◆地の聖女セリーヌとケンカした




 アリスに提案を断られたセリーヌはひどく動揺していた。


 そして長い話が始まった。セリーヌの「そもそも動画配信ってなんですか」という問いから始まり、アリスは今に至る経緯を事細かに説明することとなった。


 話が終わり、セリーヌは大体の経緯を理解し、誠から出された茶を飲み、一息ついて、そしてようやく盛大にツッコミを入れた。


「芸人ではありませぬか!?」

「芸人とはなんですか、芸人とは! あ、いや確かに芸人ですけど! 一座の長や事務所に所属してないことの方が多いですし!」

「もっと不安定ではありませぬか!」


 アリスが即座に反論した。

 そこから口論に発展した。


「それが気高き聖女の仕事ですか!」

「配信で稼ぐことに恥も曇りもありません! だいたい聖女など気高くないでしょーが! あの陰険で高慢ちきのディオーネだって聖女なんですよ!」

「あんなのを見て判断するんじゃありません!」

「ではセリーヌこそどうなのですか! なんでもかんでもお金や物資で解決しようとするあなたの性格、ちっとも聖女らしくありません! マコトがドン引きしてたのに気付かなかったんですか、この成金!」

「あなただって怒るととんでもない悪口が出るでしょう! それで見る人が喜ぶとお思いですか!」

「残念でしたー! 私が悪態をつくとなぜかフォロワーが増えるんですー!」

「意味がわかりません!」

「わたしだってわかりませんよ!」


 売り言葉に買い言葉といった様子で怒号が飛び交っている。


 それを見て誠は、内心安堵した。


 以前にアリスが酔っ払いながら話してくれた内容を思い出す限り、アリスはずっと、セリーヌが死んでいるものと思っていたはずだ。セリーヌが生きていることを知ってどういう感情を抱くか想像がつかなかった。本音を言い合い、気兼ねなく罵声を言い合えるのであれば、それはそれで悪くないこととも思った。


 だが、それは楽観すぎたとすぐに気付かされた。


 怒号が飛び交う内に、少しずつ声はひそやかで静かなものになっていく。

 そして、アリスの声に嗚咽が混ざり始めた。


「セリーヌ、どうして、あなたを信じた者が死ぬ前に、動いてくださらなかったのですか。どうして、私が新たな生きる目標を見つけるまでに、私を助けてくれなかったのですか。どうして、セリーヌ、間に合わなかったのですか」

「アリス……」


 セリーヌが、わなわなと震えるアリスの手を取ろうとして、しかし諦めた。

 ぐっと拳を握り、ぽつりぽつりと罪の告白を始めた。


「間に合いませんでした……。いえ、ごまかしはやめましょう……あなたを後回しにしました。誰を救えば勝算が生まれるか。誰であれば助けずとも生き延びることができるか。助けることがどれだけ困難で、こちらの被害がどれだけ出してしまうのか。どうすれば勝利し、どうすれば多くの味方が生き残れるか……。そんな、命の勘定をしました」

「私は、助けるまでもないと」

「ダモス王は恐らく、あなたを死刑にはできなかった。あなたを殺してしまえば、それこそ復讐や反抗の旗頭となり国中が荒れるのを見越していたはずです」

「ではなぜ、あなたは今更来たのですか」

「どうしても今の戦力では、天の聖女に勝てるという確信を得られませんでした。あなたに生きていて欲しかったという気持ちは決して嘘ではありません。ですが……あなたを見捨てながら、あなたに頼ろうとしました」


