第19話 想いは見えない。

「そういえば、新しい物語を書いたの?」


 テーブルの中央に置かれた前菜を取り分けながらテオドールが問いかけた。『はい』と差し出された皿をオリヴィアは『ありがとう』とお礼をいいながら受け取った。


「うん。海のお姫様の物語なの」

「へぇ。海のお姫様の物語か……今までリヴィから聞いたことなかったよね?」

「そうだね。この街に来て、思い出したの」

「? ……思い出した?」

「……あ、えっと。昔、子どもの頃に頭の中に思い浮かんだ物語を……ね!」

「ふぅん」


 不満そうな顔をするテオドールに、オリヴィアは慌てて『すぐ忘れちゃったからテオに話さなかったのかも』と取り繕った。


(前世の記憶がある、なんて話せないし……)


 ヘラリと笑ってみせたがエミリア同様、テオにもその手は使えない。わかっているが、ついついしてしまうのだ。テオドールはジトリと目を細めると、口を横一直線に結んだ。


「明日も休みもらってるから。エミリアの次に読ませてね」


 怖いくらいの満面の笑みを向けられ、自然と肩が上がる。まるでヘビに睨まれたカエルのような気分とはこのことだろう。ヘラリ顔は一瞬にして苦笑いに変わっていた。


 海鮮料理を堪能し、お腹いっぱいになった二人は海岸沿いの道を手を繋ぎ、ゆっくりと歩く。もう空は濃紺になっており、散りばめられた星がきらめいていた。


「リヴィ。……婚約解消の理由、他にもあるんじゃない?」

「え……?」


 テオドールの綺麗な紫色の瞳が覗き込んでくる。


「僕に話してないこと、あるよね?」

「あ……の……えっと……」


 今の私は明らかに挙動不審だろう。まさか、不意打ちをくらうとは思ってもみなかった。今、話してしまうべきなのだろうか。――私の前世は、聖女様の世界と同じなのだと。


「……いくらでも、待つけど」

「へ?」

「言ったでしょ? リヴィが言いたくなるまで待つって。でも……その前に僕がわかってしまったら、そのときは僕の想いをしっかり受けとめてよね」


 微笑んだテオドールは『約束したからね』といい、オリヴィアの頬に唇を寄せた。オリヴィアの足はピタリと止まり、目は瞬かせることを忘れ、ポカンとまっすぐ前を向いたまま固まった。今の光景を脳内で巻き戻し再生させているかのごとく。


 ハッと我に返ったオリヴィアは、テオドールの唇が触れた部分に手を当てると顔を赤く染めていく。


「テオーっ!」

「アハハ。ぼんやりしてるリヴィが悪い! それにあの日から一度もできていなかったじゃないか! 僕は不満が溜まってるんだからね!」


 むしろ開き直ったかのように主導権を握られる。テオドールの胸をポカポカとグーで甘く叩くと不意打ちに納得いかないというように頬を膨らませた。


 そんな仕草はテオドールには逆効果であることをオリヴィアは知らない。デレッと表情を崩し、余計締まりのない顔になった。


「むしろ僕は、こっちにしたかったんだけど」


 そういうと、オリヴィアが頬に当てていた手の上から包み込むように自分の手を添えて、親指で唇をなぞった。


 その妖艶な仕草に“この人は本当にテオなのか”とオリヴィアはさらにカチコチに固まる。そんな状態のオリヴィアを見て、テオドールの我慢は、限界に達した。


「あー、もう! 本当に可愛い!!」

「うっ、テオ……ぐるじい……」


 いつかのようなやり取りと、ぎゅうと抱きしめる腕の強さと、安心する香りに包まれたオリヴィアはひとときの幸せに浸っていた。



 ◇◇◇◇



 ――翌朝。


 神殿に響き渡る甲高い声に神官たちは『何事か』と集まっていた。その中心にはヒステリックに叫ぶ聖女エレナの姿があった。


「ちょっと!! どういうことなのよ!?」


 金切り声を上げて、神官長ケイレブに詰め寄る。それでもケイレブは顔色一つ変えず、いつものように人差し指で、くぃと銀縁の眼鏡を押し上げた。



 ――昨夜。


 夕食と湯浴みを済ませたエレナが聖女専用の部屋へと戻り、ソファでくつろいでいると、ふとベッド脇に小さな文字のようなものを見つけた。本ばかり読んでいて、そんなところをぼんやりと眺めたこともなかったため、今まで気がつかなかった。




 この世界に来て、心細くて、寂しい想いを向けるところがなく、不安だったとき、いつも近くに神官のテオドールがいてくれた。穏やかで、優しくて、優秀。同じ歳の上に、容姿も整っているイケメン。いつの間にか、ずっと彼のことを考えていた。

 そして、ふと気がつくと、彼の行動や気配を感じ取れるようになっていた。


(あぁ。きっと運命なんだわ!)


