第27話 ざまぁな結末は?

 ――夢を見ていた。


 規則正しい揺れは眠気を誘う。いつの間にか眠りに落ちていたオリヴィアは、とても悲しく、やるせない夢を見ていた。

 

 自分の前で震え、叫ぶ男の子。大丈夫、心配ないと伝えたいのに――声も出せなければ、身体も動かない。徐々に温かさが失われていく。


 ――寒い……とても、寒い。


 震えることすらできない身体はまるで凍るように固くなっていく。嫌な感覚だ。


 突然、バーンという音と共に、扉が乱暴に開く。慌てて駆け込んできた人物が目に入ると、少しずつ凍てつき始めていた心が一瞬にして安心感と幸福感で満たされる。


 彼の淡い紫色の瞳が限界まで開かれていく。その瞳には醜い悪魔のような――私の姿が映っていた。


(ダメ……こんな醜い姿……見ないで。それ以上、私に近づかないで……お願い、テオ!!)


 そんな声にならない叫びは、もちろん届くはずもなく。見開かれたままの瞳を閉じて、愛する人の苦しみに歪んでいく顔を拒否することさえも、許されない。


『ねぇ、ロベリア。起きてよ。――がびっくりしているじゃないか。ほら、起きて。リヴィ』


(わかってる。私も起きたいの……でも身体が動かないのよ)


 愛する人が身体を揺らす。動かないその身体は、だらりと腕だけを垂らした。


『何だよ……いつも“テオの色が好きだから”って、薄紫のマニキュアを使っていただろう? 僕が“艶やかな赤で妖艶に誘ってくれてもいいよ”って、言ったときはそう言って断ったくせに。……何で、今は、真っ赤にしているんだよ?』


(ふふ。そうね、そう言ったわ。テオがあまりにも愛しいから、意地悪したくなっちゃったのよね)


 ぽたり、と頬に雫が落ちてくる。感覚はないが、きっと愛する人の流したものだろう。


(ああ! 泣かないで、テオ。私はここにいるわ)


 愛しい人の美しい瞳に映る姿は醜いというのに。――それでも貴方はこの身体に縋ってくれるの?


『ねぇ、リヴィ。僕はどこで間違えたんだろう?』


(大丈夫。テオは、何も間違えてない。私たちは ……少し遠回りをするだけだよ)


 愛しい人は愛する息子を呼び寄せた。小走りに近づいてきた息子を片腕でぎゅうっと抱きしめると、愛しい人は愛する息子の耳に囁いた。


『――。君に――この世界を任せてもいいかい?』


 ――息子の名前は……何だった?


『おとうさま。ぼくは……いつか、ふたりをまもります。だから……だいじょうぶです』


 賢い息子。そして、愛おしい夫。

 ――これは、一体……誰の記憶?




「ねぇ、リヴィ。起きてよ。馬の背で寝てしまうなんて、びっくりだよ。ほら、起きて。リヴィ」


 テオドールの声に目を開けると、馬はすでに神殿に到着していた。オリヴィアを抱えたテオドールの顔が、困ったときのイシュメルの顔とそっくりで、オリヴィアは思わず、くすりと笑ってしまった。


「僕らが“婚姻の誓い”を立てたこと、父上に報告しないとね」


 まだ眠い目を擦りながら、テオドールの腕の中でこくりと一つ頷く。


「お二人とも、今、お帰りですか?」


 突然、後ろからかけられた愛らしい声に、びくりと肩を上げる。恐る恐る振り返ると、そこにはニコニコと笑顔を浮かべる聖女エレナの姿があった。



 ◇◇◇◇



 大神官の執務室を出た三人は急いで聖女の部屋へと移動する。しかし、聖女の部屋にはすでにエレナの姿はなかった。


「どこに行ったのでしょう? 探してきます」

「私が」


 イシュメルが探しに行こうとすると、ケイレブがそれを遮るように言った。


「イシュメル。お前は、残れ。テオドールのこともあるだろう? 聖女様は、私が探す」

「分かった。ありがとう、ケイレブ」


 やはり頼りになる友だ。自分は周囲に恵まれた。こういう大事の時にそれを思い知る。イシュメルは優しく微笑んだ。




 大神官アルフレッドは踏み入れた聖女の部屋に、じっと視線を向けていた。神聖力を遣い、隈なく、調べているのだ。傍から見れば、ただぼんやりと、佇んでいるだけのようにも見える。


