第8話 運命とは、何か?

「おやおや、珍しい人が来ておるな」

「アルフおじいちゃん!!」


 神殿から少し離れた場所にある教会。


 例の二人と会うことを避けて神殿ではなく、教会で祈ることにした。私がこの世界に転生したという事実に、神様が本当に存在するものと分かってからは自然と祈りを捧げるようになった。幼い頃からの習慣というのもあるのだろう。祈ることは心を落ち着かせるのにとてもよい。


 前の世界では無宗教で本格的に祈ったことなどなかったけれど。具体的な願いごとがあるときくらいしか。要は都合が良いときだけの神頼みだった。


「久しぶりじゃな。今日は何でまたここに? いつもは神殿で祈っておるじゃろ?」


 オリヴィアは『うぅ』と唸り気まずそうに俯く。その様子にアルフは目を細めクスリと笑うと優しく頭を撫でた。


「よいよい。まずはここでまたリヴィに会えたことに感謝しよう」


 優しく頭を撫でてくれるアルフが、オリヴィアは大好きだ。子どもの頃から遊びに来ている教会。

 祭事や行事に神殿が使われ、行けなくなる期間がある。そのときに祈りに来ていたのがこの教会だ。ここで出会ったのがアルフおじいちゃんだった。


 アルフおじいちゃんは真っ白な長い髪と髭。その容姿は前世でいう“プレゼントをたった一日で世界中に配ってしまうスーパーおじいちゃん”の姿そのものである。――実際には会ったことはないけれど。


 彼に会うと、どうしても子どもに戻ってしまう。とてつもない安心感とまったりオーラ。こんな特殊な私が唯一、年相応の子どもらしくいられる。

 ――不思議な人だ。


「そういえば、リヴィは聖女様に会ったことはあるのかの? 婚約者も神殿にいるのじゃろ?」


 オリヴィアは『うぐっ』と喉の奥を鳴らした。


 それを避けてここまで来たのに。まさかピンポイントで指摘されるとは。――アルフおじいちゃん、やるな。


「聖女様には会ったわ……」

「そうか! どんな方じゃった? リヴィは聖女様を見てどう思ったのじゃ?」


(ん、んん? やけにグイグイ聞いてくるなぁ……アルフおじいちゃんもやっぱり気になるのかな?)


 アルフおじいちゃんはどこか達観していて、時々本人に直接、お祈りを捧げたくなるくらい神々しいオーラを放っている。そんな彼に質問をされることなど普段はほとんどないのに。


「そうね……実は、それどころじゃなくて。正直、顔さえあまり覚えていないの……」


(大きな胸は覚えているのだけど……あ、あと私の前世と同じ世界の人っぽいってこと)


 いま考えたら、ずっとそこに集中していて、彼女の顔すら見ていなかったのかもしれない。次にどこか別の場所ですれ違っても、もしかしたら聖女様だと分からないのでは? ――大変、失礼な話だ。


 私の苦笑いにアルフおじいちゃんは怪訝な顔をして首を傾げた。


「どういうことじゃ?」


 気まずそうに『その……』と口をモゴモゴ動かし、彼女と会った経緯を説明した。すると、黙って聞いていたアルフおじいちゃんの顔がみるみるうちに険しくなっていく。そんな顔を今まで一度だって見たことがなかった私は大いに戸惑う。


「あ、あの……アルフおじいちゃん? えっと……私、大丈夫よ?」


(エミリアの柔らかい胸の……じゃなかった、あったかい胸の中で思いっきり泣いたもの。もうだいぶ頭も心もスッキリしたわ)


 アルフおじいちゃんに微笑んでみせた。しかし、おじいちゃんの顔はまだしかめられたまま。眉間にシワが寄せられている。――話題を変えてみよう。


「アルフおじいちゃんは聖女様に会いたいの?」


 あんなにグイグイ聞いてきたのだ。きっと興味があったのだろう。私の質問にやっとシワが少しだけ伸びた。


「そうじゃなぁ……特段、会いたいというわけではないのぅ」

「え……そうなの? じゃあ、なんで私に聖女様の感想を聞いたの?」

「うむ。それはじゃな。リヴィが聖女様に会って、どう感じたかの感想を聞きたかったから、じゃよ」

「?」


 ――うん、全然意味が分からない。


 アルフおじいちゃんは大きく口を開いてカッカッカッと笑った。――まるで、どこかの国をお付きの二人を連れて旅する偉いおじいちゃんみたいだ。


「聖女様は一体何のために、この世界に来たんじゃろうな?」

「ええ? この世界を救うためじゃないの? アルフおじいちゃんは“聖女の伝説”を知らないの?」


 神殿や教会に通う者が“聖女の伝説”を知らないはずはない。おじいちゃんは顔をクシャリとさせる。


「もちろん、知っとるよ」

「じゃあ、何でそんなこと……」

「わしはもうすでに聖女様は存在していると思っておったからの」

「ええっ? 一体、どういう意味?」

「そのままの意味じゃよ」


 ――うん。やっぱり意味が分からない。


 聖女様は神様から与えられた運命によって、この世界に転移してきたはずだ。私がここに転生させてもらったように。そして彼女がテオと出会い、結ばれることもきっと運命だったのだ。


 もしもこれが定められた運命ならば。私がそれにあらがうことなど、できるはずがない。私とテオの婚約解消もまた運命だったのだ。


「ねぇ、アルフおじいちゃん」

「何じゃい? リヴィ」

「運命って、何だと思う?」


 アルフおじいちゃんは蓄えられた顎髭に手を当て『ふむ』と考えている。唐突にした難儀な質問にも関わらず、真剣に答えてくれようとしている。


「そうじゃな……人の意思をこえた幸福や不幸の巡り合わせ……じゃと一般的にはいわれておるがな。わしはそうは思わん」


 オリヴィアは目を瞬かせた。アルフは顎髭を撫でながら優しい瞳を向ける。


「運命を“運命”として定めているのは“自分自身”なんじゃよ」

「えっ?」

「何かが起こったとき、それを“運命”だと思えば、運命なのじゃろ? でも、わしはそれを自分が選択した“結果”じゃと思っとる」

「自分が選択した、結果……」

「そうじゃ。ただ、確かに存在するものであるともいえるがな」


 オリヴィアは首を傾けた。


「確かに……存在するもの?」

「人と人との出会いだけは“運命”じゃと思っとる」

「……えっ?」

「それだけは自分で選択することができないからじゃな。時代や時間、世界、国、街……すべてが一致しなければ、人と人同士が出会うことはできないのじゃから」


 オリヴィアはハッと顔を上げた。


 確かにそのとおりだ。この世界で、この時間を、この国で、この街で過ごし、ただすれ違うだけではなく、名前を呼び合い、一緒にいる時間を過ごす。


 それはこの上ない“奇跡”な“運命”なのだ。

 ――例えそれが、良くも悪くも。


「ありがとう! アルフおじいちゃん!」


 急にすくっと立ち上がり、駆け出したオリヴィアにアルフはニッコリ微笑むと、ひらひら手を振ってその後ろ姿を見送った。



「さて、と。わしも戻るかのぅ」


 教会のベンチからゆっくりと腰を上げたアルフ――アルフレッド・ベネディクトは蓄えられた髭をひと撫ですると後ろで束ねた長い白髪を結った紐を解く。


 さらりと靡く髪は先ほどの少しゴワついたそれとは違い、太陽の光を浴びてキラキラと輝いている。顎に蓄えられていた髭は綺麗さっぱり消えていた。


 “変幻の術”が解けた、その後ろ姿は――まるで、神かと見間違うほどの美しい青年だった。

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