 自分がこの世界に来たのも、彼と出会ったのも、きっと二人が結ばれる運命だったから。だから離れていても彼のいる場所を感じとることができるし、何をしているのか、目を瞑れば視えてくる。この力も絶対に――彼と私が結ばれているから。

 胸が熱くなった。もう彼以外、考えられない。


 彼からこの世界の文字を教えてもらうようになると、二人きりの時間が増えた。執務中の彼をそっと眺める。目鼻立ちの整った顔に、神秘的な紫色の瞳。ドキドキと鼓動が高鳴る。不意に、その美しいアメジストのような瞳に私が映る。鼓動が止まりそうになった。


 手を止め、『何か、ございますか?』と聞くその声に脳が痺れて溶けそうになる。『いえ』と首を振ると、タイミング良くお昼の鐘が鳴る。


 休憩中なら他の話もたくさんできるかも、とワクワクしていると、テオドールは一人で席を立った。当然、自分も一緒だと思っていたのに突然、『婚約者がおりますので、仕事以外の時間は他の女性と二人でいることはできません』と言われた。――頭が、真っ白になった。


(私はこの世界にあなたに出会うために来たのに。それが運命なのに……そうよ。私は聖女なの! この世界を救えるのは私しかいないんだから! 聖女の専属神官にさせることができたのだから、婚約者にしてもらえばいいのよ。でもそれには婚約破棄が必要よね……)


 まずは相手がどんな人なのか調べる必要がある。もし俗に言う形式的な婚約者ならば簡単に破棄してもらえるだろう。

 何せ相手は救国の聖女なのだから。


 聞けば『ごく普通の女性』とのこと。しかも『そこまで仲が良いわけではない』と。ならば好都合。婚約破棄など簡単に話が纏まる。婚約者の女性にしても、相手が聖女だとわかれば、身を引くだろう。善は急げ――そう思って、すぐに呼び出したのに。


(相手は子爵令嬢? 手続きに時間がかかる? 何それ? その顔……絶対にテオドール様を慕ってるじゃない。婚約破棄したがってる相手に纏わりつくなんて……みっともない)


 テオドール様は優しすぎる。相手の家柄にも気を遣い、さらにご両親にまで丁寧に対応する。こんなに素敵な人と婚約できるなんて――私は何て幸せ者なのだろう。


 初めてこの世界に来て良かったと思えた。


 それなのに。いつまで経っても婚約破棄が成立しない。つい苛立って、テオドール様に声を荒げてしまった。それでも困ったように『相手の家柄もあり、無下にはできません』と優しく伝えてくれた。どんな私でも広い心で受けとめてくれる。そんな彼のことがますます好きになった。


 お昼時間にふと嫌な予感がして、テオドール様の気配を辿ると中庭の噴水の向こう側にあるベンチにテオドール様を見つけた。嫌な予感は当たり、婚約者の令嬢と一緒にいる。噴水の水の音で何を話しているのかは分からないが、テオドール様が酷く困惑しているようだった。


(婚約破棄を受け入れずにテオドール様を困らせているのね……なんて身勝手な人!)


 しかも、ガッチリ手まで握っている。私は、あの婚約破棄を伝えたときにしか触れてないのに。本当にはしたない。子爵令嬢とは聞いて呆れる。


 この世界に来て、“異世界転移”なんて物語の中のお話だと思っていたのが現実にあり、婚約者の子爵令嬢なんていうのが本当に存在するのだと、身を持って知った。


(あれ? ちょっと待って。これって……まさか)


 転移前の世界で読んでいた物語に似ている。昔から本が大好きでよく図書館へ行っては、片っ端から読んでいた。この世界で初めて似た童話を読んだときは、懐かしくて少し涙ぐんでしまったくらいだ。


 前の世界とは似ても似つかないこの世界で、同じような童話があるなんて、と不思議に思っていたのだが、今、思い浮かんだことの可能性が高いなら、辻褄が合う。


 この世界は――創られた世界だ。

 

 所々知っていることや見たことのあるもの、食べたことのあるものなどが点在しているのは、何かの物語の中に転移してしまったから。最初は、あの本の物語を書いた人が自分と同じ転移者なのではないかと思い、会いたいと探してもらっていたのだが、自分が主人公の物語やゲームの中に転移したのなら話は別だ。どう考えても、スパダリのテオドール様は攻略対象だし、周りにもそれらしき対象が何人かいる。


 そうとわかれば、自分の目の前にいる攻略対象の婚約者である子爵令嬢は、主人公の恋を邪魔する、いわゆる“悪役令嬢”ではないか。


 テオドール様が二人で話したいというから、納得はいかなかったが、彼の執務室で待つことにした。でもそれ以降、彼の気配を感じることも、姿を視ることも上手くできなくなってしまった。

 もしかしたら、この世界のことを知ってしまったのがいけなかったのかもしれない。身近に感じられていた彼を感じ取れなくなってしまって、寂しさと苛立ちが募る。


 彼を感じられなくなったからか、周りの目が気になるようになった。最初に向けられていた視線とは種類が違うように感じる。それは彼の執務室に来た神官長ケイレブが言っていたことが理由なのだろうか。


『勉強も結構なのですが。聖女としての職務を皆に見せることも必要かと思います』


 笑顔一つない淡々とした低い声が響く。彼が大神官様に呼ばれたということで、この後の時間はケイレブが付くと伝えられた。さっそく神殿での仕事をさせられた。


 神殿の内部には幾つもの泉があり、その一つ一つが各地方に点在する泉や教会にある親水池と繋がっている。その泉に神聖力を注ぎ、その地域に住む者たちの神聖水として、病気や怪我などの治癒に利用しているのだ。


 エレナも何度かこの仕事をしたことがあるのだがとても力を遣う。疲れ切ってしまい、身体がだるくなるのだ。だから、本来であればやりたくない。

 しかし今は、他の神官たちの目も気になっているため、やるしかない。


 ふらふらになりながら部屋に戻り、ベッドに身体を預けるとすぐに夢の中へと落ちていった。

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