第26話 ざまぁな結末へ?
(何だったんだろう? 今のは……)
突然、黒い光に飲み込まれたと思ったら、身体の中にどこか懐かしく、そして、とても苦しい想いが込み上げてきた。
(私の……記憶?)
胸の内はモヤモヤしていたが、ただ一つ、言えることは神聖力を前以上に、くっきりはっきりと感じ取れることだ。断然、力が扱いやすくなっている。
エレナは小部屋を出ると、今日一日は休みで不在と言われていたテオドールに偶然でもいいから会えればと思い、外に出た。
「さぁ、着いたよ」
聞き覚えのある優しい声に振り返る。今、一番、聞きたいと思っていた声の主は、馬に乗っていた。こちらからは後ろ姿しか見えないが、まるで白馬に跨がる王子様のようだ。
その背中をうっとりと見つめる。あの言葉はその馬にかけてあげたものだろうか。馬を労うように、撫でているみたいだ。彼は本当に優しい。思わず、顔が綻んだ。
会いたいと思っていたら会えた。やっぱり私たちは結ばれる運命なのだ、と――
駆け寄ろうとして、ピタリと足が止まった。
「ねぇ、リヴィ。起きてよ。馬の背で寝てしまうなんて、びっくりだよ。ほら、起きて。リヴィ」
甘く囁くような声に、ドクリと胸が鳴る。黒く、禍々しい感情が甦る。――この感覚は、何だろう?
「うっ、うぅ。……なぁに? テオ?」
「まったく、リヴィは……どこまで僕を夢中にさせれば気が済むの?」
――『仕方ないよね? 僕は“媚薬のせいで”ロベリアに夢中なのだから』
(あれ? ……あれは一体、誰の言葉だった?)
エレナはズキズキと痛み始めた頭を抑えながら、馬から降りる二人に視線を送る。まだ眠そうな目を擦りながら、テオドールの腕の中に抱えられている令嬢に憎しみが湧く。
(何なの!? 本当に図々しい!)
テオドールから離れろ、と言ってやろうと一歩、踏み出した瞬間――
「僕らが“婚姻の誓い”を立てたこと、父上に報告しないとね」
その令嬢に見たこともない笑顔を向けている。
(“婚姻の誓い”? それって結婚したってこと?)
――まさか、本当に彼女のことが?
エレナの中で何かが壊れた。その亀裂から黒い霧がモクモクと湧き起こり、やがてエレナの心の中をすべて覆い尽くす。エレナはそっと目を閉じた。
(
ゆっくりと開いた瞳に令嬢が映る。
(あの時、あの女の夫を奪ってやったというのに。やっと幸せになれると思ったのに……)
あの女と一緒にいたのはセオドアではなかった。あの時――転生したあの女を見つけたとき、一緒にいるのは絶対にセオドアだと思っていたのに、そうではなかった。せっかく前世であの女から奪い取り、絶望させ、殺してやったというのに、その相手は愛しい人ではなかった。
エレナが“魔女の呪い”を発動させ、呼んでくれたおかげでこの世界に戻ってくることができた。何度だって殺してやる。――今度こそ、私がセオドアと結ばれるの!!
