第7話 契約解除をせまろう!
ビストロヘブンの表の入口は閉まっていた。
鍵がかけられている。
当たり前だった。
もう閉店時間は過ぎてしまっているのだから。
僕は裏口に回った。
まだクレメンタインや、他の誰かが店内にいるのなら、調理場から入る事ができると思った。
実際その通りだった。
従業員入り口になっている裏口。そこはまだ閉まっていなかった。
ここが閉まっていないという事は、つまりまだ誰かが中にいるという事だ。
それが店主であるクレメンタインの可能性は高かった。
僕は裏口を開けて、ビストロヘブンに入った。
すぐに調理場を抜けていく。
ビストロヘブンのカウンターにさしかかる。
そこは調理場とラウンジを繋ぐところだった。
カウンターに着いた瞬間、人間の話し声が聞こえた。どうやら1人ではないらしいという事が分かった。何となくだが、おそらく3人くらいはいると思えた。
もちろん正確な数は分からない。
調理場とラウンジを繋ぐカウンターには窓があるのだが、そこにはカーテンがかかっており、声はくもって聞こえていたからだ。
普段から黒の小さいカーテンがかかっており、食事ができ次第、そのカーテンを開けて食事を提供する。
そんな窓だ。
僕はその窓のカーテンを少し開けてみた。
僅かな隙間から、誰がいるのかを確認した。
頭が真っ白になった。
一拍遅れて、ようやく思考が戻ってくる。
……何故ここにいる……?
……だって、あの男は……。
頭からそんな疑問が沸き続けた。
僕はその光景を目に焼き付けずにはいられなかった。
声が聞こえてくる。
1人の男が言った。
「クレメンタインの姉御ぉ。俺たちにも、もうちょい分前くれよ。俺たちも頑張ってるだろう?」
そして、もう一人の男が続けた。
「お前にやる金はそんなものだろうさ。馬鹿なんだから。だからクレメンタインの姉さん、まずは俺の給料を増やしてくれ」
「兄ぃは黙っていてくれ! 俺たちはよ、ずっと頑張って人間連れてきてるだろう。いっぱい、いっぱいさ。だからよ、そろそろ昇給があってもいいじゃねぇかと思うんだ。どうすか?」
二人の声の主は、斡旋所が多くあった
その時は家賃を払えとか、何とか言っていた。
あの二人は取り立ての人間ではなかったのか……?
二人は今日も黒服だった。
ラウンジの席に座っている。
もちろん同じ席にはクレメンタインが座っていた。
黒髪片手で、クルクルいじっていた。
彼女が返答する。
「まだまだよ。今日もまた、あのシースルーの行列を見たわ。おそらく
そう言ったクレメンタインに対して、黒服の男達2人は否定するように弁解した。
「けどクレメンタインの姉さん、倍ってのは無理があるぜ。新しい犯罪者がこの街に入ってくれば、まだ可能性があるが、今のままじゃ無理だ。どこだって人手不足なんだぜ」
「兄ぃの言う通り、俺たちはよくやってるんだぜ、姉御ぉ」
「よくやってる? ふざけないで! その新しく来た犯罪者だって、私の案があって、協力があって、ようやく1人捕まえられただだけじゃない!? あなた達のどこがよくやっているの! 何の為に雇ったと思っているのよ!」
クレメンタインは声を荒げて、机をたたいていた。
僕はその言葉を聞いてようやく事の真相が理解できた。
つまりクレメンタインと彼らは裏で繋がっていたという事だ。
その事実がハッキリして、僕はあの時の違和感が理解できた。
あの、クレメンタインに仕事を紹介してもらった時だ。
あの時、都合が良すぎたのだ。
女性を助けて、その女性が店主で、そのまま仕事を斡旋してもらえる。
そんなのはどう考えたって筋書きが出来過ぎている。
つまり完全に罠にはめられたのだ。
僕らをターゲットにした理由も簡単だった。囚人服というこの街に来たばかりの印を持ち、斡旋所の近くをうろついていた。
それはいいカモだったろう。
信じたくなかった。
けれど、給料の支払いのことといい、この会話といい、その手段の
