第2話 神様との約束事。
「え? あの……テオドール様が、ですか?」
先ほどしたばかりの私と同じ顔をたった今、侍女のエミリアがしている。ポカンと開いた口を閉じられていない。
エミリアは首を捻りながら、目を瞬かせた。
「それは……本当にテオドール様だったのでしょうか? 他人の空似では?」
私だって、そう思いたい。けれど私が見たのは夢でも何でもない現実だ。
今だって『……なんてね。リヴィ、驚いた?』と笑いながら、テオが部屋に入ってくるのではないかと期待してしまうくらいに。
「間違いないわ。テオの執務室だったもの」
私は目を伏せた。そして、あの時の光景を瞼の裏に映し出す。忘れたいと願うことほど、強く記憶に残ってしまうものだ。
エミリアが淹れてくれた紅茶でカラカラに乾いた喉を潤すと、大きく深呼吸した。
私は元々、この世界で18歳になったときに消えていなくなる運命だった。それは転生する時に神様とした約束があったからだ。それに気がついて、私を救ってくれたのもテオだった。
本来なら前の世界から続くこの世界での余生18年を好きなことを嗜みながら、のんびり過ごしていこうと思っていた。約束は守れそうになかったから。
今、私が18歳以降を生きているのは、テオがその約束を履行してくれたからなのだ。
その約束とは18歳の誕生日の終わりまでに愛する人からキスを貰うこと。
きっとその時点では間違いなく私を愛してくれていた。少なくとも、あの聖女様が現れるまでは。
仕方がない。人の心は移り変わるもの。そんなこと、充分に分かっている。だって。前世では人並みに恋をして、結婚をして、子どもを育てていたのだから。それだけの人生経験を積んでいる。
精神的にはおばちゃんの域に達している私が18歳の青年に縋り付くなど――おこがましくて考えられない。それでなくても、テオにはもう何度も救ってもらった。これ以上、彼に依存し、迷惑をかけることはできない。
それにしても。何故、神様はあんな約束事を私に交わさせたのだろう? 何か理由を言っていたような気がするのだけれど――どうしてなのか、いつも肝心なところは思い出せない。まるでモザイク処理のように。
「それにしても……信じられません」
神様との約束事を思い出しているとエミリアが、ハァと息をつき、細かく首を横に振った。
「あんなにお嬢様にベッタリでしたのに」
エミリアのその様子に、私は苦笑いした。
「どちらにしても、テオの希望どおりにしてあげたいわ。彼にはお世話になったもの」
婚約解消についてはテオが両親に手紙をくれると言っていた。彼ならきっとキッチリやってくれるだろうから、その辺の心配はしていない。
私は窓の外をぼんやりと眺めた。
さっきまでの暗くジメジメした気持ちは少し落ち着いてきていた。
(しばらく神殿にはいけないわね……)
神殿に祈りに行けば、嫌でもあの二人を見ることになるだろう。今の精神状態では、やり過ごせる気がしない。テオの幸せを祈ってはいるが、遠くからということで許してもらおう。
(そうだ。イシュメルは知っているのかしら?)
イシュメルは神官長であり、テオの養父だ。
そして、私にとっても叔父のような存在だった。元々両親の友人だったこともあり、幼い頃から神殿に通う私を可愛がってくれている。彼に会えなくなるのは寂しい。
そもそもイシュメルはこのことをどう考えているのだろう? 知っていて黙っていたのだろうか。
聖女が降臨してから忙しくなったテオの様子は、ずっとイシュメルから聞いていた。だから、テオが専属神官になったことも、聖女様がテオを頼りにしていることも知っていた。――まさか、本人たちから揃って婚約解消を言われるとは思わなかったのだけれど。
「イシュメルに……会いたいな」
ボソッと呟いてしまった心の声にエミリアは切なげな瞳を向けてきた。
「お呼びしましょうか?」
私たちの婚約解消の手続きと、聖女様との新しい婚約の手続きでイシュメルも忙しいかもしれない。手を煩わせてしまうのは申し訳ない気がして、うーんと唸るように悩んだ。
「そうだ! 私たちの婚約解消の手続きをこちらですれば、テオの負担もイシュメルの負担も軽くなるわよね?」
ただでさえ、二人とも忙しい身分なのだ。それにテオには聖女様の専属神官の仕事もある。目が回るほど忙しいのに、全てを二人にお膳立てしてもらうわけにはいかない。
「お嬢様。ちょっと失礼いたしますね」
エミリアがふわりと私を抱きしめた。
あまりに突然の出来事に私は目を瞬かせた。
「私には時々、お嬢様がとても年上の女性に見えることがあります」
ドキリと胸が鳴った。
おっしゃるとおりだ。私の精神年齢は見た目年齢18歳の少女の倍以上は違うだろう。でも、それを誰にも話してはいない。
「思いきり泣いても、良いのですよ?」
「えっ……?」
エミリアの胸の中でそっと顔を上げた。
あったかいな、柔らかいな、ちょっと触ってもいいかな、なんて考えていた不純な脳内をガツンと殴られたかのようだ。
「普通なら泣きわめき、怒るところでしょう?」
見上げた私と、優しく見つめるエミリアの視線が交わると彼女は目を細めた。
「我慢、されておりますよね?」
エミリアの顔が徐々に滲んでいく。
「聞き分けの良い、いい子でいる必要はないのですよ? 泣きたいときに泣いて、怒りたいときに怒っていいのです」
温かい雫が頬を伝う。誰かの前で泣くなど、いつぶりだろう。自分が思っていた何倍も、何十倍も、私は――テオのことが好きだったんだ。
それをちゃんと彼に伝えていただろうか?
きっと私は、精神年齢を言い訳に何も伝えていなかった。――違うな。ただ恥ずかしかっただけだ。テオに自分の想いを伝えるのが。
もう今さらなのだ。婚約解消になってからそんなことに気がつくなんて。私は――ただの愚か者だ。
「うっ……う、うわぁーん」
それから私は、エミリアの柔らかい胸の中に顔をすっぽり埋め、大声を上げて泣いた。
「ひっ、ひっく……ふぇえぇ……っ」
エミリアはただ黙って私の頭を優しく撫でていてくれた。その温かい胸の中で。
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