「お二人とも、今、お帰りですか?」
突然、声をかけてきた聖女に振り返った二人の瞳は、驚いたように見開かれた。
「オリヴィア様。一度、貴女とゆっくりお話がしてみたかったの。宜しければ、私の部屋でいかが?」
テオドールの腕の中にいたオリヴィアが、視線をチラリと彼に向けた。その仕草でさえもエレナ――アリナを憤らせる。テオドールがオリヴィアを庇うように一歩前に出た。
「オリヴィアは今から私と神官長様の元へ行く予定がありますので――」
「――少しの間です。お茶を一杯だけ」
険しい表情を隠しもしないテオドールに“これは本当に彼女に薬を盛られたのかも”と思い至った。
「構いません。ご一緒しますわ」
オリヴィアがにっこりと笑った。隣のテオドールが『正気!?』とでもいうかのように、驚愕の表情で彼女に視線を送る。
「ご心配なら……テオドール様もご一緒にいかがですか?」
テオドールは大きくため息をつくと、『わかった』とついてきた。
聖女の部屋に入ると、流れるように紅茶の準備を始める。前世の記憶からこういうのには慣れているのだ。戸棚から軽食を取り出す。小腹が減ったとき用の備蓄菓子だ。
「さぁ、どうぞ」
オリヴィアが香り高い紅茶に口をつける――
「うっ……」
「リヴィ!?」
「わぁ……美味しい紅茶ですね!」
笑顔のオリヴィアにテオドールはホッと安堵の息を漏らす。その様子を見たエレナは満足げに口角を上げた。
「ですよね!? 私も大好きなんです。この世界に来て、一番!」
「特別なブレンドでしょうか?」
「ええ。テオドール様が私のために特別に調合してくださったものです」
テオドールは“なるほど”と納得した。聖女エレナはオリヴィアに対抗すべく、自分から
「さぁ、テオドール様も」
どうぞ、と勧められ、口をつける――と、彼女の顔が驚くほど変化していく。口元を隠すようにあてがわれた手の隙間から、限界まで上がってく口角が見えた。明らかに、先ほどとは違う種類のものだ。
テオドールは何度目かも分からないため息を吐くと、聖女エレナに視線を向けた。
「……僕に媚薬を盛る意味、分かっている?」
驚いたように瞼が大きく開いていく聖女に今までには一度たりとも見せたことのない怒りの表情と、まるで地を這うような低い声を出した。いつもとは違うテオドールの話し方に戸惑う。
「僕は……もう二度と、間違えない」
聞いたことのない声に驚いたオリヴィアも、目を丸くして彼を見つめた。
「残念だけど。僕は、口にしていないよ? まぁ、
カップを音もなく、優雅にソーサーへと戻す。
聖女は突然、ガタガタと震えだした。
「同じことはもう二度と繰り返させない。君も気がついているよね? ここに“彼”がいることを」
「っ!!」
急に震えだしたエレナをオリヴィアは心配そうに見ていた。どこまでもお人好しだ、とテオドールは思わず顔が緩んでしまいそうなのを引き締めた。
「お戻りかな? ――聖女アリナ……いや、魔女だったかな?」
エレナの背中から聞こえた声に、震えがピタリと止まる。それもそのはず。魔女アリナは、“彼”には敵わないのだから。
「久しぶりだね。45年ぶりか? その間にもだいぶ彼女のことを苦しめたみたいじゃないか。……許せないね」
そこには――時の大神官アルフレッドがいた。
長く美しい白髪をさらりと後ろに流し、音もなく魔女の背後に立つ。視線だけで拘束してしまうほどの神聖力を持ち、テオドールと同じく“救世の聖人”の一人である大神官は49歳とは思えぬ美貌だ。
大神官様にあまり会ったことのないオリヴィアはそんな大神官様を見て不謹慎にも――
(神聖力って怖いね……あり余ると歳を取らないのだろうか。大神官様のあのお姿は、もはや詐欺だ。あれで49歳はあり得ない……かくいうイシュメルも30代後半には見えないのだけど)
――と考えていたのだが、すべてアルフレッドに見抜かれていた。
「……リヴィ。私を詐欺師扱いするのはやめてくれないか?」
苦笑いする大神官様に、オリヴィアもつい苦笑いを返す。すべてバレていて、気まずすぎた。しかし、ふとあることを思い出す。
(あれ? 大神官様のお名前って……もしかして)
「えぇ!! 大神官様はアルフおじいちゃん!?」
(ってことは、やっぱり詐欺師じゃないかー!!)
今さらながら、やっとそのことに気がついて驚愕しているオリヴィアを、やっぱり甘やかしてしまう大神官様は、くすりと笑う。無事に自分のところへと戻ってきてくれた二人をふわりと抱きしめた。
「お帰りなさい。二人とも。ずっと……ずっとこの時を待っていましたよ」
大神官アルフレッドの綺麗な薄紫色をした瞳から初めて雫が滴り落ちた。
「お二人は、私が守ります。約束したでしょう?」
濡れた頬を緩ませる。その顔はまるで――やっと両親に会えた迷子の子どものようだった。
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