「ここか……」


 魔力を感じるのは、書棚の裏。何か仕掛けがありそうだ。神聖力を集中させ、魔力を辿る。

 ベッド脇に小さな文字と擦れた壁紙を見つけた。


「これだね」


 何が書かれているのかは読めないのだが、擦れている場所を触るというのは分かる。アルフレッドがそこに触れた瞬間――


 ――ガガガガッ


 少しの音と共に書棚の後ろに小部屋が現れた。

 そして、それと同時に――鼻をつく嫌な臭いも。これはまぎれもなく――死臭だ。


 アルフレッドとイシュメルは、口元を腕で抑えながら、少し腰をかがめてその部屋へと一歩、入る。目の前の光景に顔を歪めた。


 そこには、45年前に行方不明になった侍女のものであろう死体が横たわっていた。


「まさか……こんなところに隠されていたとは」


 アルフレッドは侍女の亡骸のそばで跪き、祈りを捧げた。彼女は、幼かった自分と母にいつも付いていてくれたベテランの侍女だった。


 ――あの日、あの出来事さえなければ。


 何度、そう思ったことだろう。でも過去は変えられない。それも分かっていた。だからこそひたすら前を向き、来る日に備えて準備を整えてきたのだ。


 13年前。まるでお互い引き合うように、神殿へとやってきたテオドールとオリヴィアを見て、今までのすべてが報われたのを感じた。


 この13年間。今までの空白を埋めるかのように、二人と過ごす時間はアルフレッドにとって、何ものにも代えがたい幸せなものだった。――あの聖女が降臨するまでは。


 魔女アリナの呪いの予言通り、聖女エレナが降臨し、その神聖力に、あの魔女と似たものを感じた。エレナがテオドールにこだわり始めたとき、アルフレッドはさらに嫌な予感がしたのだ。――また過去を繰り返してしまう、と。


 いよいよ危険になってきたと思い、彼女が真実に気づく前に対処しようとしていた矢先、エレナ自身によって、“魔女の呪い”が発動してしまった。


 “魔女の呪い”を完全に消滅させるためには、自分を含めた“救世の聖人”と、その中の一人でもあり、消滅の鍵を握る“真の聖女”が必要だ。


 ――“救世の聖人”。


 大神官アルフレッドと神官長イシュメル、そして上位神官テオドール。“救世の聖人”でもあり、“真の聖女”でもあるオリヴィア。


 そして、もう一人の“救世の聖人”は――

 


 ◇◇◇◇



「へーっくしょいっ!!」


 神官の服を身に纏った青年が馬を走らせながら、その背で大きなくしゃみをした。ずびびっ、と鼻をすすらせながら擦る。


(……まったくよぉ。大神官様も人遣い荒いぜ)


 あっちへ行け、こっちへ行け、と方々に飛ばされている彼はブツブツと大神官の文句を吐いていた。大抵の場合は、ほぼすべてが筒抜けであるのだが。それを踏まえた上での“悪態”でもある。そして――もちろん、今回も狙い通りだ。


 今は城下町カルディアへと向かっている。


 昼頃まで港町ネーレイスにいたのだが、大神官様からの急な呼び出しがかかり、通常、馬なら二時間という道のりをたったの一時間で来い、と無茶振りされたのである。


 朝イチ風呂上がりで釣りに行ったのが原因で風邪でも引いたのか、もしくは誰かが噂しているのか。さっきからくしゃみが止まらない。彼の機嫌は悪くなる一方だ。


 ――“救世の聖人”。


 そんなこと急に言われたって、何もなかった人生を急激に変えるなど、できるはずがない。ましてや、本人は無自覚なのだから厄介だ。


 孤児で身寄りのない自分に衣食住を提供し、育ててくれた教会。そこに突然、ひげもじゃのじいさんがやってきた。そのじいさんは自分を見るなり、『やっと見つけた!』と年甲斐もなく、飛び跳ねて喜んでいた。――後から、あれが時の大神官様なのだと聞いて驚いた。


(あれで? あんな飛び跳ねちゃうじいさんが?)


 じいさんには心の声がまる聞こえらしい。ポカリと頭に拳を食らった。頭をさすりながら、眉間に皺を寄せて睨みつけると、徐ろに長い髪を結っていた紐を解いた。――じいさんの姿が見る間に変わる。


『すげぇ……』


 一瞬にして、美しい青年の姿になった。


 それからは大神官様の“遣い”だ。今回の呼び出しは、おふざけなしの“お遣い”のようだ。


 機嫌の悪かった青年の瞳は、神殿が近づくにつれて、真剣な眼差しへと変わっていった。


「確か……神殿にはリヴィがいるんだよな?」


 港町ネーレイスの教会で夫となったテオドールと共に神殿へ向かっていったオリヴィアを見送った。その後、ついでのようにカイルからハリオスに伝言が伝えられたのだ。



『今すぐ神殿に戻っておいで、ハリオス。君の力が必要なんだ』



「――大神官様の仰せのままに」


 自分はアルフレッドを守るために生まれてきたのだ、と。彼の神聖力がそう語りかけていた。

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