第20話 もうほっといて。

 噴水での話し合いの後、割とすぐに婚約が破棄されたと聞いた。テオドール本人からは聞いていないけれど。その話になると彼の顔から生気が消えてしまう。きっとあの御令嬢が酷いことを言ったのかもしれない。しばらくは何も聞かず、そっとしておいてあげようと思った。



 そして、昨日の朝。

 彼の気配を全く感じなくなっていた。単に私の力が弱くなっただけかと思っていたのだが、私を迎えに来たのが神官長ケイレブだったことで、やはり、彼に何かあったのだと確信した。


 ケイレブの執務室で読書をしていたのだが、心の中はテオドールのことでいっぱいだった。彼は今、どこで何をしているのか。気になって、仕方がなかった。こんなときに自分の力が遣えないなんて。


 答えてくれるかどうか分からなかったがケイレブに聞いてみると、神殿の外に仕事があり、そちらに行っていると教えてくれた。


 黒髪オールバックに無表情。もしも吸血鬼が存在していたらこんな感じか、という風貌。瞳は青みがかった銀色。目が合ったものを貫いてしまいそうな鋭さを持っている。テオドールの宝石のような美しさの瞳とは対極だ。


 きっと彼も攻略対象なのだろう。年齢は30代だがある意味、整った容姿をしているのに未婚。コアなファンが付いていそうだ。


 それより、彼はいつ戻ってくるのだろう。ケイレブに聞いたら、『分からない』と言われた。神官長なのに部下の仕事の日程が分からないだなんて、そんなことあるのだろうか。――たぶん教えたくないだけだろう。


 思わず、ムッとして顔をしかめると、『聖女様に本を探してくると言っておりましたよ』と伝えられ、彼が私のことを気にかけ、考えていてくれたことに胸がいっぱいになった。



 そして、昨夜。

 ベッド脇に小さな文字を見つけた私は、少しずつ近づいていき、その文字に目を凝らした。そこには『押して』と書かれていた。本当に小さな文字で――それは、この世界の文字ではなかった。


(何で前の世界の文字がこの世界に? それも……この部屋に?)


 不思議に思いながらも『押して』の文字通りその場所を押すと――


 ――ガガガガッ


 少しの音と共に書棚の後ろに小部屋が現れた。


(え……何これ? 隠し部屋?)


 まるでクローゼットのような空間。入口は屈んで人が一人、ギリギリ入れるくらいの大きさだ。

 恐る恐る入ってみると、何かの仕掛けが発動したのか、パッと当たりが明るくなった。


 そこには、小さな机と椅子、そして、何かを書いていたであろう痕跡が残されていた。机の上に出したままの日記帳のようなものをパラパラとめくると見慣れた文字が並んでいる。日付は、今から50年前のものだ。


 読み進めていくうちに、身体が震えだす。自分の身体を自分で抱きしめるように、ぎゅっと、両腕を抱え込んだ。


(何、コレ……どういうこと? 聖女がこの世界に災いをもたらす?)


 その日記には、こう書かれていた。


 この世界には定期的に異世界から聖女としてこの世界に影響を与える存在が降臨する。始まりの聖女がこの世界にない薬を作ったことで祀り上げられ、その後も農作業を広めた者、便利な道具を開発した者、この世界にない調理方法や器具を伝承した者、あふれる知識を持って治めた者。――それが歴代の聖女だった。


 ただ、異世界の文明が栄えてしまうと、それらを超越する能力を持った聖女が現れるのが徐々に難しくなっていった。聖女はお飾りとして権力がある者に嫁がされ、その子孫を残すためだけの者になってしまった。


 “聖女の子孫”の称号は時の権力者たちの争いの種となった。それゆえ神殿が聖女を管理し、来る災厄を浄化させるという名目で聖女を守っていたのだ。


 50年前。この日記を書いた聖女は、自分が知ったことのすべてを今後、この世界に来た聖女に残したかったと書いていた。


 ――私は……何の役割も持っていなかったんだ。


 それならば、なぜこの世界に来てしまったのか。災厄など起きはしない。むしろ、聖女という自分の存在こそが“災い”だというのに。


 物語の中でもゲームの中でもなかった。創られた世界ではなく、これはまぎれもない現実だ。今までこの世界に来た大勢の聖女たちが残してきたものがただ伝承されていただけだった。ここには攻略対象も悪役令嬢もいなかった。


 エレナは一晩中、泣き腫らした。



 そして、今朝。

 やはり自分はテオドールと出会うためだけにこの世界に来たのだという確信を持った。災厄もなく、浄化も必要ない。それなら私は彼と出会う運命だけのために、この世界に来たのだと結論づけた。


(一刻も早く彼に会って、婚約してもらおう。まだ周囲に自分が真実を知ったことを知られていない、今のうちに)


 そう思い、今日は自分から会いに行こうと部屋を出た。その途中で、今日もまた自分を迎えに来たというケイレブと出くわした。だから、テオドールはどこかと尋ねた。今日は彼と行動を共にしたいと。


