第12話 自由に生きよう!
(やっぱり……あの話は実体験だったのだろうか)
オリヴィアに婚約解消を取り消すことを保留にされ、背を向けられたテオドールは、そのことをまた思い出していた。
突然の大神官様の呼び出しに、一旦は忘れていたオリヴィアとの婚約解消の件が一人になった途端、また頭を悩ませる。
大神官様の計らいで今日、聖女は神官長ケイレブと共に行動している。たまには聖女らしい仕事をしてもらわなければ、他の者たちからの不満も募ってしまう。最近は聖女自身も周囲の自分に向ける目が変わってきていることにうっすらと気がついているようだった。そのためそれを効果的に利用できた。
足早に父イシュメルの元へと急ぐ。
――コン、コン。
父の執務室をノックすると、すぐに『どうぞ』と優しい声が聞こえた。ガチャリと開いた扉の奥に、机に向かう父イシュメルが仕事の手を止め、顔を上げて微笑んでいた。
サラリと長い銀髪を後ろで一つに束ね、ふわりと微笑む父は大神官様とはまた違った形の神々しさを纏っている。大神官様が有無を言わせない威厳ある偉大な感じだとすると、父はすべてを包み込むような慈愛に満ちた感じである。
父は、養父だ。実の両親は5歳の時に他界した。持ち前の神聖力の高さが幸いして教会に預けられ、そこから神殿に移された。そのあとすぐに、神官長イシュメル・ハンネスの養子となった。何の繋がりもない自分を本当の息子のように、いや、それ以上に大切に育ててくれた。そんな父を心から尊敬し、頭が上がらない。
イシュメルが応接用のソファへと移動する。それに慣れたようにテオドールも続いた。
この部屋に入るもの久しぶりだ。例の聖女が現れてからというもの、制限が多く、自由に行動できなかったからである。
お互いに向き合うように腰掛けると、ふと何かに気がついたテオドールは顔を上げた。
「ねぇ、もしかして……リヴィが来てた?」
イシュメルは驚いたように目を瞬かせると、すぐふにゃりと顔を緩める。
「ははっ。さすがだね、テオドール。うん、来ていたよ。もう帰ったけどね」
「えぇ……」
ガックリと肩を落とすテオドールにイシュメルは口元を隠しながらクスクスと笑った。
「リヴィは……父上に何か言ってた?」
「うん。話は聞いたよ。大神官様からもね」
テオドールは肩を落としたまま、視線を床に向け俯き、顔をしかめた。ぎゅうと両手を膝の上で握り締める。そんな息子に父は優しい瞳を向けた。
「あまり衝撃を受けずに聞いてほしいのだけれど」
父の声に顔を上げたテオドールはその優しい瞳をまっすぐに見つめた。“衝撃を受けずに”なんて前置き、意味がない。悪い話が始まる覚悟を決めるしか選択肢はないのだ。
「さっきオリヴィアから正式に婚約解消の申し出を受けたよ」
頭を何か鈍器のようなもので殴られたかのような衝撃を受ける。心臓は急速に鼓動を速め、今にも喉の奥から飛び出してしまいそうだ。頭がガンガンと痛む。視点が定まらず、父の瞳をまっすぐに見返すことができない。
「まぁ、無理もないね」
イシュメルは眉尻を落とすと小さく息をはいた。息子が大打撃を受けることは想定の範囲内。だから前もって忠告したのだが、それが彼にとって無意味なことであるということもまた分かっていた。
「ただ……オリヴィアの意図が分からないのだよ。だから私も、オリヴィアのご両親と話してね。少し様子を見ることにしたんだ」
「え……? 一体、どういうこと?」
「マイルズの話だと……どうも最近、オリヴィアの様子がおかしいようなんだよ」
マイルズとはオリヴィアの父だ。マイルズ・エイベル子爵。イシュメルとは昔からの友人でもある。その関係でテオドールとオリヴィアは出会うことができたのだ。
「様子が……おかしい?」
「……うん。テオドールと婚約を解消して、どこか遠くに行きたいと言い出したようなんだ」
「はぁぁ!? 何だよ、それ!」
イシュメルは苦笑いして、ガタリと腰を浮かしたテオドールをなだめるように『まぁまぁ』と、落ち着くよう促す。
「だから、オリヴィアを呼んだんだよ。直接、話を聞こうと思ってね」
にっこりと微笑むと、少し落ち着きを取り戻したテオドールが腰を下ろした。続きをせがむように前かがみになる。
「それで? リヴィは、何て?」
「ちょっといろんな世界を見てみたいんだってさ」
「……え?」
「テオドールとの婚約解消の話が出てから、色々とよく考えてみたそうだよ。そうしたら、自分がまだ見ていない世界がたくさんあるんじゃないか、と思い始めたんだって」
「……えぇ。何それ……」
(それで、あんな本まで書いたのか? 今までとは違う世界を知ってみたくて?)
