第4話
それから、また変わらない日々が訪れた。亡くなった部長のことも、不気味な噂も、もう誰も口にしない。最早忘れ去られたのか、あえて話題に出さないのかは分からなかったが。理恵に関して言えば仕事にプライベートに忙殺される中で、その出来事を思い出すことはほとんどなくなっていた。
しかしある朝、それを思い出さざるを得ない光景が、出社した部署内に広がっていたのだ。まるで部長が死んだ時と同じ、沈んだ空気が漂って皆ヒソヒソとし、ある人たちは慌ただしく動き回っている。
亡くなったのは由紀子だった。貧血でふらついて車道に一、二歩踏み出してしまったところを運悪く車にはねられたらしい。理恵はその話を聞いてゾワっと背筋が凍った。(まさかそんな……まさかよね)
由紀子の通夜に行くと、通夜振る舞いの席で宮川がまるで家族や恋人でも亡くしたかのように泣いていた。女友達のためにこんなに心を痛められる恋人を慰めようと、理恵は宮川の肩にそっと手を置く。しかし、その手は振り払われた。
「どうして由紀子が、死ななければいけなかったんだ!」
宮川が理恵に向かって叫んだ。「お前の方だったら良かったのに!」
理恵は血の気が引く気がしながら、「どういうこと?」と聞いた。答えは分かっていたが信じたくなかったのだ。
「由紀子とは結婚の約束をしてたのに……」
さめざめと泣く宮川に、「泣きたいのはこっちだわ」とぼそりと捨て台詞をはきながら、理恵は彼の元から離れた。
友人の死、奇妙な偶然の連続、最愛の人だと思っていた人からの思いがけない裏切り……自分が何に嘆けば、悩めばいいかもわからなくなりながら、理恵はその場を去った。もし理恵がそのままあと少しの時間葬儀場に残っていれば、由紀子の遺体が消えたという大騒動まで見ることになっただろう。
理恵は喪服のまま一人でバーに行くと、嫌なことは全部忘れてしまいたいとばかりに強い酒をあおった。酔いつぶれて気づけば閉店時間で、バーの従業員に起こされてふらふらと帰途についた。
タクシーを捕まえて繁華街から家に近づくと、いつも歩く線路脇の道まで来た。理恵はふとラーメンが食べたくなって、もう一つ他に思うところもあって、屋台が出ているかはわからないがその道でタクシーを降りる事にした。おぼつかない足取りでしばらく夜風にあたりながら歩くと酔いは少しマシになって、はたしてあのラーメン屋台もいつもの場所で開店していた。
理恵は迷わず丸椅子に座ると、
「ラーメンを一つ」と、店主に言う。
「はいよ」
店主は短く答えて、ラーメンをつくりはじめた。
「ーーどうしても偶然とは思えない。あなたが、やったの?」
「なんのことです?」
「私がここで言った事と同じ事が、立て続けに起こっているのよ」
「では、あなたがやったんでしょう。呪いの言葉を吐いたのはあなたです」
「それは……お酒がはいって、ちょっとした愚痴が少し過激な言葉になっただけよ。本気で思ってたわけじゃないわ」
「そうですか」
店主がラーメンを理恵の前に置いたので、彼女は湯気をたてるラーメンのスープをレンゲですすり、麺を少し食べた。
「まあ、なんでもいいわ。ここで言ったことは本当に起こるんだから。殺してやりたい奴がいるから、ラーメンを食べに来たのよ」
「それは物騒な……」
「だって、許せないわ。私、宮川の二番目の女だったのよ! 私は遊ばれていただけで、本命は由紀子だったのよ! 二人して私の事バカにしてたんだわ。
ーーあんな奴、愛する由紀子の後を追って自殺でもしちゃえばいいのよ!」
「ここでしか言えない本音もあるでしょう。愚痴ならいくらでもお付き合いしますけど、人を呪わば穴二つという言葉もあります」
その店主の言葉に理恵の心臓がドクンと大きく脈うった。呪いが自分に返ってるかもしれないのだということを、彼女はすっかり失念していた。(いや、違う、これはただの偶然。ジンクスみたいなものだわ)理恵はだんだんと不安と恐怖が襲ってきた自分に、心の内で言い聞かせる。(でももし、偶然ではなかったら? 本物の呪いだったら? 私はもう二人殺していて、今、もう一人殺そうとしているわ) ドクドクと早鐘を打つ胸を押さえながら、理恵は顔を歪めた。
そんな理恵の様子を見て、店主は「ははは」と笑い飛ばした。
「理恵さんは大丈夫ですよ。もう既に、ご自分の罪を、噛み締め飲みくだして血肉としているではないですか」
「え?」
理恵が顔を上げて店主を見ると、彼はちょいちょいと理恵の前のラーメンを指差した。彼女はその仕草に誘われてどんぶりを見る。
そこにあったのは真っ赤なスープ。ちょっと茶色みがかった髪の毛が一房と目玉が一つに……このチャーシューだと思っていたものは何?
「また美味しいラーメンをご用意して、お待ちしておりますよ」
おしまい
丑三つ刻のラーメン屋台 冲田 @okida
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
関連小説
ネクスト掲載小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます