第11話 聖女伝説の真実。

「やぁ。来たね、テオドール。そこに座って?」


 ――大神官の執務室。


 一生に一度も入ることができない神官の方が多いというこの場所に、今、何故か自分が立っている。多分、神官長である父イシュメルならば、この部屋に入ることはあるのだろうが。上位神官といえど、まだ神官になって一年も満たない者が入れる所ではないことくらい、日が浅い自分でも分かる。


 大神官アルフレッド・ベネディクトは長く美しい白髪をサラリと流し、優雅な立ち振舞で自分の前のソファまで移動し、腰掛けた。


「さて。君に聖女専属神官を任せてから約1ヶ月とちょっと経ったのだけれど……職務はどうかな?」 

「……どう、とは?」


 にっこりと微笑む顔はまるで神様といっても過言ではないほどだ。漏れ出るオーラが半端ではない。


 昨日、オリヴィアから“婚約解消の取消の保留”を聞いてから、いろいろなことが頭に浮かび、少しも眠れない夜を過ごした。


 もしかしたら、あの本の話は事実で、その相手と一緒になるために婚約を解消したいのではないか、このタイミングであの本を出版したことに何か意味があるのではないか、と。


 そのまま朝を迎えてしまった寝不足のテオドールに『大神官様がお呼びだ』と、もう一人の神官長であるケイレブ・プレストン様から伝えられた。

 ――そして今、ここにいる。


「テオドール。君は婚約者であるオリヴィアと婚約を解消して聖女と婚約するつもりなの?」

「え? は? いえ! そんなつもりは全くございません!!」


(誰にも言ってないはずなのに、なんで大神官様がそのことを知ってるんだ? ……まさか聖女が直々に頼んだのか?)


 そうなってしまえば、婚約解消の指示に従わざるを得なくなる。身体中から嫌な汗がジワジワと吹き出すのを感じていると、テオドールの思考とは裏腹に大神官様はその答えにどこか少しホッとしたように目を細めた。


「そうだよね……テオドールは昔からオリヴィアのことが大好きだものね。それを聞いて安心したよ」


 神々しいオーラを放ち、ふわりと微笑む。しかしその顔は一瞬にして凍てつくような真顔に変わる。


「万が一リヴィを裏切るようなことがあれば、許さないよ? 分かっているよね?」


 テオドールは驚き、目を大きく見開いた。


 オリヴィアは幼い頃からずっと神殿に通い、祈りを捧げている。だから、他の神官や神官長である父イシュメルとの接点は多くあった。――のだが、大神官様と会ったことはそんなに多くはないはずだ。


 それなのに、なぜオリヴィアのことを“リヴィ”と呼び、“何かあったら許さない”と大神官様直々に手を下すと警告するほど大切にされているのか?――そして、なぜ昔の自分の彼女への想いを知っているのか?


 テオドールの頭の中が筒抜けであるかのように、大神官は微笑んで、おもむろにその長く美しい髪を後ろで一つに束ねはじめる。その様子を不思議そうに見つめていたテオドールは、先ほどよりもさらに大きく目を開く。


 纏めた髪を紐で結った、その姿に驚愕した。


「アルフじいちゃん!!」


 テオドールはつい大きな声を上げていた。


 長い顎髭を撫で『フォッフォッフォッ』と笑う姿に昔のやりとりを思い出す。


 神殿には使えない期間がある。その間は神殿から少し離れた教会に、テオドールは預けられていた。その期間は、養父であるイシュメルも目が回るほど忙しく、まだ幼いテオドールの面倒を充分に見てあげることができなかったからだ。


 預けられたからといって、テオドールは寂しくなかった。その教会には神殿に祈りに行けなくなったオリヴィアも通っていたし、そして何よりもアルフじいちゃんがずっと一緒にいてくれたからだ。


「え? あっ、アルフじいちゃんが大神官様!?」

「そうじゃ。ま、こちらの姿は“変幻”じゃがの」

「おっ、おおぉ……」


(あれ? でも何で婚約解消のこと、知って……)


 まさに今、考えていたことの答えをアルフじいちゃん――もとい、大神官様は話し始めた。


「リヴィが教会に来ての。テオ、お前に婚約を解消すると言われたとしょぼくれておったよ」

「しょぼくれ……」


 初めて出会った日に一人寂しそうに肩を落としていた、まだ幼い姿のオリヴィアを思い出す。ふっと顔が緩む。そして、その時点ではまだ、しょぼくれてしまうほど自分との婚約解消を悲しんでくれていたのだと、胸が熱くなった。



「さて。テオからも話を聞こうかの。こちらの姿の方が話しやすいじゃろ?」


 そういうと悪戯にニヤリと笑った。テオドールはそんな大神官様に苦笑いを向ける。


 今までの経緯をまさに昨日、オリヴィアに説明したのと同じように話す。黙って聞いていた大神官様は一通り聞き終わると、口を開いた。


「なぜ周りに助けを求めなかったのじゃ? お前の側にはイシュメルもおるじゃろ?」

「考えたよ。でも聖女の力が思いの外、強かった」

「……何じゃと?」


 テオドールは複雑そうな顔をして、俯いた。


「ならば……わしの質問に答えてくれるかの?」

「え?」

「テオは聖女をどう考えておるのじゃ?」

「どうって……?」

「何か感じるか? ……リヴィに感じたように」

「……えっ?」


(何で……それを?)


 テオドールの神聖力は、生まれつきとても強い。それが意味するのは――


「テオ。“聖女の伝説”は知っておるな?」

「え、ええ。はい」

「皆が知っている話と、真実は……違うのじゃ」

「えぇ? では……本当はどんな話なのですか?」


 蓄えられた顎髭を撫でながら『うむ』と視線を落とす大神官の様子にそれはあまり良い話ではないということが分かる。真実が変えられて伝わっている時点で隠したい何かが存在していることは確かなのだ。


「災いを起こすんじゃよ。異世界から来た聖女が」

「えぇぇっ!?」

「聖女自体が災いの元なのじゃ。ただ、それをそのまま伝えてしまうと……何が起こるか、言わずとも分かるじゃろ?」


 テオドールはゴクリと唾を呑み込んだ。


 もちろん大神官様が言いたいことはすぐに理解できた。もし真実がそのまま伝えられていたとしたら――聖女は異世界から転移してきた時点で排除されていただろう。何も知らされずに。


 テオドールはぶるりと身体を震わせた。


「ただ……救いはあると思っておる」

「ええっ? それは……どういう?」


 大神官様の顔が真顔に変わる。その方法はきっと気が進まないものなのだろう。そして、何だかとてつもなく嫌な予感がする。


「もう……気づいておるのじゃろ?」


 テオドールは唇を噛み締め、眉間に皺を寄せた。

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