第14話 嫉妬のお相手は?

 お腹いっぱい新鮮な海の幸を堪能したオリヴィアは、今日から宿泊する予定の施設へと歩いていた。リゾート地だけあり、いろんな種類のお店が所狭しと軒を連ねている。お店を見て回るだけでルンルンと気持ちが明るく跳ねる。


「ああ、こちらですね!」


 エミリアが指をさしたその先に、白を基調とした綺麗な洋館のような造りの建物が圧倒的な存在感を放っていた。


(まぁ……仕方ないか。子爵令嬢がそのへんの宿屋に泊まるわけにもいかないし……)


 本当はネーレイスに行きたいと言った時点で両親は海沿いの別荘をまるっと買い取ろうとしていた。

 ――もちろん、全力で拒否したのだけれど。


 別の世界を生きた記憶がある私は、ふらっと気軽に旅行する気分でいたのだ。行った先で宿を決めると言った私に両親は、せめて宿泊施設だけは事前に用意させてと懇願された。私は――今の自分の身分をすっかり忘れていた。


 荷物を載せていた馬車は先に到着しており、既に部屋の中に運び込まれていた。従業員に案内された部屋に入るとエミリアはテキパキと荷物からポットやカップなどを取り出し、あっという間にお茶の準備を整えた。さすが、有能侍女。私がお茶を飲んでいる間に他の荷を解いていく。


 紅茶の香りにホッと息をつくと、私も動き出す。執筆のための題材も思いついたし、さっそく備え付けの机に向かい、筆を執った。


 宿泊施設というには、どこか貴族の屋敷のような部屋の造りで、屋敷にいるのとそんなに変わらない居心地だ。多分、ここは貴族専用の宿泊施設なのだろう。――まぁ、大抵の場合、別邸とか別荘とかを所有しているから、そちらを使うのでしょうけど。一時的な滞在なら、このような施設で充分だ。――むしろ、宿屋に泊まりたかった。この世界の普通の暮らしも見てみたかったし、体験したかった。


 そんなことを考えていたのも一瞬で。執筆に没頭してしまえば、その世界の中に入り込んでしまう。私の頭の中で物語の登場人物たちがそれぞれの想いや考えのもと、動き始める。まるで、目の前で映像が再生されたかのように。


 そうなると止められない。時間はあっという間に過ぎていき、ふと気がついて顔を上げ、現実の世界に戻ってくるとあたりはもう薄暗くなっていた。


「あぁ……えっ! もうこんな時間!?」


(せっかくの旅行初日が半日部屋の中に籠もりきりなんて……贅沢すぎでしょ!!)


「お嬢様。夕食はいかがなさいますか? こちらにお持ちいたしますよ。それとも外食されますか?」

「そうね……今日はここでいただこうかな」

「かしこまりました」


 まだ初日だ。お昼は外で食べたのだし、夜はもう外には出ずにゆっくり過ごそう。午前中いっぱい、馬車に揺られ、自分が思うよりもずっと疲れていたのだと思う。ただでさえ、メンタルやられている上に、執筆にまで没頭してしまったのだから。


(今日は、早く湯浴みして眠りたい……)


 明日こそ一日中、街をふらふらしてみよう!海岸にも行ってみたい。砂浜にも波打ち際にも行って、海水に足をつけたい。


 エミリアの用意した夕食を食べ終わるとすぐ寝るための身支度を整え、ベッドにするりと身体を滑り込ませた。



 ◇◇◇◇



 一瞬で眠りに落ちた主に、侍女は愛しそうに目を細めた。


 ――お嬢様が教会に行った日。


 戻ってきたお嬢様はまるで憑き物が落ちたようにスッキリした様子だった。やっぱり間違っていなかった。祈りを捧げることはお嬢様にとって、必要なことなのだと確信した。


 お嬢様は戻るなりすぐに神殿に向かって行った。

――と思ったら、すぐにぼんやりとふらふらした足取りで帰ってきたのだ。


 また何かあったのか、と案じていると、預かった手紙のことを聞かれた。間違いなく、会っていたのは彼だ。大切なお嬢様を一度ならず二度までもあのような状態で帰すとは――やはり、許せない。


 そう思い、覗き込んだ手紙の内容に驚愕した。


 婚約解消は間違いだったのだと。私が早く渡さなかったために、お嬢様をさらに長い期間、苦しめてしまった。申し訳なさと共に取り返しのつかない後悔が襲ってくる。涙を流す私を困ったようにオロオロと慰めるお嬢様が不謹慎だが、とても可愛くて。――ただ、彼女が言った内容が信じられず、驚きのあまり涙も笑みも奥に引いていった。


『私ね、婚約を解消しようと思うわ』


 ――あんなに泣いていたのに?


 理由がわからないまま、あっという間に、二人の婚約は解消され、今に至る。


 でも、今日一日を一緒に過ごして理解した。本当は婚約解消などしたくないのに、しようとしていること。今までの記憶や想いを忘れることなどできるはずないのに、忘れようとしていること。


 ずっと大切に肌身はなさず持ち歩いている、あの押花の栞。――あれを一緒に作ったのは、私だ。


 幼いお嬢様が初めて顔をほころばせて帰ってきたあの日。小さな両手で大切そうに握られていた花。彼女の笑顔が嬉しくて、私はその花をどうにかして永らえたかった。その花を見て、いつでもその笑顔になれるように。


 そのまま生けては、いつか枯れてしまう。それならば、押花にしてはどうか。それをお嬢様に提案するとパァッと瞳を輝かせてくれた。その反応にますます嬉しくなった。


『栞にするのはいかがでしょう? 本を読むのがお好きなお嬢様にはピッタリではないですか?』


 その言葉にいつもの苦笑いは、一瞬にして笑顔になった。一緒に作った。ぷにぷにとした幼い手では細かいところまでは上手くできない。それをお手伝いできることに幸せに感じた。ぎこちない手つきで真剣に黙々と作業する。


 あんな幸せそうなお嬢様の顔を初めて見た。あの花を渡したのは一体、誰なのだろう。嫉妬にも似た感情が湧き上がる。――これは、ただの行き過ぎた忠誠心だ。


 お相手は神官長様のご子息。それなら、納得だ。幼い二人が手を取り合って遊んでいる姿は、この上なく微笑ましい。いつもは苦笑いのお嬢様も、自然な笑顔を向けている。彼女が心を許すのは今までもこれからもきっと彼だけなのだ。


 あの栞が、あの花が、お嬢様の顔を苦笑いにさせてしまう日がくるなんて。思ってもいなかった。


(そんなに苦しんでいるのに、忘れられるはずないのに、なぜ婚約解消などするのです? お嬢様)


 時々、ヘラリと頬を緩める寝顔に、クスリと笑いを漏らし、小さなため息を吐いた。

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