市民アリス その1




 自堕落に過ごした数日間を取り戻すかのように、今日のアリスと誠は積極的に活動した。


 撮影用に借りたガレージに無理やりアリスの私物を置いて、誠の住居の方には最低限の荷物を残すという、先送りじみた方法で片付けを済ませた。


 そして次の日、誠とアリスが取り組んだのは引っ越しのための手続きだ。


 あるいはこう言い換えても良い。


 異世界人が地球で合法的に暮らすための権利闘争である。


「誠さん。アリスさん。お会いできて光栄です。親睦を深めたいところではありますが早速仕事に取り掛かりましょう。大丈夫、我々にお任せください。津句波市の方には前もって相談しているので、住民票は問題なく取得できるでしょう。ただ他にも省庁や政府、役人の対応などもあって何かと大変ですが、頑張って乗り切りましょう」


 朝八時、レストラン『しろうさぎ』の前。

 一分の隙もないスーツを着た、真面目そうなオールバックの男が現れた。


「は、はあ。初めまして、アリスです。……ええと、あなた、というか、あなた方は……?」


 男の後ろには、さらに七人ほどの男女が佇んでいる。

 若い人間も混ざっているがほとんど中高年あるいは高齢者だ。

 そして年齢問わず、全員がしっかりとしたフォーマルな服装をしている。


 なんなのこの人たち……というアリスの心の声に答えるように、男が発言した。


「我々がアリス弁護団です」

「アリス弁護団???」

「リアルでは初めまして。スーパーアルバイターの名前でスパチャしてました。有田です。昔は弁護士をしていましたが最近は紛争地帯での保護活動や人道支援に従事しています。定職についているわけでもないので、苗字をもじってアルバイターと名乗ってました」

「うん……うん?」


 困惑しながらアリスは頷く。

 スーパーアルバイターの名前は、アリスも覚えがある。

 よく虹スパを投げてくれたからだ。

 だが目の前のひどく真面目そうな人物だったとは、まったく思ってもみなかった。


「他の面子も『聖女アリスの生配信』のファンです。国際政治学者の畑中さん。文化人類学者の須藤さん。元総務省で外郭団体天下りの沢田さん。哲学者の猪瀬さん。住職の星さん。神父のマリオさん。粒子物理学研究所の客員教授ピーター=アランフォードさん。Vtuberの中の人で、今回の記録係の中島さん。他にも弁護士有資格者や国家公務員、会計士などなど多数おります。他にもたくさんのスタッフがいるのですが、密を避けるために各分野の代表だけ参加して、あとはリモート参加になります」

「「「「「「「はじめまして」」」」」」」


 妙な圧の強さにアリスは少し後ずさった。


「……ええと、みなさんが、私を、助けてくれる?」

「はい。誠さんがアリスさんを日本でつつがなく暮らすためにはどうすればよいか相談し、弁護団の募集を呼びかけておりまして。それに応じたのが我々です」


 全員を代表して、スーパーアルバイターが答えた。


「各々それなりの立場や思惑がないとは言いませんが、全員、何らかの形で『聖女アリスの生配信』のメンバーシップに古くから加入して支援してきた人に厳選していますから、ファンでもないのに話に食い込もうとしてる……という人はいません。あ、私はスプリガンさんとの対決でファンになりました」

「お前古参アピールずるいぞ!」

「団長の職権濫用だ!」

「いいじゃないですかそれくらい!」


 和気藹々としてると思ったら、突然口論が始まった。

 大丈夫かなぁ、この人達……という生ぬるい目線でアリスは彼らを眺める。


「驚くだろうけど、彼らの力が必要なんだ。というか俺や翔子さんじゃ無理っぽかった」

「はぁ……」

「まず最初は市役所です。みなさんそろそろ移動しましょう。そろそろバスが来ますので」


 誠の言葉通り、間もなくマイクロバスがやってきた。

 ぷっぷーという少々間の抜けた音が響く。


「アリスちゃん! 誠から聞いたけど、無事来られたんだね!」

「翔子さん!」


 運転していたのは姫宮翔子だ。

 今日は普段着ではなく、弁護団と同じようにフォーマルな格好をしている。

 馴染みある顔にアリスは思わず抱きつく。

 ハイタッチはしても、翔子とこうして触れ合うのは初めてのことだった。


「元気そうでよかった……!」

「そりゃこっちのセリフだよまったく」


 やれやれといった態度を取りつつも、翔子は優しくアリスを抱き返す。


「けど、悪いけど旧交を温めるのはまだ先さ。今日は忙しくなるからね」


 こうして慌ただしい一日が始まろうとしていた。







 市役所の手続きはすぐに終わった。


 誠と弁護団が内々で話を進めていたようで、アリスが着た瞬間に別室に通され、流れ作業のごとくアリス=セルティの住民票の登録作業が進められた。ついでに国民健康保険と国民年金にも加入した。


