エピローグ ~『大聖女への就任式』~


 ティアラとの事件を終えてから数年が経過し、とうとう二十歳の誕生日を迎えた。


 マリアは候補生の中で最高評価を維持し続けた。困難に挫けそうになったこともあったが、これだけの成果が得られたのは仲間たちが支えてくれたからだ。


(皆には感謝ですわね。おかげで私は夢を叶えられましたわ)


 先代の大聖女が引退し、次代の大聖女としてマリアが選出されたのだ。ライバルたちからも異論が出ない満場一致の賛成だった。


 大聖女の就任式のため、マリアは王宮を訪れる。会場には大理石の壁に、赤絨毯が敷かれ、玉座に国王が座っている。


 国王の傍には大臣や公爵、見知った顔であるアレックス王子の姿もあった。これほどの重鎮たちが集まるのもある意味当然で、大聖女は国内最高権力者であり、面識を作るチャンスを逃すほど、彼らは愚かではないからである。


(王族の関係者が集まるのなら、サーシャもいるはずですわね)


 ケインからサーシャが王家に嫁いだという話を聞かされていた。


 マリアが大聖女の就任式を心待ちにしていたのは、家族を見返すためでもある。イリアス家での冷遇を乗り越え、立派に成長した自分を見せつけてやるのだと、彼女はキョロキョロと視線を巡らせるがサーシャの姿はない。


 結局、サーシャが現れることはなく、就任式は進む。誓いの言葉を宣誓すると、国王が彼女の前で跪いた。盛大な拍手と共に、彼女は正式な大聖女に就任したのである。


 就任式が終わると、豪華な食事が運ばれ、立食形式のパーティが始まった。かつてティアラと共に訪れた舞踏会よりも絢爛であるが、彼女の興味は惹かれない。


(社交は苦手な性分ですし、早く終わって欲しいものですわ)


 教会で淑女教育を受けても、社交が苦手なのは変わらない。大聖女になった彼女を囲むように重鎮たちが集まってくるが、愛想笑いを浮かべることしかできなかった。


「悪い、少しいいか」


 だがそんな彼女を救い出すように、アレックスが声をかけてくれる。彼女を囲っていた者たちも次期国王の彼ならば仕方ないと話す機会を譲る。


「助かりましたわ、アレックス様」

「気にするな。嫁の親友を助けるのは当然だからな」


 彼の薬指には指輪が輝いている。それはティアラとの愛の証だ。彼は恋を実らせ、想い人と結ばれたのである。


「それにしても、就任式でのマリアは立派だったぜ」

「次はアレックス様の国王就任式ですわね」

「俺はまだまだ先でいいかな。今は国政よりもティアラとの時間を大切にしたいからな」


 彼は王宮で有名になるほどの愛妻家となった。結婚した直後は既婚者でも彼と交際したいと願う女性も多かったが、今ではパタリと消えたそうだ。


「そういえばティアラの姿が見えませんわね」

「式典には参加していたはずなんだが、はぐれてしまってな」

「ふふ、なら私も探しますわ」

「助かるぜ、さすが大聖女様だな」


 二人は手分けしてティアラを探す。会場は広い。だがマリアには見つけるための算段があった。


(ティアラほどの美人なら目立つはずですものね)


 予想した通り、人だかりができている場所に向かうと、その中心にティアラがいた。


 成長した彼女は妖艶な雰囲気を纏っていた。その空気は男たちを虜にするが、彼女に話しかける者はいない。遠目で様子を伺うばかりだ。


「ティアラ、ここにいましたのね」

「おお、マリア。よく私の居場所が分かったな」

「殿方が集まっていましたから。ですが誰も声を掛けませんわね」

「私がアレックス王子の妻だと知っているからだろうな」

「ふふ、納得ですわね」


 美しさ故に視線を向けてしまうが、王家と敵対する危険は冒せない。そんな男たちの心情が察せられた。


「ティアラは結婚してから一層美人になりましたわね」

「愛の力だろうな。ほら、リーシェラの奴も」

「カイト様と結婚して美人になりましたものね」


 あれほど仲の悪かった二人だが、最終的に身分を超えた愛を成就させた。今では子宝にも恵まれ、幸せの絶頂だと聞く。


「最後の独身は私かもしれませんわね」

「それはないだろう。なにせジルがいる。あいつは王国一の大商家を営む立場になっても独身の誓いを貫いているからな。彼の片思いはきっと変わることはない。さすが私が一度は憧れた相手だよ」