 そのセリーヌの言葉に、アリスは答えなかった。

 重苦しい沈黙の後に、アリスがぽつりと口を開く。


「もうすぐ夜が来ます。恐ろしい寒さになるでしょうから、一日ここに泊まることは許します。……夜が明けたら、そのときが今生の別れです」







「友達に酷いことを言いました」

「そうかな」

「マコト。私を軽蔑しますか」

「まさか」


 アリスはセリーヌに毛布や食料を譲り、霊廟一階の中央の方へ移動してもらった。

 ガーゴイルとスプリガンにセリーヌの面倒を見てもらっている。


 アリスの部屋にいるのはアリスと、鏡越しにいる誠だけだ。


 そのアリスは、ひどく気落ちしていた。

 鏡の前で体育座りして、顔も上げずに陰々鬱々としていた。


「仲、よかったんだな」

「いいえ、あんな風に喧嘩するのはしょっちゅうでした」

「そういう風に喧嘩できる相手ってのはなかなかいないさ」

「……そうかもしれません」


 アリスが、ふふっと笑った。


「セリーヌは、もっとも慈愛に溢れた聖女ということで、民衆から尊敬されていました……まあ、少々悪癖がありますが」

「悪癖?」

「はい。金銭感覚が少しおかしいんです」

「なるほど」


 誠が、それは確かにと頷く。


「血筋は確かで、年若くして天文学や暦学、史学、数学、詩歌や古典など、あらゆる学問を修めています。聖女としての権能以外の魔法も達者で並ぶ者がおりません。まさに天才です。でもその分、浮世離れしてて……たとえば旅の途中、馬車が壊れて進めなくなったときにたまたま村人が助けてくれたことがありました」

「……金塊を渡したとか?」

「いえ、あれよりは遥かに小さな金貨です。しかしそれがきっかけで村人同士が金貨の権利を巡って争いに発展しそうになったこともありました。庶民の金銭感覚をわかってなくて、必死にセリーヌを諌めたものです」

「なんか聞いてたイメージと違うな……もっとちゃんとした人かと」


 その誠の言葉に、アリスが苦笑を浮かべた。


「もっともセリーヌがまだ12歳か13歳くらいの話です。今では金銭感覚も身に付けて金満主義も表に出さないようになって、成長して……ずいぶん立派になりました。みんなに信頼されるようになりました」

「こんなのでてきたけどな」


 誠が金の延べ棒を持ち上げた。


「こうして金塊を大盤振る舞いするのは本当に久しぶりなんですよ。あれを見たのは何年ぶりのことでしょうか」

「それくらい嬉しかったんだろうな」

「ええ。まったくもう」


 アリスの呟きは困ったようでもあり、嬉しいようでもあった。


「本当は、セリーヌは別に悪くないなどわかっているのです。私も、立場が逆であればセリーヌを見捨てました。幽神大砂界までの護送はセリーヌをおびき出して殺すための罠でしたから。でも、今こうして生きているのは、他の誰でもないあなたのおかげです」

「……アリスはどうしたい?」

「え……」

「……って聞く前に、一つ言っておく。俺は、アリスと一緒に動画作り続けたいよ。可能だったらこっちの世界に引っ張り込んで、レストラン営業中はウェイトレスもやってほしい。時給いくらにする?」

「そこは、君の自由にしていいよとか言うところじゃないんですか?」


 アリスがくすっと笑った。


「ただ……別に休みなくここにいて、永遠に動画を撮り続けろとは言わない。どこか外出するにしても、ここに戻ってきてくれるなら構わない」

「でもそれは怖いです」

「怖い?」

「私とあなたは、この鏡を隔てています。鏡から離れることを受け入れてしまうと、そのまま離ればなれになりそうで……怖いんです」

「アリス……」

「そもそも、私が加勢したところで、勝てる見込みがあるかはわかりません。天の聖女の力は底知れないものがあります」

「今のアリスでも?」


 現状、アリスのフォロワーは15万に近付きつつある。

 動画配信者として最高峰にはまだまだ遠いが、十分に成功してるとも言えた。


「セリーヌと力を合わせればなんとかなるかもしれません。しかし……勝つにしろ負けるにしろ、力を使い果たしてしまいます。再び力を取り戻して霊廟の最下層まで攻略する力を得るには、長い時間が掛かるでしょう。ここから更にバズってフォロワーが増えゆく好循環が生まれなければ、一生無理かも知れません」


