第9話 夜の嵐

 ジバの村の外れ、生贄の娘達を閉じ込めている小屋のすぐ近くに、イソトメが住まう大岩があった。

 高さはアランナの背より頭三つ分高く、幅はジバの村に建つ家と同じぐらい。その岩を縦に二つに割るように、太い縄が二本垂れている。

「ここに居るんだね」

 すでに太陽は沈み、月が空に昇っている。雲一つない、星が綺麗な夜だった。村人達の夕食が終わり、そろそろ寝具を整え始める時間である。

 魔女アランナの名に掛けて、必ずイソトメを封印する。ミレイにそう約束して、アランナはここへ来た。

「そんなに長くは掛からないよ。今日の夜には片付けるさ」

 そう言って、アランナはミレイをジバの村へ戻した。フレタにもこの話を伝えておやりと促すと、ミレイは幼い子供のように、こくりと小さく頷いた。

「さーて始めるかね」

 右肩をぐるぐると回してから、掌を大岩に押し付けた。まずば、ここからイソトメを引きずり出さねばならない。

《開け開けよ閉ざされた扉閉じた扉は開かれる扉の中のモノは出る》

 アランナの足元から、大岩と地面の間から、冷たい風が吹き出してきた。縄がバタバタと波を打つ。

《開け開けよ閉ざされた扉閉じた扉は開かれる扉の中のモノは出る扉の中から外に出る》

 ―――…………ッァ、ゥアア

 風の中に、低い呻き声が混ざった。風が吹き出す大岩と地面の間、そこに、細く白い女の腕が一本だけ伸びている。

《開け開けよ閉ざされた扉閉じた扉は開かれる扉の中のモノは出る扉の中から外に出る扉の外へモノは出る》

 ―――ゥウア、ウハァ、バァ

 一本だった腕が二本になり、両腕で地面を掻くうちに頭が出た。次は上半身を引きずり出し、そのまま這い続けて、ずるりと下半身が現れる。

 ゆらりと立ち上がったその女を見て、アランナは小さく微笑んだ。

「ようやくお目に掛かれたね、イソトメ―――いや、マガイモノ」

 腰までの長さの黒髪に、今は灰色に変色している死装束。生きている時はきっと美しかったのだろうが、今は見る影もない。

 頬の肉はごっそりとそげ落ち、瞳は黒い空洞に変わっている。枯れ枝のような手足のうち、左足の方が不自然に折れ曲がっていた。そして何より、顔の上下が逆――――首がありえない方向に折れ曲がり、口が上、目が下にある。

 若い娘の死体だった。それに、無惨な死を迎えたモノの魂が宿って、マガイモノとなっている。

「まったく、とんだ守り神様も居たもんだ。さっさと神聖教会に依頼して浄化してもらえば良かっただろうに、わざわざ定期的に新しい身体を与えるなんてさ。馬鹿しか居なかったのかね、この村には」

