第24話 それは貴女の罪。
「これって……まるで、私とテオドール様のことみたいじゃない」
――50年前の神官と聖女の恋。
この日記にはまるで今、自分に起こっていることと同じようなことが書かれている。
不意に、最近読んだばかりの本が思い浮かぶ。
『午前0時の鐘の音が鳴り終わる前に』
あの物語はもしかしたら、この聖女と神官のお話が題材の物語なのかもしれない。違うところは多々あるが、端々に通じるものを感じる。
異世界から降臨した聖女は、ある一人の神官と恋に落ちた。しかし、その神官には婚約者がおり、結ばれることはなかった。それでも、聖女は諦められず、ずっと彼を思い続けた。
日記には、その辛い胸の内がつらつらと書かれている。今のエレナには、その想いが痛いくらいよく分かる。胸が張り裂けそうになった。
彼女は――自分だ。
いつの間にか、頬には涙が伝っていた。
日記は、次第に憎悪が込められていく。深すぎる愛情は憎しみにかわり、少しずつ、聖女は闇に堕ちていく。魔女と化した聖女は、自分を勝手に降臨させておきながら、こんな場所に閉じ込めているこの世界のすべてを憎み始めた。
日記の最後には――
――やられる前に、やれ。手に入れたいものは、自分の手でどんな手段を使ってでも、手に入れろ。貴女にはその資格も力もある。私も手助けしよう。貴女の望むままに――
「私の……望むまま、に……」
パタリと閉じた背表紙に、美しい模様が刻まれている。その模様に、まるで吸い込まれるように手を伸ばす。エレナがその模様に触れた瞬間――漆黒の光が身体中を包み、大きな柱となって放たれた――
◇◇◇◇
神殿の方角から放たれた禍々しい光にテオドールは息を呑んだ。オリヴィアを抱えて、馬を走らせ、あと半刻もあれば神殿に到着するであろう距離まで来ていた。
(何だ? あの光……背筋が凍りそうなほど、嫌な感じがする)
悪寒が走る。まるで聖女に監視されていたときのような。オリヴィアからは特に何も感じない。気がついていないようだ。ホッと安堵のため息をつく。
オリヴィアを不安にさせたくない。ただでさえ、一人で考え込んで、抱え込む性格なのだから。
(とにかく……今は、急いで父上と合流しないと)
テオドールは少しずつ速度を上げていった。
◇◇◇◇
「何だ? 何があった?」
神殿では、ただならぬ気配に上位神官たちがざわつき始めていた。神官長イシュメルと、もう一人の神官長ケイレブが足早に大神官の執務室へと向かい歩いていく。二人とも無言だ。
執務室の入室許可を得ると、即座に扉を閉める。
「厄介なことになりました」
「分かっているよ。まだ、あの“呪い”が残っていたんだね」
「聖女の部屋は確認したはずなのですが……どこにそんなものが」
「まぁ、今は対抗する策を練るしかないね」
「はい」
まさか、“魔女の呪い”が発動するとは――
――50年前に降臨した聖女。大神官アルフレッドの母を殺し、時の大神官であった父の命をも奪った魔女。
当時、大神官セオドア・ベネディクトは降臨した聖女に付き、この世界のことを教えていた。聖女はとても優秀で神聖力も高く、あっという間に神殿の仕事をこなすようになった。頼りになる美しい聖女を神官たちは敬い、崇めた。
やがて聖女は、大神官セオドアと肩を並べて歩くようになった。自分こそが大神官であるセオドアと共に歩く資格があるのだというかのように。彼に心を寄せ、心酔していった。
しかし、彼には愛する婚約者がいた。何の役にも立たないお嬢様。自分こそが、彼に相応しい。幾らそれを訴えても彼は首を縦には振らなかった。
聖女は考えた。神殿にある大図書館の一角。資格のあるものしか入室を許されないその場所に聖女の姿があった。――何日も、何日も。
聖女はついに完成させた。彼を自分のものにする方法を。――“媚薬”だ。
大神官セオドアに聖女は媚薬を盛った。これで、やっと彼は自分のものになる。
――“さぁ、私を見て”
彼が見たのは――婚約者だった。
聖女は絶望した。彼に見抜かれていた。だから、薬が効いたとき、一番最初に、婚約者を見たのだ。彼の婚約者への愛はさらに深まり、すぐに“婚姻の誓い”を立ててしまった。
聖女は大神官に薬を盛ったことの罪を咎められ、この部屋に軟禁された。部屋から出られなくなった聖女は、それでも彼が会いに来てくれると信じて、待っていた。ずっと。
あんなに信じ合って、笑い合って、一緒に過ごしたのだから。きっと来てくれる。今は媚薬の効果が効いていて、婚約者のことしか考えられないだろうが、効果が切れれば、きっと。
一年経っても、二年経っても、三年経っても、――彼は聖女の前に姿を現さなかった。
四年目のある日。
外の庭園を開きもしない窓からぼんやりと眺めていると、セオドアが歩いているのを見つけた。四年ぶりに見る美しく整った横顔――彼の隣には、幼い男の子がいた。手を繋ぎ、微笑み合いながら、庭園を散歩している。
開かない窓に、ピタリと張りついた。セオドアによく似た男の子が彼の手を放し、走っていく。一直線に向った先には――両手を広げ、その胸に飛びついた男の子を抱き上げ、幸せそうに笑う、あの女の姿があった。
自分からセオドアを奪った憎き女。
(許さない、許さない、許さない!!)