 完璧超人の彼は、教会でも女性人気一位の座を不動のものとしていた。きっとこれからも憧れの対象であり続けるだろう。


「おっと、旦那が私を呼んでいるようだ」


 ティアラの視線の先には手を振るアレックスがいた。新婚を邪魔するわけにはいかないと、彼女をアレックスへと返してあげる。


 再び、一人になったマリアは周囲に視線を巡らせる。サーシャの姿はやはり見つからない。


「誰か探しているのかな?」


 聞き馴染んだ声が届く。その声の主とはパートナーであるケインのものだった。


「ケイン様も参加してくれたのですわね」

「大事なパートナーの晴れ舞台だからね。それに君も僕の大司教の就任式に参加してくれた。僕だけ欠席するわけにはいかないよ」


 マリアも大聖女へと出世したが、ケインもまた彼女と対を成す教会の最高権力者である大司教へと上り詰めていた。


 二人の最高権力者がグラスを合わせて乾杯する。葡萄酒の渋みと甘味が喉を通り過ぎ、酔いで身体が熱を帯びた。


「改めて、大聖女への就任おめでとう」

「ケイン様のご指導のおかげですわ」


 お世辞ではなく、心からの本心だった。彼の熱心な教育があったからこそ、大聖女となる夢を叶えられたのだ。


「サーシャくんは結局来なかったみたいだね」

「薄情な妹ですわ」

「でも夫のレインはお祝いに来てくれたみたいだよ」

「どの人がレイン様ですか⁉」

「そういえば、面識はないんだったね。ほら、あそこにいるのが第三王子のレインだ」


 視線の先には背の高い美丈夫が立っていた。黒髪黒目の整った顔立ちに浮かんだ笑みは、心根の優しさが滲んでおり、過去に見た姿絵とは似ても似つかない人物だった。


(どういうことかしら……)


 疑問が表情に浮かんでいたのか、レインがマリアの存在に気づき、近づいてくる。歩く姿も絵画のように美しい出で立ちだ。


「お初にお目にかかります、大聖女様。サーシャの夫のレインです。いつも妻からあなたの話を聞かされているせいか、初めて会う気がしませんね」

「サーシャが私の事を……馬鹿にでもしていたのかしら?」

「まさか。その逆です。いつも大聖女様のことを褒めるので、嫉妬していたくらいです」

「サーシャが私を……」


 外面のために猫でも被っていた。そう結論付けるのは簡単だが、褒める対象がマリアである必要はない。


「納得できないという顔をしていますね」

「私の知るサーシャは、決して私を褒めたりしませんから」

「彼女は素直になれない人ですからね。でも心根は優しい人ですよ」


 でないと結婚しませんと、レインは続ける。浮かんだ笑みはその言葉が本音だと伝えていた。


(この八年間で私への冷遇を後悔したのかしら)


 だとしても過去の恨みを忘れるつもりはない。だが恨みの感情に反して、サーシャへの興味は止まることなく湧き上がってくる。


「……サーシャはどこにいるのですか?」

「それは……」


 レインは躊躇いを見せるが、すぐに意を決する。


「実は……サーシャは病気で、ベッドに伏せています」

「病気?」

「持病だそうです。余命はもう半年もないとのことで……」

「それは……」


 私を虐めた罰が下ったのだと喉元まで浮かんできた言葉を飲み込む。心の奥にズキリとした痛みが奔ったからだ。


「あの、サーシャに会わせていただけないかしら」

「もちろん。申し出がなければ、私からお願いするつもりでしたから。これが最後になるかもしれません。サーシャに会ってやってください」


 レインの瞳に小さな涙が浮かんでいる。サーシャが改心したかどうかはともかく、夫であるレインとの間に愛があったことだけは疑う余地がなかった。

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