第6話 覆面作家の正体。
ゴーン、ゴーン、ゴーン……
午後0時の鐘の音が12回、鳴り響く。
昼休憩を取るためにテオドールは手を止めた。
彼の執務室であるこの空間にいることが、もはや当たり前であるかのように、まったりとその部屋のソファでくつろぐ聖女がテオドールに話しかけた。
「そういえば、この世界では午前0時にも鐘の音が鳴りますよね?」
比較的新しい本を読みながら、エレナは言った。
「この物語。その鐘の音が題材になっているんですよね?」
「ええ……多分?」
エレナがたった今、読み終えたばかりの本をバタリと閉じると、その背表紙を見せてきた。
そこには片方しかない女性の靴が描かれており、その下にその本の作者“オーリー・E・ヘニング”のサインが印刷されている。
あまりにも有名な本だ。
この本が出版されたとき、神殿ではちょっとした騒ぎになった。舞台が神殿で、主人公の恋の相手が神官だったからだ。神官が街を歩けば、声をかけられると浮ついていた。
その頃、まだ神官見習いだったテオドールは同期だったサイモンから半ば無理やり押しつけられて、読んだ本だった。
“幼馴染みのオリヴィアちゃんも好きなんじゃないか?”という、その一言に絆されて。
「でも……この物語、ちょっと変なんですよね」
「え? それは……どういう、意味でしょうか?」
「今までの児童書でのお話は、私の世界の話と酷似していたんですけど。この本の物語だけ、元のお話から変えられてるんです」
「それは……エレナ様の知っている物語とどう違うのでしょうか?」
思いがけずテオドールが自分の話に興味を示してくれたことにエレナは高揚し、饒舌に語り始めた。
物語の舞台は神殿ではなく、お城。そして主人公の恋の相手は、王子様。お城で開かれた舞踏会に、国中の娘たちが招かれ、王子は結婚相手を探す。
主人公は魔法の力によって無事、お城の舞踏会に間に合い、王子と踊る。しかし、午前0時になると彼女にかけられた魔法が解け、元の貧しい町娘の姿に戻ってしまう。そのため、彼女は名前も告げず、王子から逃れるように階段を駆け下りていく。
このとき、片方の靴が脱げ、彼女はそれを置いたままいってしまう。その靴だけを頼りに王子は彼女を探す。ようやく見つけた彼女と王子様は結婚し、主人公は本物のお姫様になった、という物語。
「シンデレラって、いうんです」
「……シンデレラ……」
確かに、この本の物語とは違う。
なぜならこの本は“彼女の物語”だったのだから。
この本の物語は、主人公が18歳になった誕生日の午前0時の鐘の音が鳴り終わる前に、愛する人からキスをもらわなければ、消えてしまうという内容だった。
なぜかこれはオリヴィア自身に起こっていることだという気がして、彼女の18歳の誕生日、午前0時の鐘が鳴り終わる直前に彼女の部屋に飛び込んだ。
そして、彼女の想いを確認し――キスをした。
その結果、オリヴィアはこの世界から消えてしまわずに済んだ――という物語の中の話、だと思っていたのだが。時々、真面目に感謝を伝えてくる彼女に本当にそうだったのかもしれない、と本気で思い始めていた。
そう考えると、背筋が凍るようにゾクゾクした。もしあの時、あの本を借りて読んでいなければ……そして、あの本の作者がオリヴィアだと気がつかなかったら……今頃、彼女を永遠に失っていたかもしれない。――そんなこと、考えたくもない。
ゆえに、あの本を無理やり押しつけたサイモンはテオドールにとって、神様的存在であるのだ。
彼は婚約者の恩人であり、自分の恋を成就させた恩人でもある。――本人には絶対、伝えないけど。
あれからというものオリヴィアと婚約を進めるにあたり上位神官となったことで、婚約する前よりもずっと忙しくなってしまい、今までのように頻繁にオリヴィアに会えなくなった。――本末転倒だ。
そして!それはすなわち――それより先に進めていないということでもある。それ以前にあれ以降、全く触れ合えてもいない。あのときのキス、たった一度だけ、だ。
思い出すだけでも眉の間が狭くなっていく。
「私、この作家さんに会ってみたいです」
「……え?」
不純な思考に罰が当たったのか、聖女からの爆弾発言にいつもであれば飄々と返せる答えが浮かばずに固まる。
「この作家さんを連れてきてください。早く!」
「し、しかし……この方は正体不明の謎多き作家のため……捜索するにしてもお時間を頂戴することになると思いますが」
(もしも、作家の正体がリヴィだとバレたら……)
最悪な結果を思い浮かべてしまい、背筋がゾクリと震える。――何とか、引き延ばさなければ。
「そうですか。それなら仕方ないです……分かりました。時間をさしあげますから調べてくださいね」
「かしこまりました。……しかし、なぜ急にお会いになりたいと?」
自分が用意した彼女の本は最初の一冊だけ。二冊目からは聖女自身が自分で選んでいた。いつも彼女の本ばかり読んでいたのが気になっていたのだが、まさか急に本人に会いたいと言い出すなんて。
それならせめてその理由を知っておきたかった。
「興味があるから、ですよ」
「興味、ですか?」
「私の世界にあるお話と同じ物語を書いている人がどんな人なのか、興味があるってことです」
「なるほど」
「あと……いろいろ聞いてみたいな」
付け加えられた回答に首を捻る。
「聞いてみたい、とは……何を?」
聖女エレナは不気味に口の両端を引き上げた。
「その方が何を知っているのか、を」
胸の鼓動が加速していくのを感じた。もしかして聖女はあの物語の作者の正体に見当がついているのかもしれない。テオドールには、まだそれに確信が持てなかった。ただ――うっすらと嫌な予感はしていたのだ。
幼い頃のオリヴィアが話していた言葉。そして、異世界から降臨した聖女が知っているオリヴィアの頭の中の物語。――それが導き出す答えは……。
オーリー・E・ヘニングであり、自分の婚約者でもあるオリヴィア・エイベルが……この世界の者ではないかもしれない、ということだ――。
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