第4話 アルバの森

「本当にあった··········」

 樹齢数百年の大木。その根元で、ミレイは呆然と呟いた。

 アルバの森の何処かに、聖王アルベルトと共に魔王を封印した魔女が営む本屋がある。その本屋は、樹齢数百年の大木の中にあると言う。

 ジバの村で産まれた子供なら、一度は耳にするおとぎ話。今年で十八になるミレイも、その話は知っていた。

 物心がつくまえの幼い子供が、眠る前に聞かされる物語だ。魔女の本屋に行くための手段も語られるが、実際にそれを実行する者はほとんどいない。

 アルバの森に足を踏み入れ、「魔女様の御本を読みたいです」と三回唱える。三回目の半ばあたりで物語の通りに赤い花妖精が現れた。

 それまでは、ミレイとて半信半疑だったのだ。最早縋るものは魔女の本屋しかないと思い詰めていたというのに、半ば諦めてさえいた。ここまで努力したのだから充分だろうと、己に言い聞かせることになるだろうと思っていたのだ。

 鮮やかな赤い花妖精は、魔女の本屋が実在する何よりの証拠だった。

 フワフワと漂う花妖精を夢中で追いかける。東の空で太陽が顔を覗かせた頃、ミレイはぽっかりと開けた空間へ出た。

 すぐ目の前に、巨大なアルバの樹があった。黒々とした表皮はまるで竜の鱗のようで、ジバの村の大人が十人両手を広げて輪を作ってもまだ回りきれないほど幹は太く、日々の力仕事で鍛えた男の腕のように逞しい枝の先には、ミレイの顔よりも大きい葉が繁っている。

 これほど大きなアルバの樹を、ミレイは生まれて初めて見た。そしてその樹の中腹に、太い枝に抱かれるようにして、小さな家がある。

 赤茶色の屋根と、灰色の壁。ジバの村の中でも目にするような普通の家だ。

 屋根の上には、大きな看板が掲げられている――――『魔女の本屋』。

「こんにちは、可愛いお嬢さん」

 柔らかな女の声が、耳元でそう囁いた。

 ミレイの肩が小さく跳ねる。看板に釘付けになっていた視線を引き剥がし、おそるおそる声が聞こえた方へ目を向けると、いつの間にか、ミレイの隣に黒衣の女が立っていた。

「ま、まままま、まままままま」

「どうした、変な声を出して。私の本を見に来たんだろ?」

 月のない夜の色の貫頭衣、闇を写したような色の髪を赤い組紐で束ねていて、瞳は燃え盛る炎の色。見た目は若い女の姿だが、その身の内には絶大な魔力を宿している。

 かつて聖王アルベルトと共に世界を滅ぼす魔王を封印した魔女は、物語で語られていた通りの姿で現れた。

「ままままま、魔女様!? 魔女、アランナ様!?」

「はいはい、そうだよ。魔女様だよ。それで? 可愛いお嬢さん。君は何をしにここに来たんだい?」

「あ、はい、えっと、えっとえっとえっと…………」

「慌てなくて大丈夫だよ。ゆっくりで良い。喋ってごらん」

 アランナの声は優しかった。彼女の肩に、ここまで道案内をしてくれた花妖精が腰掛けている。小さな花妖精は、ミレイを鼓舞しようとしているのか、小さな拳を空に向かって突き上げていた。

(そうだよ。せっかくここまで来たんだから。頑張らなきゃ)

 大きく深呼吸をして、ミレイはアランナを正面から見つめた。両足を踏ん張り、声が震えないように喉の奥に力を入れて、言葉を絞り出す。

「あ、ありがとうございます。魔女様。わ、私はミレイ。すぐ近くのジバの村に住んでいます」

「ふうん。ミレイちゃんって言うんだ。可愛い名前だね」

「あ、ありがとうございます。えと、それで、私、ま、魔女様のお店なら、どんな本でも手に入るって聞いて、それでここまで来たんですけど」

「うん。そうだよ。何の本が欲しいの?」

「ふ、封印に関する本を」

「────うん? 封印?」

 スカートのポケットに手を入れて、ミレイは継ぎ接ぎだらけの布袋を取り出した。この中に入っている銅貨二十枚が、ミレイの全財産だ。

「物語でも、魔法書でも、何でも構いません。このお金で買えるだけ、封印について書かれている本を買いたいんです」

「────なるほどね」

 目の前に突き出された布袋と、ミレイの顔を交互に眺めて、魔女アランナは大きくひとつ頷いた。

「君は、封印について知りたいのか」

「…………はい」

「わかった。それじゃあ、いくつかお勧めの本があるから、それを持ってきてあげよう」

「あ、ありがとうございます」

「だけど封印、封印かー。たくさんあり過ぎてちょっと大変だなー。ねえ、ミレイちゃん。もし時間があるなら、ちょっとここで読んでいきなよ。これだっていう本が見つかったら、買ってくれれば良いからさ」

「え、ここで読んでも良いんですか」

「もちろんだよ」

 目を丸くしたミレイに、アランナはにっこりと微笑んだ。

「久々のお客様なんだ。魔女の本屋の店主として、できる限りのことはさせてもらうよ」

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