第9話 誰が悪役令嬢か?

「一体、いつになったら、婚約破棄するつもりなのですか!?」


 苛ついた声が執務室に響き渡る。甲高い声に頭の中でキーンという音が反響するのをこめかみを抑えながら耐える。


「申し訳ございません。……ですが、家柄のこともございますので、無下にはできないこともご理解いただければ」


(本当なら、紙切れ一枚で何とでもなるけど)


 ――そんなこと、絶対にさせない。




 ゴーン、ゴーン、ゴーン……



 タイミング良く、午後0時の鐘の音が鳴り響く。


 昼休憩を取るため、静かに席を立つ。婚約解消の話が出てからはこの時間だけはわりと一人にさせてもらえる。例え、聖女がごねたとしても、強制的に一人になる方法はいくらでもあるのだが。


 神官専用の食堂へと足早に向かう。そこなら人目も多く、神官専用ということもあり、聖女が苦手としている場所の一つである。


 食堂へ一歩、足を踏み入れたテオドールは目の前に広がる光景に驚き、目を大きく見開いた。ゴクリと唾を呑み込み、我に返るとピタリと固まったままの足を大きく動かし出した。


 久しぶりに見かける珍しい訪問客にそのテーブルの一角はざわついていた。取り巻く人垣を掻き分けるようにしてテオドールはそのテーブルまで歩みを進める。


 それに気がついた久しぶりの訪問客はテオドールの姿を確認すると、花が咲いたように微笑んだ。

 久しぶりの笑顔にこれは夢かと目をこする。それでも消えない笑顔に足取りは速くなっていく。


「リヴィ!!」


 ここにいるほとんどの神官たちは昔の彼女を知らない。神殿という神聖な場所であっても俗のような事柄は存在する。彼女が神殿ここでなんて呼ばれていたかを知っている者は、ほぼいない。


 だから、婚約者として防制していたというのに。


 神官たちに囲まれ、縮こまり困ったように苦笑いしているオリヴィアの目の前まで来ると、いつもと変わらない、どこかホッとしたような笑みを向けてくれた。――自分にしか見せない笑顔。テオドールはずっと昔からそれに気がついていた。


「どうしたの? 何かあったの? 手紙は読んでくれた?」


 矢継ぎ早に質問するとオリヴィアは眉尻を下げ、『まぁまぁ』と両手を胸の前で開いて見せた。


「えっと……場所を変えてもいいかしら?」

「え、あっ、うん!」


 オリヴィアは音も立てずに、ふわりと優雅に立ち上がる。さすがは子爵令嬢だけある。


 年々、美しさを増し、“可愛らしい”から変化していくのをずっと側で見ていた。神殿でも密かに慕う者も多かった。ただ彼女の側にはいつも自分か神官長である父の姿があったから誰も近づかなかっただけだ。周りに誰もいなければ、おのずとこうなる。


 見せつけるようにオリヴィアの手を取るとまるでエスコートをするみたいに歩いていく。

 人気のない中庭まで来ると、ベンチにハンカチを引き、『座って?』と促すとオリヴィアは、少しはにかんで『ありがとう』と目を細めた。――ドキドキと胸が高鳴る。


 オリヴィアが座ったのを見届けて、テオドールも隣に腰掛ける。中庭の中央にある噴水からは太陽の光に照らされた雫がキラキラと輝いて舞っている。


 ――二人きりになるのはいつぶりだろう?


 こんなに長く会わなかったことはなかったからか久しぶりに会うと、何だか変な緊張感が湧いてきていた。それでも、今の状況に喜びと幸せを感じている。隣に座るオリヴィアの手に視線を落とす。まだ繋がれたままの手にギュッと力を入れると、彼女は弾かれたように視線を合わせた。


「それで……何かあったの?」


 オリヴィアが神官用の食堂にいることなど滅多にない。彼女がその時間、そこに来るのはいつも自分に会いに来たときだけだった。だから、気がついていた。――自分に会いに来たのだと。


(もしかして、あの本の話か!?)


