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次の日の朝。
とてもすっきりとした顔のアリスが鏡の前にあった。
それだけではない。
今まで与えた服や毛布が折りたたまれて並んでいる。
初めて誠と出会ったときの外套をまとい、神妙な顔で座っていた。
誠は、言いようのない危機感を覚えた。
誠がどう声を掛けるか迷ってるうちに、アリスの方が話を切り出した。
「マコト。少々お願いがあります」
「なんだ?」
「以前頂いた食パンと、ジャムの入った瓶をまた頂きたいんです。できれば十袋ほど」
「用意するのは別に問題ないけど……」
「すみません、何から何まで」
「……理由を聞いてもいいか?」
「そろそろ、お暇しようと思います」
「おいとまって……どこに?」
「国へ帰ります」
アリスは、淡々と告げた。
「……帰れるのか?」
「帰ってはいけません。捕まったら今度こそ斬首になります」
「じゃあ」
「なので、捕らえようとするものは返り討ちにしようと思います」
「ええと……」
「安心してください、こう見えても強いんです」
と言って、アリスは力こぶを見せようとする。
男の豪腕ではない。
むしろ、細い。
よく見れば鍛えられているのはわかるが「陸上部かな?」と思う程度だ。
「……昨晩は、色々とお恥ずかしいところを見せました。本当に申し訳ありません」
「いやいや」
「私は、罪人です。このような怪しげな場所にいるのは、追放刑を受けたためです」
アリスが淡々と、自分の境遇を話す。
昨日、誠に暴露した内容とまったく同じであった。
「けど、冤罪なんだろう?」
「はい。だから私が私として生きるためには、国に反抗せねばなりません」
「そ、そうかもしれないけど……勝てるのか? いや勝ち負け以前に、生き残れるのか?」
「腕に覚えがあると言ったでしょう? それに味方もきっといるはずです」
「……相手も強いんだろ?」
誠の問いにアリスは何も答えず、ただ微笑んだ。
「マコト、あなたには感謝してもしきれません。子供の頃の夢が叶いました」
「夢?」
「俗っぽいことですけど……。ひとつは、甘い物をお腹いっぱい食べることです」
「ああ、チョコの袋一晩で食べたよな」
「気づいたら空っぽになってて焦りました。つまみ食いして死んだ母に怒られたことを思い出しました」
アリスは、恥ずかしそうにはにかんだ。
「それくらい……」
大したことじゃない、と言おうとした誠に、アリスは首を横に振る。
「兵舎は本当にまずい飯ばかりでした。牢獄では……説明する必要もないでしょう。兵舎にチョコの袋やジャムの瓶を放り込めば取り合いの殴り合いになると思います。もちろん私も率先して殴りにいきます」
アリスは気楽に話すが、同時に嘘偽りのない淡々とした口調だった。
誠は、それを聞いて頷くことしかできなかった。
「それともうひとつ……結婚することです」
「……そっか」
「もちろん、冗談や方便であることはわかっています。それでも、嬉しかったんです」
誠は、冗談を言ったつもりはなかった。
だが方便ではあった。
今にも死にそうな人間を止めるための、口からでまかせのプロポーズじゃないか?
そう言われたとしたら、誠は否定はできない。
酔った勢いで綺麗な女を口説きたかっただけじゃないか?
