第30話 物語の終わりは…

 魔法陣に浮かび上がった扉に、ガチャリと鍵をかける。すると、扉は魔法陣の中央へと吸い込まれるように消えていき、鍵はオリヴィアの胸の辺りへと吸い込まれていった。


 始まりの召喚室に、終わりを告げる静寂が戻る。


 瞼を閉じていた大神官アルフレッドが静かに目を開く。そして、大きく息を吸い込むと、スッキリとした笑顔を浮かべた。


「――やっと。……ようやく約束した使命を果たすことができました」


 その充実感を噛み締めるように、呟いた。


 ――45年。


 その月日は幼かったアルフレッドにとって、途方もない時間だった。一番、甘えたい時期にその相手両親がいない。その辛さは計り知れない。


 それは、孤児だったハリオスにしても、そして、アルフレッドと同じ5歳で両親を失ったテオドールにしても、同じことだ。アルフレッドには、彼らの気持ちが痛いほどよくわかった。だからこそ、愛を持って育ててきたし、その環境も整えた。自分自身が周囲に恵まれていたように。


 以前、オリヴィアに『運命とは、何か』と聞かれたとき、一番最初に思い出したのは、自分と関わる周囲の人たちだった。そのうち、誰か一人でも欠けていたら、今の自分は存在していなかったのだと思うと、やはり“運命”とは“人との出会い”である、と思った。


 オリヴィアに、そして、テオドールに、この世界で再び巡り合うことができたのは、まぎれもなく――“運命”の仕業だ。……それもまた、自分が選択した一つの結果にすぎないのかもしれないが。


「やっぱりね……君は“救世の聖人”の一人だったんだね」


 テオドールが魔法陣の反対側、斜め前に立つハリオスに話しかけた。ハリオスはバツが悪そうな顔をして、頭を掻いた。


「すんません、俺は気づいてませんでした」

「いいよ、僕も何となくって感じだったし」


 和やかムードはテオドールの顔の変化に合わせてガラリと変わる。


「ハリオス。君に、確認しておきたいことがあるのだけれど」


 エレナに向けていた視線や声色よりもずっと凍てついたものに周囲がブルリと身体を震わす。大神官であるアルフレッドや養父イシュメルでさえも。


 その神聖力に声すら発することができなくなったハリオスは大きく目を見開いて、目の前にいるテオドールの言葉を待った。


であるリヴィのこと、何とも思っていないよね?」

「……は?」


 “何をやらかしたのか”と、焦りながら必死で記憶を辿っていたハリオスは、思いもしなかった言葉にポカンと呆気に取られた。その場には、同じような顔が並ぶ。


「僕がネーレイスにいったとき、君、リヴィと手を繋いでいただろう? あんなに朝早くから二人きりで、しかも仲良く手まで繋いで出かけているなんて――僕は未だに納得いかない!」


 一人、顔をしかめているテオドールに、呆れ顔のオリヴィアが腕を引っ張る。


「あれは、エスコートよ」

「「えっ?」」


 オリヴィアの返答にテオドールとハリオスが同時に声を上げた。二人が顔を見合わす。


「そっ、そうですよ! どこかの貴族のお嬢様だと思ったんで、エスコートして案内しただけで」


(そうだったのかー!)


 照れて顔を赤くしてしまったことなど、口が裂けても言えない。自分が勘違いしていたことさえも、赤面するほど恥ずかしい。でも今は目の前の強烈な神聖力を放つ上位神官様のご機嫌をこれ以上損ねるわけにはいかない――と、ハリオスは一瞬にして、考えを巡らせたのである。


 大神官アルフレッドは、チラリとハリオスに視線を送った。アルフレッドを守るために生まれてきたハリオスの心の声は、彼にはまる聞こえなのだ。


「ふぅん。そう……」


 オリヴィアの言葉とハリオスの説明に多少不満は感じているようだが、何とか収めることができた。ハリオスはホッと胸を撫で下ろした。


「ところで……アリナ様とエレナ様は、どうなったのですか?」


 オリヴィアが心配そうに恐る恐る質問する。

 

 そんなオリヴィアに、今までの空気を一変させ、『本当にお人好しだなぁ、リヴィは』と眉尻を落としたテオドールが答える。


「まずは神様との約束事から話すね――」


 魔女の呪いに対抗するため、時の大神官セオドアはその命をかけて神々と約束事を交わした。


 そもそも神の不手際により、この世界と異世界が通じてしまった。それから、聖女が降臨するようになったのだ。魔女が生まれる元凶に、神々が関係していた。


 神々もこの事態を重く受けとめ、セオドアの祈りを受け入れた。そして、彼と約束した。


 失ってしまった愛するロベリアと、この世界のためにすべての神聖力を捧げ、これからその命を失うセオドアを再びこの世界に転生させる、と。

 その代わりに、“救世の聖人”として、その一人である“真の聖女”の持つ鍵を使って、通じてしまった異世界との扉に鍵をかけることを約束したのだ。


「魔女アリナを封印したのは“封魂の術”だよ」


 大神官アルフレッドでさえも一人では遣えない。あの場に“救世の聖人”と“真の聖女”の五人の神聖力があったからこそ、出来た術であり、“真の聖女”が持つ“鍵”がなければ、術は完成しなかった。