もうどうなってもよかった。
さっさと契約を解除してやる。
窓を離れる。
僕はラウンジに繋がる扉を開いた。
ぎぃ、と木材が軋む音がハッキリとした。
僕はラウンジに入る。
木材の音の時点で、ラウンジにいる3人はこちらに振り向いていた。
「あら、何か用事でも?」
クレメンタインが座りながら問う。
僕の存在など、心底どうでも良いのだろう。僕を
「……契約を解除してもらいに来ました」
「何の契約よ」
「労働の契約です。解除して下さい」
プッと、吹き出した声が聞こえた。
クレメンタインだ。
クレメンタインは笑いを堪えている。
けれど、すぐに耐えられなくなったのか、あははは、とお腹を抱えて笑い出した。
笑いながら、彼女は言った。
「あなた、面白い事言うわね! 解除してもらいにきました? 解除して下さい? する訳ないでしょ!」
もう本当にこれ以上に面白い事はない、というくらいに笑っている。
黒服達も明らかに笑いを堪えているようだった。
僕は笑うクレメンタインに言い返すように告げた。
「する訳ないでしょ、じゃないでしょう! はじめに言っていた給料とも全く違うじゃないですか! こんな契約は詐欺と同じですよ!」
「詐欺と同じ? あなた何を言っているの? ここは世界の果て、魔の巣窟、クリミナルシティよ。始めから詐欺なの。あなたを騙すつもりで行った契約なの。クリミナルシティでは、当たり前の事よ」
「それでも解除してもらいます」
「どうやって?」
「どうやってもクソもないでしょう。始めから詐欺なんだったら--」
「始めから詐欺だったとしても、契約は守らないと。あなたのサインは貰ったわ。だったら、双方の合意がないと解除できないでしょ?」
「…………」
僕は黙るしかなかった。
そうだった。双方の合意がないと解除できないのだった。
「それか、一方的に契約を破るように、ウチから飛び出してみるかしら? まぁもちろんやってもいいわよ。精霊の罰が下るけどね--」
僕は、ようやく理解した。現状手詰まりであるという事を。
「--ねぇ、どうして精霊の契約書なんて、とてもお高くて、滅多に手に入らない物を使っているか分かるかしら?」
それも今であれば分かる。
「人材流出を抑える為よ。あなた、もし契約を破ってみなさい。契約の精霊のはね、死に近い罰を与えるわ。もちろん死にはしない。けれどおそらく一生働く事はできないでしょうね。いえ、間違えたわ。経済活動ができなくなるわね。つまりお金は得られないの。これは死に近いでしょう?」
それは死に近いなんてものじゃない。死と同義だ。やれる事は物乞いぐらいしかない。
それもこんな犯罪者だらけの魔の巣窟で、だ。
僕は、黙りこくるしかなかった。
そして今更ながらに思い出した。2日目にタコ部屋から飛び出した僕を笑った男の事を。
男は知っていたのだ、どれだけ何を訴えてもどうにもならない事を。
おそらく彼にとっては何度も見た光景だったのだ。
つまり今まで誰も打つ手がなかった、という事なのだろう。
僕には反撃の手立てがなかった。
「あと、そういえば、あなたは一切気にしなかったけど、こんな文章が記載されているのを知っているかしら--」
クレメンタインは楽しそうに笑う。まるで追撃を加える事が愉快で仕方ないかのようだった。
「--災害や戦争など、緊急事態の際は、店主であるクレメンタインを一番に守ること、ってね」
「…………?」
「
クレメンタインにそう言われて、僕は何も考えられなくなった。
もう本当にどうしようもなかった。
いつのまにか僕は、タコ部屋に戻っていた。
寝るという行為を行えたのか行えなかったのかさえ、分からない。
そろそろ朝か、と思える陽光が入ってきた。
その数瞬後、僕の視界は暗転した。
気が付いた時には、一面の水晶が広がる大地に僕は立っていた。
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