「法務局とも相談済みですのでここは問題ありませんね。ありがとうございました」

「よしオッケイ! 次行きましょう!」

「おー!」


 市役所の滞在時間は10分にも満たない。アリスは落ち着く暇もないまま再びバスに載せられて、茨城県庁に向かい、警察に向かい、ついでに病院で健康診断を受け、そしてあれよあれよと言う間に様々な手続きを進めた。


「なんかものすごい数の書類にサインしてるんですけど」

「すみません、日本で住むとなると色々と面倒くさいんです。ただ手続き上のことはクリアしているのでご安心ください。住民票も取れますし、社会保険関係もクリアできそうです。戸籍はまだ時間かかるでしょうけど、ひとまずアリスさんが日本で生活を営むことの不自由はないでしょう」


 弁護団のスーパーアルバイターが申し訳無さそうに謝る。


「……けど一番の問題は色々と未解決だよね」


 翔子がマイクロバスを転がしながら、心配そうに告げた。


「問題?」

「いや、そのへんは俺と翔子姉さんがやらかした面もあるからなぁ……すまない」

「意味深で怖いんですけど」

「いや、話が難しくて、なんていうか……」


 アリスのじっとりとした視線に、誠は顎に手を当てて難しい表情を浮かべた。


「なんていうか、なんです?」

「そもそも異世界と地球の交流を始めちゃって良かったのか悪かったのか。こっちの物品をあっちに持ち込んだり、あっちの物品をこっちに持ち込んだりしてよかったのか……って話を、日本とか地球のおえらいさんに納得させなきゃいけないってこと」

「……あー」


 アリスは思い返すと、確かに色々とやらかしているなと気付いた。


 幽神霊廟での食事はすべて誠が用意してくれたものであった。武器防具は翔子が用意してくれたものだ。剣はもちろんのこと、盾や鎧もだ。バイク用のプロテクターやミリタリーグッズをアリスのために改造してもらっていた。


 だがそれら以上に問題をはらんでいる事例がある。


「……金の延べ棒とかレアメタルとか、セリーヌのあれやそれやが混乱をもたらしてるのでは?」

「「「「「「「そう、それです」」」」」」」」

「いきなりハモらないでください」

「「「「「「「すみません」」」」」」」


 アリスに叱られ、スーパーアルバイターが代表して話を切り出した。


「正直言えば、本命の問題はアリスさんが地球で無事に暮らせるかどうかではありません。色々と難しい面がないわけではないのですが、アリスさんほどの知名度があり、異世界から来たという証拠もある以上、戸籍などの問題も解決できる見通しです」

「あ、そうなんですね」

「セリーヌさんの能力による物質や異世界の魔法の品々の輸入を認めるかどうか……。もっと根本的に言えば、地球と異世界の交流を公式に始めるかどうか。その結果次第で、誠さんが犯罪者として刑務所に送られるか、罰金と書類送検くらいで済むか、無罪放免となるかの分かれ道となります」


 ごくり、とアリスがつばを飲み込み、誠を見た。


「あの、誠さん……」

「ってわけなんだよ」


 アリスの真剣な表情に反して、誠は至って普通だ。

 あっけらかんとしている。


「ってわけなんだよ、じゃないです! しかも今、記録係いますよね? もしかして誠さんの人生の岐路を、動画コンテンツにするおつもりですか!?」


 実は、アリス弁護団の中にずっとカメラを回してる人がいる。アリスはカメラ慣れしすぎており違和感を感じていなかったが、よくよく考えたらおかしいと今更ながらに気付いた。


「いやー、撮れ高ありそうだし……」

「そりゃありますけどぉ!」

「地球と異世界を結んだ、人類史初めての地球人ですからね。この映像を残しておけば百年後の『映像の二十一世紀』とかに使われますよ」

「偉人ですね」

「あたしも名前が乗るってことかい、あっはっは!」


 その言葉に、誠と弁護団と翔子がげらげらと笑う。


「人の人生をコンテンツにする人たちはこれだからまったく……」


 アリスが自分を棚に上げて、はぁとため息をつく。


「まあ大丈夫だって。本当に、そこまで深刻ではないから。少なくとも俺たちにとっては」

「いや、あの、マジで監獄送りとかにされませんよね?」

「日本の刑務所が自由とは言わないけど、多分エヴァーン王国の監獄よりは100倍マシだよ」

「地獄の底とそうでない場所は比較になりません」

「あっ、はい」

「まあ別にいいんですけどぉ。獄中結婚とかでも。確かに正直動画としては面白いですしぃ?」


 つんとした顔のアリスが憎まれ口を叩く。

 皆、アリスの考え方が完璧に配信者だなぁと思ったが、怒られそうなので黙っていた。

 そうこうするうちに、マイクロバスは目的についた。


「ここは砦……じゃないですよね。警察より物々しい雰囲気ですけど……なんですか?」


 巨大な建物を前にして、アリスは警戒心を抱く。


「津句波大学。『鏡』を寄贈したところだね」

「あっ、ここなんですか」

「向こうのみんなも『鏡』の前にいるみたいだ。まあ手続きのついでみたいな形ではあるけど」


 誠の言葉にアリスは表情をほころばせた。

 たった数日会っていないだけとはいえ、懐かしさがこみ上げてきた。



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