 ケイレブの答えは『今日も不在』だった。こんなに寂しい思いをしているのに。好きな人の近くにもいられない。そもそも聖女なんて必要ないのになぜ自分がこんなところでこんな目に合わなければならないのかと、沸々と怒りが込み上げてきた。


「ちょっと!! どういうことなのよ!?」


 金切り声を上げて、神官長ケイレブに詰め寄る。それでもケイレブは顔色一つ変えず、いつものように人差し指で、くぃと銀縁の眼鏡を押し上げた。


「テオドール様は、私の専属神官でしょ!? 一日だけならまだしも、二日も不在にするなんてあり得ない!! 今すぐ連れてきて! 早く!!」


 ケイレブが声を荒げる聖女に、鋭い瞳を光らせ、冷ややかな視線を向ける。


「このような場所で声を荒げるのは、どうかと思いますが」


 相変わらずの無表情で聖女から視線を逸らさずに口だけを動かす。


「お話は執務室にてお伺いいたしますので。場所をご移動いただければ、と」


 クルリと聖女に背を向け、自分の執務室に向かいスタスタと歩き出す。エレナはその背中を睨みつけながらも、今さらこの場の人垣と空気の重さに気がつき、黙ってついていった。



 ◇◇◇◇



「ねぇ、リヴィ?」


 テオドールの声にオリヴィアは顔を上げた。

 エミリアの入れてくれた大好きな香りの紅茶を、朝食後のお菓子と共にいただいていたのだが、隣で原稿に目を落としたままのテオドールに呼ばれた。


「これは……リヴィの話じゃないよね?」

「テオもそう思うの?」

「……“も”?」


 後ろに立っていたエミリアがクスリと笑った。


「え? もしかして、エミリア“も”?」

「ええ。最初はそう思いました」


 エミリアは優しい瞳をオリヴィアに向けた。


「でも……違うと思い直しました。お嬢様に否定されたというのもありますけど。この物語のお姫様はとても強いお方ですね」

「どういう意味?」

「お嬢様は、この物語は“願望”だとおっしゃいました。このお姫様のように強くありたいというお嬢様の“願望”なのではないですか? ご自分にできないことをこのお姫様にはやってほしい、と」


 テオドールは視線をオリヴィアへ移す。


「たぶん、そうね。私の分も強くなってほしかったのかも。私は“一人でも大丈夫”ではなかったから」

「じゃあ、本当は放っておいてほしいの? この話のお姫様のように」


 どこか寂しげに眉を下げるテオドールについ微笑んでしまう。この街に来た頃の自分だったら、正直『もうほっといてほしい』と言っていただろう。海のお姫様の物語を思い出し、ここでテオに会って、自分と一緒にいる未来を当たり前のように話してくれる彼に、やっぱりこの先もずっと彼の隣にいたいと思ってしまった。


 彼ならどの交差点で誰と出会っても、きっと私の手を選び、繋いでくれる。同じ道を選び、同じ歩幅で私の速さに合わせて歩いてくれる。同じ方を見て、その先にある同じ未来を見つめてくれる。もし彼がよそ見をしたら、繋いだ手を引っ張ればいい。――こっちを向いて、私を見て、と。


 きっと前世の自分にも足りないところがあったのだと思う。気持ちを伝えることを諦めていた。相手が合わせてくれるのを待っているだけだった。自分から合わせようとしていなかった。それに気づかせてくれたのも、テオだ。


(私は、きっとずっとテオには敵わない)


「ううん。ずっと一緒にいたい。ずっと笑い合っていたい。ずっと“いつも幸せ”でいたい」

「……リヴィ……」


 突然、ガタリと席を立ったテオドールが、ガバッとオリヴィアを抱きしめる。いつも通りの展開に、エミリアは『はぁ』と、半ば呆れたようにため息をつき、クルリと後ろを向いて微笑む。

 急に抱きしめられたオリヴィアは、いつもと同じ苦しさに幸せを感じながら、テオドールの背中を『ギブアップ』を伝えるべく、ペシペシと叩く。


「今のはリヴィが悪い。少しくらい我慢してよね」


 抱きしめる力が強くなる。テオドールの胸に押し付けている耳に規則正しいが少し速いテンポの鼓動が聞こえる。その心地良さに目を閉じる。


「リヴィ。僕と結婚して」


 耳元で聞こえた声に目を開けた。聞き間違いではないだろうか。何か、すっ飛ばしたような……


「……えぇ? け、結婚!? 婚約じゃなくて?」

「そう、結婚。ダメ、もう待てない。今すぐして」

「えっ、あの、はっ? こ、婚約は??」

「してない」

「……はい?」


(な、何? “してない”って? “しない”じゃなくて? “してない”? 一体……どういう意味??)


「婚約解消、してない」

「「え、えぇーっ!!」」


 後ろを向いていたエミリアでさえも、驚きで振り返り、一緒に声を上げてしまっていた。

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