 そのことにハッと気がつくと、先ほどとはまた別の意味でドキドキと心臓の鼓動が加速していく。


「さっき手紙を読んだかって言ってたけど……受け取っていないわ」

「えぇっ?」


 思っていた話し出しとは違い、ホッとすると同時にまた違った意味で驚く。あの日、泣き疲れて眠っていたオリヴィアを起こすのは気が引けて、侍女のエミリアに確かに預けたはずなのに。


「だから、今まで知らなくて……読んでいないの。ごめんね」

「そうかぁ……って、えっ、ちょっと待って。それならもしかしてまだ婚約解消するつもりでいる?」

「ええっ? 婚約解消はテオから言ってきたことでしょう? 聖女様と婚約するから解消したいのではないの?」

「まさか! 違うよ!! 誰がどう考えたって僕がリヴィと婚約解消するわけないでしょ? 本気にしないでよ。僕のリヴィへの想いの深さにもっと気づいてよね!」


 やっぱり受け入れる気だったのだと肩を落とす。でもこうして会いに来てくれた。だから、今までの出来事すべてを話そう。

 そう思い、口を開いたその瞬間――

 

「やっぱりね」


 二人はその声のする方に視線を向けた。そこには腕を組み、仁王立ちする聖女エレナの姿があった。


「なかなか婚約破棄を了承しないでテオドール様に纏わりつくなんて……身勝手もいいところだわ」


 ズンズンと近づいてくる聖女に恐怖を感じているのか繋がれた手にギュッと力が入る。テオドールはそんなオリヴィアの手を優しく握り返すと安心させるように視線を合わせ、目を細めた。



 ◇◇◇◇



 教会から戻ったオリヴィアはアルフおじいちゃんから教えてもらったことを思い返していた。


『運命を“運命”として定めているのは“自分自身”』

『何か起こったら、それは自分が選択した“結果”』

 ――そして……


(人と人との出会いだけは“運命”……)


 この世界で聖女様よりも前にテオと出会い、婚約したのが運命なら、その先を選ぶのは自分自身だ。だから……テオが誰を選んでもそれは“運命”ではなく、テオ自身が選んだ“結果”なのだ。


 それなら。私も自分自身で選ばなければ。


 “運命だから仕方ない”と諦めるのではなく、自分が自身の“結果”を選択して決めるのだ。


 また間違えてしまうところだった。私はもう既に一度、選ぶことを諦めていたではないか。この世界で、18歳以降の人生を生きることを。それをテオが救ってくれたのに。また“運命”を言い訳にこの先の未来を諦めようとしていた。


 もう遅いかもしれない。だけど。今の私の気持ちをテオに伝えたい。婚約解消なんて、したくない。これからもずっとあなたの側にいたい。だからもう一度、考えてほしいと。


 ――私のありったけの想いをあなたに伝えたい。


 そう思って、テオドールに会いに来たのだが……


「あなた!! さては、悪役令嬢ですね?!」

「え?」「は?」


 目の前まで来た聖女がビシッとオリヴィアに指先を向けた。オリヴィアもテオドールもポカンと口を開く。


 突然現れた聖女に“悪役令嬢”呼ばわりされた。


(悪役令嬢って……よく転生モノの物語とかに出てくる、アレよね? 断罪されたり、婚約破棄されたり……って、はっ! 確かに!!)

 

 ――まさか。これは何らかのそういう類の世界ヤツ


 もしそうだとしたら、絶対的に攻略対象であろうテオと婚約している私は、間違いなく“悪役令嬢”のポジションだろう。断罪や国外追放、最悪なら処刑なんて――まっぴら御免だ。


 先ほどまで意気込んでいた一世一代の愛の告白も聖女から与えられたあまりの衝撃に頭からすっぽりと抜け落ちてしまっていた。

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