 ――――ゥアアゥ、アア、ア

 女はよろよろとジバの村へと歩いていく。その後を追って、アランナは次の呪文を唱え始めた。

「馬鹿な連中にどれだけ馬鹿な真似してたか思い知らせてやんなきゃね。派手にやるよ」

 イソトメはジバの村の守り神ではなく、死体に穢れた魂が宿った魔物マガイモノ。ジバの村人全員に、それを思い知らせてやらなければ。

《外に出ろ馬鹿者ども外へ行け愚か者ども中から出ろ考え無し》

 ジバの村の家の扉が、一斉に開いた。目を見開いた住人達が、裸足のまま外へ出る。

「う、うわあ、なんだこれ!」

「身体が勝手に!」

「たすけ、助けて、助けてぇぇ」

 許されたのは、悲鳴を上げることだけだった。目を恐怖で見開き、喚き声を上げながら、ジバの村の住人達はイソトメの元へと集まった。

 例外は、二人だけ。生贄のミレイとフレタだけは、この中に入っていない。

《照らせ炎よ炎よ照らせ全てを見通せその灯りで》

 イソトメの周りに、拳大の火炎球を三つ、村人達の周りを囲うように、七つの火炎球を宙に並べた。

 赤い炎に照らされて、イソトメの異形と、村人達の恐怖に引きつった顔が浮かび上がる。

「やあ皆さんこんばんは」

 アランナの声だけが軽やかだった。ゆらゆらと上半身を揺らすイソトメの後ろで、にこやかに笑っている。

「お、おおおお前ぇっ! な、ななな、何のッ!」

「勇ましいんだかビビってんだかわかんないよ、爺さん」

 白髪頭の男が、口から泡を飛ばしていた。ジバの村には高齢者が多い。こうして集められた村人の半分以上が、白髪頭に皺だらけの顔をしていた。

(こんな爺さん婆さんの道楽のために十八歳の女の子が殺され続けたのか。酷い話だ)

 ゆらりゆらりと上半身を揺らしていたイソトメの動きが、ぴたりと止まる。彼女の目は、口から泡を飛ばして喚く白髪の男に向けられていた。

 ―――ア、ア、ィィ、ィアアアアアアア!!

 イソトメが絶叫する。枯れ木のような手足を振り回して、彼女は身動きが取れない男に向かって飛び掛った。

「うわっ、うわわわ、ひいぃぃぃッ!」

「そんな悲鳴上げることないだろ、あんた達の大事な、大切な、ありがたーい守り神のイソトメ様だよ?」

 イソトメの手が男の首に掛かる直前に、彼女は見えない壁に衝突したかのように跳ね飛ばされた。元々折れていた左足が更に不自然な方へ曲がり、右腕の肘から下が千切れている。落ちた右手は、それだけで地面を虫のように這っていた。

「イソトメ様? これが……?」

「嘘だッ、そんな、こんな化け物が!」

「た、助けて、助けて助けて助けて」

 白髪頭の男は、目を大きく見開いて、口の端から泡をぶくぶくと吹いていた。村人達が小声で囁き合う。それを、アランナは両手を二回打ち合わせることで遮った。

「はいはい、おしゃべりはそこまでだ。誰がなんと言おうとこれがあんた達の守り神イソトメだよ。あんた達を守ってくれる神様なんて最初っから居なかったのさ。あんた達はただ、定期的にこのマガイモノに餌をくれてやって、まったく何の必要も無いのに十八歳の女の子を殺してきた、最低の馬鹿者集団さ」

 ――――ゥ、ウゥゥ

 イソトメが呻く。それは、かつて生贄として捧げられた、十八歳の少女の泣き声のようだった。

「私が、イソトメを封印する。もう二度と生贄を捧げる必要は無い」

 アランナは、右手を真っ直ぐにイソトメに向けた。

「もしまた生贄だなんて馬鹿な真似をしてごらん。この魔女アランナが、お前達全員を呪ってやる。魔女アランナの名前に掛けて、この村を滅ぼしてやる!」

 マガイモノの封印は、神聖魔法を使う必要がある。それは普通の人間の話だ。魔女には関係ない。

『正義の精神』や『正義の力』が無くとも、魔女はマガイモノを封印できる。

《灯れ灯せよ導きの炎赤い光は道標に迷子のための松明に》

 イソトメの周りをふよふよと漂っていた火炎球が、三つとも集まり、彼女の身体を包み込む。

《灯れ灯せよ導きの炎赤い光は道標に迷子のための松明に帰り道を示す目印に》

 ――――ゥァアアアアッ!

 炎に包まれたイソトメが叫ぶ。救いを求めるように両手を天に突き出し、指先から灰となって崩れて行った。

《灯れ灯せよ導きの炎赤き光は道標に迷子のための松明に帰り道を示す目印に身体を亡くした魂は赤子と同じ眠りの中へ》

 白い煙が立ち昇る。風の中に紛れて霧散することなく、煙は残らずアランナの右手に集まった。

 とぐろを巻いた煙が、魔女の手の中で白い石に変わっていた。

「マガイモノを封印する時は、こうやるんだよ」

 月の光を浴びて、白く輝く小さな石。マガイモノの穢れた魂が封じられているとは思えないほど、美しい石だった。

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