 魔女アリナを封印したことにより、聖女エレナが戻ってこられたのだ。ただ、聖女の神聖力も魔女と共に封印された。それはエレナ自身が魔女と同じ闇を纏った神聖力を持っていたからだった。


 そもそも、誰かのために遣うべき神聖力を、自分のことだけに遣っていた聖女など、たとえ神聖力が残っていたとしても、願い下げだ。その子孫さえ、この世界に遺したくない。


 異世界との扉を開く鍵を手に入れた今、どこかに嫁がせる必要などないのだ。大神官アルフレッドには、エレナを帰還させる以外の選択肢などなかった。


 神々との約束通り、扉に鍵をかけた。


「鍵はこちらの世界に。そして錠前はあちらの世界に――だから、魔女の魂はもう永遠に転生することはないんだよ」


 もう二度と、辛い別れを経験することはない。

 オリヴィアは瞳を潤ませた。


「だから、“一緒に神官になろう”って言ったのに。断ったのはリヴィでしょ?」

「うぅ……そうでした。ゴメンナサイ……」


 イシュメルから誘われていたのを保留にした後、テオドールからも確認されていた。もうすでに作家として、そこそこ有名になっていたオリヴィアは、神官になる気など、さらさらなかったのだ。


 オリヴィアは反省した。神官になって、勉強していれば、もっとスムーズに事が運んだのではないかと。テオドールやアルフレッド、イシュメルに迷惑をかけることもなく、自分自身もあんなにたくさん悩まなくて済んだのではないか、と。


「もう大丈夫だよ、リヴィ。さっ、そろそろお茶の続きをしよう。今日はいろいろありすぎて、疲れただろう?」


 テオドールはオリヴィアを労うように『だから、ゆっくり休もう』と優しい声をかける。そっと背中に手を添えて、執務室へと歩き出した。



 ◇◇◇◇



 ――その夜。 


 オリヴィアは先ほどのテオドールの言葉に優しさを感じていた自分を叱り飛ばしてやりたいと思っていた。


 神殿からエイベル家に戻ったオリヴィアは、テオドールと“婚姻の誓い”を立て、夫婦となったことを両親に伝えた――のだが。


 大切な一人娘をもらったのだから一緒に伝えたいとついてきたテオドールが、今、オリヴィアの部屋にいる。


「無事に挨拶も終わったことだし……もう、神殿に戻ってもらっても……」


 部屋のソファでくつろぐテオドールが、きょとんと首を傾げる。


「何を言ってるの? リヴィ。今夜は二人の大切な日だろう?」


 満面の笑みで見つめるテオドールに一歩、後退りする。テオドールは立ち上がると、一歩ずつ、近づいてくる。


「しかもお互いに転生者なんだし、僕らは前世から夫婦なんだよ? 今さら何の問題もないよね?」


 にっこりと微笑んでいるテオドールに苦笑いするオリヴィア。いつもの光景だが、この時間にそれを微笑ましく見ている者は、誰一人いない。


「さぁ、リヴィ。二度目の結婚初夜だよ――」




 前世を知ったテオドールは容赦なく。もちろん、タガを外しっぱなしで――




「その子は――私の弟か妹になるのかな……」


 『ついに私にも弟か妹が』と呟いた時の大神官様にオリヴィアとテオドールは、


「「いやいやいや」」


 と、思わずツッコミを入れた。


 神殿に祈りに来たオリヴィアのお腹には新しい命が宿っていた。


「そんなわけないでしょう? 私のかわいい孫なのですよ? 大神官様」


 後ろから音もなく現れた容姿端麗な神官長様にも二人は苦笑いを浮かべる。見た目年齢詐欺師の二人が静かに闘志を燃やしている。


 オリヴィアは愛おしそうにお腹に手を添えた。


 隣には、心配そうにべったりとくっつき、甘やかしまくる夫と、時の大神官となった、かつての息子と、愛する夫に惜しみない愛情を注いでくれた義父に囲まれて、今から溺愛されているお腹の中の子はきっと幸せになれるだろう、と確信していた。



 私は御伽話のお姫様でも、物語の主人公でもないけれど、とても幸せな人生を送れている。そして、これからも私のお話は続いていく。



『しがない主婦だった私が異世界に転生したら、それはそれは幸せな作家になっちゃいました!』



 物語の終わりは、やっぱり必ず――


 ――めでたし、めでたし。……ですよね?

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