 長期的な休みを経てから復活しても、継続的にフォロワーを増やせるかは誰にもわからない。このまま飽きられてフォローを外す人が続出したり、あるいは「フォローしてるだけで動画を見ないフォロワー」が続出する可能性もある。


「霊廟を攻略? もういいんじゃないのか?」

「え? あ……そっか、まだ話してませんでしたね。幽神様にお目通りができたら一つお願いをするつもりです」


 アリスが、誠の方を振り向いて『鏡』を撫でた。


 この『鏡』は物品、情報、様々な物を通すことができるが、ただ生きているものだけは通ることができない。


「そちらの世界に行くことです」

「あ……そうか、幽神が願いを叶えてくれるのか!」

「この『鏡』を突破する方法を考え続けていました。自分に石化する魔法を使って、スプリガンに鏡の向こうへ押し出してくれないか、とか。仮死状態になって体をそちらの世界に運び、向こうの世界で復活すればよいのではないか、とか。でもガーゴイルから『復活できない可能性が高いからやめておけ』と言われて断念しました。二人共、幽神様に願うのが一番確実だと太鼓判を押しました」


 アリスは、自嘲の笑みを浮かべる。


「……すでにそっちの世界に行けていたなら、心を動かされる必要もなかったんですけどね。セリーヌのことなど、私の心の中でちっぽけなものになっていたでしょう」

「アリス。セリーヌのところに行きたいんだな?」

「行きたくなどありません。見捨てたい。セリーヌのことも、仲間のことも、全部忘れたい。でもそれがつらいんです」


 アリスは、気付けば鏡にもたれかかって涙を流していた。

 誠は、鏡に触れるアリスの指に、自分の指を重ねた。


「え?」


 そのとき、誠の指先に不思議な感触が伝わった。

 金属の冷ややかさも硬さもなく、温かく柔らかいなにかがそこにある。

 アリスも誠と同様、驚愕の表情を浮かべている。


「マコト、これは……?」

「つまり……鏡を通り抜けることはできない。けど、触れることはできる……ってことか」


 アリスは、指のみならず、てのひら全体を鏡に押し付けた。

 誠も、そこに手を重ねる。

 温かい。

 鏡に隔てられていて、触れることはできないと二人とも思い込んでいた。

 しかし今、誠とアリスは、お互いの体温を確かめ合っていた。


「ん……」


 気付けば、自然と唇と唇が重なり合っていた。


「マコト」


 アリスは、ますます涙を流して嗚咽した。


 このままセリーヌを見捨ててしまえば、アリスは一生、罪の意識に苛まれるだろうと誠は思った。危ないところに行ってほしくないのは誠の本心だ。だがこのまま捨て置いてよいのかとも、誠は自問自答する。


「俺が頼んだからアリスはここにいてもらう。俺のせいにしていい」

「……優しいですね、誠は」

「意地悪なつもりではあるけど」

「私にもう少し力があればよかったのにと思います。セリーヌを助けて、霊廟なんて一瞬で攻略して、誠の世界へ旅立って……なんでもできるほどに強ければと」

「……………………あれ?」


 誠が、そこでふと気付いた。

 もしかしてそれでいいんじゃないか、と。


「どうしました、マコト?」

「今、なんでもできるって言ったよね?」

「え、いや、『強ければ』の話ですよ?」

「じゃあ強くなって、サクっと霊廟を攻略して、サクッと敵に勝ってくればいいんじゃないか?」


 誠のあまりにもあんまりな言葉に、アリスは自分の涙も忘れてあっけにとられていた。


「ですからそれは無茶……」

「無茶じゃなければいいんだろう? 霊廟の最下層の攻略も、天の聖女とかいうのも、余裕綽々で、それこそ指先一つでなんとかなっちゃうくらいに」


 そのあたりで、アリスは気付いた。

 誠は今まで、鏡を隔てた向こう側にいながらも、常に助言をしてくれていた。

 素っ頓狂なことはたくさんあった。

 だがどれもこれも、アリスのためを思ってのことであった。


「マコト。なにか、考えがあるんですね?」

「ああ。ちょっとセリーヌさんを呼んでほしい」




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