そう考えたら、やはりあの話は彼女が実際に経験したことなのかもしれない。オリヴィアが他のことに目を向けるようにさせてしまったのは、自分だ。身体がガタガタと震えだす。
テオドールのその異常な反応にイシュメルは目を見開いた。
「テオドール? 大丈夫かい?」
細かくブルブルと震えて、真っ青な顔をしているテオドールにイシュメルは席を立ち、寄り添うように横に座り直した。
「とにかく婚約を解消はしない。ただオリヴィアや対外的には婚約を解消したことにしておく」
「え?」
「聖女様の件もあるからね。テオドールには本当のことを伝えておくよ。そのほうが執務に集中できるだろう?」
やっと顔を上げて視線を合わせたテオドールに、イシュメルは片目を瞑ってみせた。
「大丈夫。心配しないでいいよ。オリヴィアのことは私たちで守るからね」
「“私たち”?」
「そう。大神官様とケイレブ、そしてオリヴィアの両親と私――もちろんテオドール、君もだよ?」
背中にそっと置いていた手をゆっくりと動かし、なだめるように優しく擦る。
「皆で守ろう、オリヴィアを」
イシュメルの優しい声に安心したテオドールは、唇を噛み締めながらコクコクと頷いた。
◇◇◇◇
両親に婚約解消をしようと思っていると伝えるとイシュメルから呼び出された。
少し前から“会いたいな”と思っていたが、まさかこんな形で会うことになるなんて。つい苦笑いしてしまった。
シンプルな家具で揃えられ、落ち着いた雰囲気の執務室は、その部屋の主を思わせる。神殿に、二人しかいない神官長の一人。彼の執務室に入るとすぐオリヴィアは話を切り出した。
「両親から話を聞いたのよね? ……婚約解消の」
フカフカした応接用のソファに座るイシュメルは少し困ったように眉を下げた。
テオドールの父であり、私の両親と友人でもある彼は父親とはいっても、まだ30代。前世の私からしたら、まだまだ充分に若い。さらには見目麗しい。
前の世界だったら、彼は俳優にだって、アイドルにだってなれただろう。
もしかしたら私の“最推し”になっていたかもしれない。――そう考えると、彼の困った顔はちょっと複雑だ。私は“推し”にそんな顔をさせたかったわけじゃない。
「オリヴィアは……なぜ、テオドールと婚約を解消したいの?」
イシュメルの顔が困った顔から寂しそうな顔へと変化する。――私は、彼のその顔を知っている。
前に一度、イシュメルから“神官にならないか”と言われたことがある。そのときに私が答えた言葉を聞いてした顔と同じだ。
あのとき――私は“少し考える”と言ったのだが、イシュメルは気がついていた。本当は、私に神官になる気など少しもなかったことに。
もしかしたら、今回も既に見抜かれているのかもしれない。――それでも、私はつき通さなければ。婚約解消をする気など少しもないことに、気づかれないように。
「もっともっとたくさんの世界を見てみたいの! 知りたいの! 私にはまだまだ時間があるから!」
――テオがプレゼントしてくれた時間が。
私はその時間を無駄にしたくない。消えてしまうはずの時間を、あの18歳の誕生日に与えてくれた。
私が“悪役令嬢”だというのなら、私は誰かさんのお望み通り“悪役”に成り下がろう。
――思うまま、気が向くまま、自由に!
私の思う“悪役令嬢”を生きてみようではないか!
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