聖女はその日から魔女となった。
自分からすべてを奪い、自分だけ幸せになった、あの女をどうやって地獄に突き落としてやろうか。そればかり考えていた。過去の記憶をたどり、一年かけて毒薬を完成させた。
地獄のような苦しみを与えながら殺す、毒薬を。
完成したとき、久しぶりに笑った。心から笑顔になったのはいつ振りだろう。セオドアと笑い合ったあの日以来か。
これをどうやって、あの女に盛るか。
魔女は考えた。そして、ある一つの方法を思いついた。それは、自分の部屋から禍々しい光を放つこと。彼が直接、会いに来るよう仕向ければいい。
予想通り、『何事か』と、彼がやってきた。やっと会えた。――貴方の隣は、私のもの。それにはあの女が邪魔なの。
食事を運んできた侍女に魔力をぶつけて気絶させ、秘密の小部屋に隠した。そして、“変幻の薬”を使って、その侍女に姿を変える。部屋に飛び込んできた彼に『魔女に逃げられた』と伝えた。彼は疑いもせず、捜索に出ていった。
侍女として、あの女に近づく。ちょうど、お茶の時間だったのだろう。セオドアにそっくりな男の子と優雅に談笑している。
テーブルを囲うように流れる温かな時間。幸せな空気。とても眩しかった。自分が欲しかったものがすべてそこに揃っていた。あの席には、自分が座っているはずだったのに。目を閉じ、瞼の裏に思い浮かべる。向かいには愛する彼と、その彼と瓜二つの愛しい息子。
そっと目を開ければ、容赦なく現実が襲う。
このために、今日のこの日のために、用意してきたのだ。血反吐を吐く思いで、やっと。もうすぐ、報われる。――その席に座るのは、私。安心して。貴女の生んだ子どもは、彼の息子。だから私が大切に育ててあげる。
――貴女は、安らかに……なんて、眠らせない。悶え苦しみ、醜く死んでいくがいい。
あの憎き女が自分が入れた紅茶に、口をつける。
思わず、口元を手で覆った。限界まで上がってく口角を止められなかった。
大きな音を立て、ティーカップが床に落ち、破片を散らす。女の顔が醜く歪み、悪魔のような唸り声をあげる。向かいに座る息子は、その様子に大きく目を見開き、震え、怯えている。
――もうすぐ! もうすぐだ。
喉を掻きむしり、その喉から、その爪から、血が滴り落ちる。それは突然、終わりを告げた。パタリとテーブルに伏せ、ピクリとも動かなくなった。
――やった! やってやった!
一拍遅れて叫び声を上げた息子に駆け寄る。目が合うと驚きのあまり、身体が硬直した。セオドアに似た彼の息子は――大神官である彼以上に、神聖力を持っていた。
たった一度、目が合っただけで“変幻の薬”は、いとも簡単に効果をなくし、元の姿を晒した。身体が硬直したまま、動くことができない。それはすべて彼の息子――アルフレッドの神聖力のせいだ。
慌てて飛び込んできたセオドアは、あの女の醜い死体に縋りついた。そして、魔女を拘束させた。
神聖力も魔力も遣えない地下牢で処刑までの日々を送る。すべては、この世界が悪いのだ。
――なぜ、降臨させた? この世界のため?
(……ふざけるな!!)
ただ、幸せになりたかったのに。ただ、それだけなのに。なぜ、こんなことになってしまったのか。
きっと、この世界は、また同じことを繰り返す。次の聖女を降臨させ、また蔑ろにするのだ。それならば、この世界ごと壊してやる。
『この世界に“呪い”をかけよう。次の聖女は、私の意志を継ぐ。壊してやろう、こんな世界など。――永遠に!』
黒い光に覆われた魔女は、黒い霧の中に消えた。
魔女はその命をかけて、この世界を壊す“呪い”をかけた。大神官セオドアはその“呪い”から、この世界を救うべく、神々に祈りを捧げた。
神々はその祈りに応えた。次の聖女が異世界から降臨する前に、同じ異世界から“真の聖女”を召喚させるようにした。その命をかけて。大神官セオドアは自分の中にあるすべての神聖力を注ぎ、光の中に消えた。――すべてを息子アルフレッドに託して。
今、この時の大神官アルフレッドは、父から託されたこの世界を、そして、“真の聖女”を、守り抜くためにここにいるのだ。
「――急げ、二人とも」
アルフレッドは、執務室で囁いた。
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