約束した。イソトメを必ず封印する。ミレイとフレタが死ななくても良いようにすると。

「大丈夫。大丈夫だよ。約束するって、アランナ様が言ってたもの」

 まずはフレタを安心させておやりと諭されて、ミレイは一度ジバの村へと戻った。

 真昼の太陽の下で、目を血走らせたカンナギが、生贄の娘達を閉じ込めている家の前に立ちはだかっていた。

「この、この、恩知らずめがああああっ!!」

 カンナギの怒声はいつものことだったが、その時の声は獣の咆哮のようだった。

「お前、お前お前お前っ、どこ、ドコドコドコッ! 何しッ! 何したッ! この罰当たりめがァァオォアアッ!!」

 腕を捕まれ、家の中へ引きずり込まれる。小さな玄関に、短い廊下、その先に居間がある。

 素早く扉に鍵を掛けたカンナギは、血走った目を見開き、口の端から泡を吹きながら怒鳴っていた。家の中に入ってもミレイの腕から手を離さず、居間までミレイを引きずって行く。

 いつものことである。カンナギの体力が尽きるまで、ひたすら怒鳴らせておくしかない。

「もうッ! 二度と!! 勝手な真似をするんじゃないよ!」

 そう言い捨てて、カンナギはミレイを解放した。窓から、夕日が差し込んでいる。

(よくあんなに怒鳴り続けていられるよね)

 カンナギの年齢など、聞いたこともないし興味もないが、どう少なく見積もったところで七十は超えているだろう。そんな老婆が、何時間も若い娘を大声で罵倒し続ける。その体力は凄いとは思う。

 まだ険しい顔でこちらを睨みつけているカンナギに背を向けて、ミレイは居間の隣の部屋に向かった。

 そこで、フレタが待っている。

「ごめん、フレタ。遅くなっちゃった」

「ミレイ」

 フレタは部屋の隅で、膝を抱えて丸くなっていた。顔は上げたものの、それ以上動こうとはしない。

「行ってきたよ、魔女の本屋。おとぎ話じゃなかった。本当に魔女アランナ様が居た」

「……そう」

 十七歳の誕生日を迎えてから、少しずつ、フレタの目の光が消えていった。ミレイに向かって、「死んじゃおうよ」とまで言うようになってしまった。

「イソトメ様を封印する方法はわからなかったけど、アランナ様が約束してくれたの。イソトメ様を必ず封印する、私とフレタが、生贄にならないで済むようにしてくれるって」

「……そう」

 フレタの反応は薄かった。ミレイの言葉が、信じられないのかも知れない。

「だから、大丈夫だよ。フレタ」

 努めて軽い口調でそう言って、ミレイはフレタの隣に腰を下ろした。


 ―――異変が起きたのは、太陽が完全に沈んだ後のこと。

「ギギグァギョエゥグェエエエィッ!!」

 部屋の外で、獣じみた絶叫が響いた。

 カンナギの声だ。何事かと思って部屋から出ると、異様な光景が広がっていた。

「グァッ! グヘッ! ギッ! ガ、ゥルグァガガガ!」

 顔を真っ赤にしたカンナギが、両手で柱にしがみついている。

 玄関の扉が大きく開け放たれ、家の中へ風が吹き込んできていた。

 カンナギの両足は、家の外へ出ようと足踏みを繰り返していた。一歩前に踏み出すたびに、柱にしがみついている上半身がずり下がっていく。

(何これ、何が起きてるの)

 カンナギの意思に反して、下半身だけが勝手に外に出ようとしていた。カンナギは獣じみた絶叫を上げながら抵抗しているが、下半身は容赦なく前進を続けている。

「ウバッ! ウグゥワッ! ガアアアアアッ!」

 ついに、カンナギの両手が、柱から離れた。カンナギの上半身が、床に落ちる。下半身は容赦なく前進を続けていた。上半身を引きずりながら、家の外へと走り去る。

「ィィイギグガアアアアッ!」

 長い絶叫を残して、カンナギの姿は見えなくなった。

 一体何が起きているのか、外に出て確認しようとしたところで、ミレイはアランナの言葉を思い出した。

 ―――夜になったら、フレタちゃんと一緒に家の中でじっとしてるんだよ。何があっても、外に出たらいけない。

 魔女アランナはそう言っていた。

 ―――大丈夫。夜が明けたら全部片付いてるから。だからそれまで、大人しくお留守番だ。

 開け放たれた扉を飛びつくようにして閉めて、ミレイはフレタが待つ部屋へと駆け戻った。

「ミレイ? どうしたの」

「大丈夫」

 フレタの手を握りしめて、繰り返す。呪文のように。何度も何度も。

「大丈夫だよ、フレタ。アランナ様が何とかしてくれる。イソトメ様を封印してくれるから」

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