そう言われたとしても、誠は否定はできない。
実際、誠はアリスに見とれていた。
だがそれを抜きにしても目の前の人間が希望を捨てて死んでいくのは嫌だった。一ヶ月にも満たない関係ではあっても、見捨てるのを辛いと思う程度には誠は普通の人間だった。
「……嬉しかったなら別にいいだろ。わざわざ死にに行くような真似をするこたぁない。夢が叶ったなら叶ったままで、何の問題もないじゃないか」
「あります。私はあなたと出会ってからずっと、働きもせず家事もせずに、与えられたものを好きなだけ食べて、寝たいだけ寝て、あまつさえ王侯貴族さえも楽しめないような娯楽にふけっていました」
「真顔でそんなこと言うとまるで悪いことしてるみたいだろ。悪いことじゃない。少なくともアリスは、そういう生活をしても良いくらい苦労してるじゃないか」
「だとしても褒められたことではありません。ずっと続いて良いものでもありません」
「いやいいよ。ずっと続ければいいじゃないか」
誠の焦りが滲んだ言葉に、アリスは微笑みつつも首を横に振った。
「それはできません。マコト、あなたにも親はいるでしょう。こんな鏡の外の女の世話ばかりしていれば引き離そうとするでしょう」
「いやそれが事故で両親とも死んじゃってな。一軒家で一人暮らしなんだ」
「あう」
予想外の答えだったのか、アリスの口から変な声が出た。
「え、ええと、他のご家族は?」
「叔母さん夫婦と、その娘さん……従姉の翔子姉さんって親戚がいるくらいかな。あ、心配しないでくれ。俺の結婚相手が女だろうが男だろうが、画面の中にしかいない架空の存在だろうが何でもいいって感じの人たちだから」
「ご親戚殿は少々冗談が過ぎると思います」
「まあともかく、親族トラブルの心配はしなくていい。だからここにいてくれよ」
「それなら、普通に結婚相手を探せば良いでしょう!」
「俺はアリス以外にプロポーズするつもりはない。指輪だって買う。市役所に婚姻届を出すし、戸籍や国籍の問題で申請が蹴られたら家庭裁判所に訴え出る。こっちは本気だ」
「そ、そういうのは反則です! 大体、出会って一ヶ月も経っていないのに結婚だなんて、話が早すぎます!」
アリスが顔を真っ赤にしながら怒る。
誠は、かわいいなこの人、と思いつつも話を続けた。
「……実際に手も触れられない相手など、結婚相手にならないでしょう。触れあえる人の方が絶対にいいはずです」
「それが最近はコロナ……まあ、疫病が流行ってるから遠出できないんだよ。インターネットお見合いとかオンライン婚活とか、直接対面せずに結婚考えてる人も今どきは増えてきてるんだ」
「はわわわわわ」
バグった反応をするアリスに誠は思わず失笑する。
アリスはきっと誠を睨みつつ、こそこそとタブレットを操作した。
「え、疫病って本当でしょうね? 嘘ならすぐバレますよ。私、ちょっとくらいタブレットの操作は覚えたんですから。確か、ニュースのウェブサイトがあったはず……前に見たときは難しくてわかりませんでしたけど……」
「コロナで検索すると出てくるぞ」
「えーと……アルファベットはよくわからなくて」
「あ、キーボード型の入力になっててちょっと面倒か。フリック入力に切り替えるから貸して」
アリスは誠から操作を教わりながら、ブラウザの検索画面に文字を入力した。すぐに様々な検索結果が出てきた。トップに来たのは新聞社のウェブサイトだ。そこには新型コロナウイルスCOVID-19による感染状況や、罹ったときの症状などが事細かに書かれていた。
他にもセンセーショナルな見出しで恐怖を煽るものもあれば、強い口調で楽観論を訴えているもの、陰謀論を唱えるものなど、様々なニュースがある。ともかく、世界的なレベルの大問題であることがアリスにはすぐ理解できたようだった。
「洒落にならないレベルの疫病じゃないですか! あなた、こんな状況で赤の他人を助けたり何をやってるんですか!?」
「いや、つい」
アリスが血相を変えて怒った。
言われてみれば確かにと、誠もちょっと思った。
「ついではなく! マコト自身は大丈夫なんですか!?」
「ウチの県だと多い日でも感染者二桁だしそこまで深刻じゃないよ。まあ自粛ムードは強いし、夜の営業できないし店の売上はヤバいけどさ」
「だったら尚更自分のことを……」
アリスの切々とした訴えに対し、誠は寂しげな微笑みを返した。
「まあ結婚って判断は確かに早いかもしれないけど、同居人みたいな人がいて、嬉しかったんだよ」
