第7話 不倫需要と代償?

「おい!! 読んだか?!」

「何を?」


 朝食を摂りにきた神殿の食堂では神官たちが皆、どこかソワソワしている。その様子にテオドールは首を捻った。


「オーリー・E・ヘニングの新刊だよ!!」


 何だか少し前に同じようなやりとりをした気がするのだが……ただ前回と違うのは今、自分の姿を確認するや否や目の前まで駆け寄ってきた同期の顔が異様に紅潮し、興奮していることだ。


 前回のことを思い出す。


 あのときはまだ“オーリー・E・ヘニング”という作家さえ知らなかった。サイモンに今のようなやりとりで彼女の新刊を強引に押しつけられ、その題名に惹かれて一気に読んだ。


『午前0時の鐘の音が鳴り終わる前に』


 その本の題名だ。その響きにどこかで聞いた覚えがあり、記憶を辿った。


『お姫様の魔法はね、午前0時に解けちゃうの』


 そう言った幼い頃の彼女を思い出した。彼女の頭の中にある不思議な物語のひとつ。その本の内容は少し変えられていたがそれに酷似していた。

 ――先日、聖女からも同じ物語を聞いたのだが。


 極めつけは“オーリー・E・ヘニング”という名。

オリヴィアオーリーエイベル・ヘニング”。“ヘニング”のもつ意味が自分の名前、“ハンネス”と同じだということに気がつき、その謎が解けるとその本の内容はすべて“彼女の物語”であると直感したのだ。


 彼女は自分の知らないところで、既に有名な作家になっていた。あのときは彼女を救えたことに安堵していて、そこに焦点がいっていなかったが、彼女が自分に隠していたことの大きさにジワジワと不満が募っていた。


「まだ読んでないけど……」


(リヴィが新しい本を書いたのか? そんなこと、聞いてない……)


 自分の執務室にオリヴィアを呼び出し、婚約解消を告げたあの日から会えていない。それどころか、あの手紙の返事さえ来ていないのだ。――自分がそれを知っているはずがない。


(あれからまだ一週間くらいだというのにもう新刊が? それとも会えなかった期間に書いていたものだろうか?)


 テオドールはムスッとした顔のまま、次から次へと沸き起こる疑問に再び、首を捻った。そんな彼の様子などお構いなしに興奮しているサイモンが前のめりになりながら話し出す。


「今までのとは比べもんになんないんだよ!」

「どういう意味?」


 興奮冷めやらぬ様子だったのだが、少し落ち着きを取り戻そうと大きく深呼吸している。


「全然、ちがうんだ……」

「何がどう違うんだよ?」


 ずいっとその本を差し出す。


「貸してやるから、読んでみろよ」

「何だよ? そこまでいったら説明してよ」

「ちょっと……俺の口からは言えない……」

「えぇ……何それ……」


 サイモンは顔を真っ赤に染めたまま、食堂を出ていった。あんなに興奮している彼を見たのは初めてだった。――そんなに衝撃的な内容なのだろうか。

 一抹の不安を覚えた。





 ――何だよ?! これ!!


 自室に戻って読み始めた本に驚愕した。――これは本当にリヴィが書いたものなのか? 内容が――目を逸らしたくなるようなものだった。決して神官向きではない。


 具体的にいうと――不倫の話。愛憎劇だ。

 そして、その描写が細かく、まるで経験したかのように生々しかった。


(取材でもしたのか? それとも身近な人の経験談なのか? いや。そんな奴、知り合いにいたか?)


 ――まさか。本人の経験談ってことはないよな?


