しがない主婦が異世界に転生したら、そこそこ有名な作家になりました。

夕綾るか

第1話 突然の婚約解消?

「リヴィ。悪いんだけど……婚約を解消してくれないか?」


 あまりにも突然の申し出にオリヴィアはポカンと開いた口が塞がらなかった。

 ――婚約解消。それだけでも充分驚きなのだが、もう一つ、オリヴィアには信じられない光景が目の前に広がっていた。


 神殿の敷地内にある上位神官の執務室の一つ。

 私、オリヴィア・エイベルの婚約者――テオドール・ハンネスの執務室に呼び出された私は、いつものように彼から愛の猛攻を受けると思っていた。


 それくらいには仲が良かったはず……なのだが。


 今、彼の隣にはベッタリとその腕に纏わりつく聖女の姿があった。豊満な胸をぐいっと押し付けるように、それはもうベッタリと。思わず、自分の胸に視線を落としてしまったくらいだ。やはり男の人は大きい方がよいのだろうか。心なしか彼の鼻の下が伸びているように見える。


 揉んだらさぞかし柔らかいのだろうなという卑猥な妄想が浮かんでしまったのは、置いといて。彼に愛されていると感じていたのは私に都合の良い勘違いだったのだろうか?


 テオドールは私の不埒な思考を読んだかのように目を細めた。



 半年前、お互いが18歳になった頃、婚約した。

 元々、幼馴染みだったこともあり、お互いの想いを確認し合うと、トントン拍子に話が進んだ。


 テオドールも私のことをとても大切にしてくれていたし、何かと理由をつけて呼び出してはベッタリと纏わりついていた。――そう。まるで今、彼の隣にいる聖女のように。

 ……何も押し付けられてはいないけど。



 それが何故、今、こんな状況になっているのか?

 頭も心も、この状況についていけていない。


「テオドール様がそうおっしゃっているのだから、あなたも素直に応じたらいかがかしら?」


 この国に新しく降臨した聖女――エレナは異世界から来た“転移者”だ。

 少し茶色く染めて、ゆるくウェーブをかけたセミロングの髪をふわりと靡かせている。瞳は焦茶色。

 多分……というかほぼ間違いなく、世界も出身の国までも私と同じだろう。


 ――何を隠そう、私は“転生者”である。

 

 だから、彼女の外見をひと目見て“転移者”であると分かってしまった。



 この世界では何十年かに一度、異世界から聖女が舞い降りる。その年には必ず災厄が起こり、それを浄化するための聖女らしい。


 1ヶ月ほど前、普段はあまり使われていない神殿の召喚室に聖女エレナが降臨したのだ。


 神殿ではちょっとした騒動になった。何も分からず、この世界へと落ちてきた異世界人に、何の関係もないこの世界を救ってくれと頼まなければならない。


 神官たちは彼女のご機嫌を損ねまいと、蝶よ花よと持て囃した。


 そして、彼女の専属神官となったのがテオドールだった。年齢層の高い上位神官の中で彼は一番歳が若く、聖女と同じ歳であったこともあり、白羽の矢が立った。


 彼はそれなりに整った顔立ちをしている。異世界から突然、知らない世界に落とされ、不安を感じていた彼女がそんな彼に心を寄せるのに時間はかからなかった。


 ――そういえば最近、テオに会ってなかったな。


 そんなことを思い出しながら、この場でどう答えようと頭をフル回転させていると、ふと目の前の彼と視線があった。


 いつもなら、その顔をふにゃりと変え、眉も目も垂れ下がってしまうのだが、その瞳は気まずそうに床へと落とされた。


 ――ああ、そうか。もう私に気持ちはないのね。


 少しだけズキッとした胸の奥を隠すように開いたままだった口を動かした。


「えっと……婚約は家のことでもあるので、両親を交えてまたお話させていただいても?」


 俯き加減だった彼はパッと顔を上げて、唇を軽く噛み締めると何度も頷く。


「た、確かにそうだ。リヴィの家は子爵家だからね。そういうところはしっかりしないといけない。あとでご両親に僕から手紙を書くよ。だからリヴィはそれまで待っていて。……ということで、いいかな? エレナ様」


 彼はそう言って、隣にピッタリとくっついて座っている聖女に向かって微笑む。


 ――ん? あれ?


 少し感じた違和感に首を捻った。テオはあんなふうに笑う人だったっけ? と。ただその考えも一瞬で吹き飛ぶような愛らしい声が聞こえてきた。


「ええ。構わないわ! 正式に婚約破棄して、早く私をテオドール様の婚約者にしてくださいね!」


 うふふと笑う彼女の顔とその笑顔を満足げに見つめる彼の顔に、先ほど少しだけズキッとした胸の奥が本格的に痛みだした。



 ◇◇◇◇



「お嬢様!? どうなさったのですか!」


 ふらふらと覚束ない足取りで屋敷に戻ると、その様子に驚いた侍女のエミリアが、慌てたように駆け寄ってきた。ここまでどうやって帰ってきたのかも思い出せない。思っていた以上に負ったダメージが強かったようだ。


 エミリアに支えられて、何とか私室に戻った私はソファに身を委ねながら、ぼんやりと今までのことを振り返っていた。



 テオドール――テオと出会ったのは5歳の時。

 両親に連れられて行った神殿だった。彼の両親は既に他界しており、強すぎる神聖力を持つ彼は神官長であるイシュメル・ハンネスの養子に入り、神殿の居住区域で暮らしていた。


 訳あって神殿に通うことになった私とテオは同じ歳ということもあり、神殿の敷地内でよく一緒に遊んでいた。


 その訳とは、私が転生者であることに由来する。

 前世の記憶を持って生まれたのだが幼すぎる私にはその記憶を処理しきれなかった。結果、意味不明な言葉を発する特異な子となり、両親と共に神殿に通い、神に祈りを捧げることになったのだ。


 そんな意味不明な言葉を喋る私を少しも気持ち悪がらず、ずっと側にいて、理解してくれようとしたのがテオだった。

 彼の隣はとても居心地が良かった。


 ずっと一緒だった。18歳になったとき、お互いの想いを伝え合い、婚約した。彼は持ち前の神聖力であっという間に上位神官となり、子爵令嬢である私にとってもこれ以上ない婚約者となった。


 これからもずっと一緒だと思っていた。あんなに愛を伝え合っていたはずなのに。



 ――どうして、こうなってしまったの?



 彼の前では流れなかった涙が、今頃になって溢れ返り、私の視界を滲ませた。


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