「あ……」
「親父もおふくろも死んだ実家で一人暮らしってのもやっぱり寂しいもんでさ。普段ならそれでもなんとかやってこれたけど、今はコロナがあるから迂闊に友達と遊ぶってのもできないし、なによりお客さんの顔が見えない。たまに顔を見せてくれる従姉にはいつも心配ないって言ってるけど……やっぱりしんどかった」
誠は、子供の頃はよくレストランを手伝っていた。中学校や高校の授業が終わって家に帰ったあたりからがレストランの書き入れ時で、腹を空かせた勤め人や、子供の誕生日を祝う家族、コーヒー1杯で粘るご近所さんなどがレストランでくつろいでいるのが、誠の思う『実家』であった。
今の誠の目には、その風景が映ることはない。当たり前に客と会話し、当たり前に食事を提供することをずっと続けてきた誠は、知らず知らずの内に心が追い詰められていた。
「自粛生活が気楽って人も今どきは多いんだろうけど、俺はちょっと苦手な方なんだ。アリスが来て美味しそうにごはん食べてくれて……俺は救われたんだよ。夕方、晩ごはんを作るのが楽しくて、もうちょっと頑張ろうって気持ちになった」
「……マコトは意地悪なことを言います」
アリスは口をわなわなさせて、そして恥ずかしそうにぽつりと呟いた。
「意外と意地悪なんだよ。俺を助けると思って、ここに居てくれないか?」
「……ですが、たとえばマコトが職を失って貧しくなったとき、それでも私に援助できると言えますか? 私からはなにもできないのに」
「できる範囲のことはやる……ていうか、そうならないように頑張るしかないさ。もしもを考えてたらきりがないし、夫婦ってそういうものじゃないか?」
「だとしても、私がここにいるのは一ヶ月や二ヶ月ではありません。私がここに居続けても、霊廟を攻略するのは年単位でかかります。あるいは一生かかっても無理かもしれません」
「うん」
「私への援助を続けても、続けなくても、きっとしこりが残ります。援助を止めたマコトはきっと『自分が見捨てた』と思うでしょう。私が苦しいのは私のせいであっても、きっとあなたは後悔します。だからこれ以上巻き込みたくはないんです」
「つらいし悲しいとは思う。それが後悔かはともかく」
「逆に、私があなたを逆恨みしないとも限りません……いえ、きっと、恨みます。自分を棚に上げて。この生活が長続きしてしまったら、きっと私はこの状況を……あなたの世話になることを、当たり前の権利だと受け入れてしまうでしょうから」
アリスは、そこで微笑んだ。
誰にだってわかるような、わざとらしい顔だった。
「だからここでお別れにしましょう。私はマコトを逆恨みなどしたくありません」
「だからヤダっつってんじゃん」
「子供みたいなこと言わないでください!」
「……というか結局、しこりは残るよ? ここまで言わせて『そうですね、バイバイ』とは言いたくないよ。今の時点ですごく気を遣われてるわけでさ」
「それはそうですけど……」
アリスは溜め息をついた。
当然、アリスにとって嬉しい言葉だった。
だがアリスの方も勇気を持って別れを決断したつもりで、今更引き下がることはできない。
どうやって誠を説得しようか……とアリスが悩んでいたあたりで、誠の口から思わぬ言葉が出てきた。
「だから、俺から提案がある」
「提案?」
「俺がアリスを助けているだけの一方的な関係。確かにそれは健全じゃないし、健全じゃない関係は長続きしない。いつの日か破綻してお互いが傷付く。だから傷が浅いうちにやめようって話なんだろ」
「ま、まあ、そういうことですけど……」
「じゃあアリスが、俺に返せる何かがあればいいわけだ」
「その『何か』などないから困ってるのです!」
「ある。アリス。俺はあなたに頼みたい仕事がある」
「え? 仕事?」
アリスは思わず、きょとんとした顔で聞き返した。
「ああ。ちゃんと報酬が発生する仕事だ。アリスが稼いだら、その金を使ってアリスの食料や生活用品を俺が代行して買ってくる。俺が一方的に与える生活から、お互いに支え合う生活に変えていこう」
「……と言っても、私はそちらの世界には行けませんし……。声や姿を見せることしかできないのに、仕事らしい仕事なんて」
「あるよ。声と姿だけでできる仕事なんていくらでも」
「……え?」
「動画配信者だ」
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