 テオドールの顔が、サァーッと青ざめる。一体、どこのどいつだ? もしもそんな相手が本当にいるのなら、排除する気満々だ。見つけたら、タダじゃおかない。――この世界から永遠に抹消してやる。ありとあらゆる手段を使って。


 オリヴィアに直接、問い質したい。


 でも……まだあの日から手紙の返事さえもらえていないのだ。もしかしたら、今回のことを怒っているのかもしれない。それどころか最悪、婚約解消を本気で考えてしまっているかもしれない。あんなに泣かせてしまったのだ。それに対し、幸福感さえ感じてしまった。今頃になって罪悪感が押し寄せる。


 そこまで考えてテオドールはハッと気がついた。この本はもしかすると――自分への報復なのではないか、と。


 先ほど以上に血の気が引く。その顔色は次の日になっても改善されることはなく、その本を受け取りに来たサイモンでさえも心配するほどだった。



 ◇◇◇◇



 ――やっぱり。私の読みは当たっていた。


 この世界でも不倫話の需要はあるのだ。前世での夫にされた話を書いてみた。あのときは裏切られた怒りや悲しみ、どうしようもないやるせなさを感じてたまらなかったし、思い出したくもなかった。


 でも。婚約解消を言われてから、あの時の場面を思い出した。ずっと蓋をし続けた、私の苦い経験。


 何も綺麗な文章や本だけを書く必要はないのだ。


 狙い通り、販売数は右肩上がりだ。『正体不明の謎多き作家、半年ぶりの新刊!』『この半年間で先生に一体、何があったのか?!』なんて宣伝されてしまっては、気になる人は気になるのだろう。


 一作を書き終わり、エミリアの淹れてくれた香りのよい紅茶に舌鼓を打つ。今回、書いてみて改めて分かったことがある。それは――頭の中のことは書き出すとスッキリする、ということだ。


 そもそも私がペンを執ったのも溢れ返る頭の中の記憶を書き出し発散させることから始まったのだ。きっと私はそういうタイプなのだろう。


「あの……お嬢様……」


 お菓子をモグモグと頬張っていると、エミリアが心配そうに声をかけてきた。頬にマカロンを詰めたまま『なぁに?』と首を傾ける。


「今回の物語について、なのですが……」


 躊躇いながら聞きにくそうに顔を歪める。


(うん。分かってる。内容が衝撃的すぎよね……)


 今までの作品と比べてしまえば、衝撃を受けるのは間違いない。だって今までは児童文学だったり、ノーマルな恋愛小説だったりしたのだから。


 そう考えたら作者が違うと言われても仕方がないくらい、違う。それは自分でも認めよう。

 

「どなたから伺ったのです?」

「へっ?」

「お嬢様のお近くにそのような方がおいでになるのですか? まっ、まさか……テオドール様が?!」


 思わぬところで流れ弾をくらっているテオに申し訳なくなる。きっと今頃くしゃみでもしていることだろう。私はブンブンと首を横に振った。


「違うわ! テオはそんなことしていないし、それにまだ結婚していないもの」

「ああ、そうでございましたね……」


 エミリアは心底、安心したように胸に手を当て『ほぅ』と息を吐き出した。


「では……なぜあのような物語を?」


 その質問にどう答えたらいいか悩む。まさか前世で私が経験したことなんです、なんて言えるはずもなく。『うーん』と顔をしかめてしまった。


 考え込んで、しばらくしてからエミリアは何かにハッと気がつき、顔を上げた。


「最近は、ずっと神殿に行かれておりませんよね?もしかしたらお祈りされていないので……心が荒んでしまっていらっしゃるのでは……?」


(わぁお。神様に祈りに行かなかったから心が荒れてしまったと? むむむ……理由は違うけど、そろそろお祈りには行きたい。それにエミリアを心配させるのは心苦しいし……でもまだあの二人の仲睦まじい姿を直接、見るのは……あっ! そうだ!!)


「ねぇ、エミリア。私、教会に祈りに行くわ!」


 エミリアは目をシパシパ瞬かせている。そして、その意図を理解すると一瞬で、ぱぁっと明るい笑顔を見せた。


「それは良いお考えです! では、明日の午前中に参りましょう!」

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