第四章 ~『遠目から見るマリア』~


 数日後、サーシャに誘われて、レインはイリアス領を訪れていた。待ち合わせ場所は領内唯一の商店街。お店が向かい合う形で並ぶ通りに、サーシャと合流するために馬車を留めていた。


(待ち合わせの時刻になったというのに、サーシャは現れないな……)


 心配していると馬車の扉がノックされる。扉を開けると、待ち人であるサーシャが申し訳なさそうな顔をしていた。


「遅くなり、申し訳ございません! お父様を撒くのに時間がかかりましたの」

「君が無事なら構わない。だがよく説得できたな」

「お父様の誕生日が近いですから。サプライズのプレゼントを買いに行くと言えば、満面の笑みで送り出してくれました」


 もちろん後で本当に購入するがと、サーシャは続ける。彼女からすると、グランドは優しい父親だ。祝い事も欠かしたことがなかった。


「レイン王子の方こそ、このような辺境の領地を訪れることに対し、王宮から反対があったのでは?」

「ははは、私は第三王子、自由な身さ。それに今回の件がなくとも、私はイリアス領を訪れて良かったと思っている」

「それはまたどうしてですか?」

「長閑な風景を眺めていると、王宮のギスギスした雰囲気から解放されたように感じられてね。良いリフレッシュになった」

「お気に召したようで嬉しいです。私もイリアス領の時間がゆったりと流れるような雰囲気が好きなんですよ。それに都会と違って人情に厚い人も多くて。私、本当にこの領地に生まれて幸せです!」


 まるで自分のことのように領地を誇らしげに語るサーシャに、レインは目を見開く。


 貴族の令嬢には、領民を裕福な生活を過ごすための道具くらいにしか思っていない者も多い。そのせいか、レインの目には、彼女の領地に対する愛情が好意的に映った。


「君は珍しいタイプだね」

「私、なにか変なことをしてしまいましたか?」

「ははは、悪い意味じゃないさ。君のお姉さんも同じようなタイプなのかな?」

「お姉様は私とは違います。庶民的で町娘のような人ですから」


 貴族の令嬢には似つかわしくない人だと続けるが、サーシャの言葉の節々には尊敬が滲んでいた。これほど愛される姉がどんな人物なのか、ますます興味が惹かれた。


「来ました、あれがお姉様です!」


 視線の先には黄金を溶かしたような金髪に、澄んだ青い瞳、白磁のような白い肌が合わさり、まるで人形のような容姿をした少女がいた。


 一方、外見の華々しさと違い、服装は使用人のようなボロ衣で、白い手も荒れていた。長い間、酷使している証拠だった。


「お姉さんの名前は?」

「マリアです」

「良き名だ」


 遠くから見ているだけでも分かる。平民の商人から買い付けをする姿は礼儀正しく、貴族としての傲慢さはない。


 商人も長い付き合いなのか、彼女に対して自然体だ。信頼を勝ち取っていなければ、ああいう態度にはならない。彼女の人格を推し量るには十分すぎる情報だ。


「皆に慕われている女性なのだな」

「ふふ、嫌っているのはお父様くらいのものです……だからこそ、我が家の平穏を勝ち取るためにも、お姉様と結婚して欲しいのです」

「…………」


 その願いは残酷だった。レインは知らず知らずのうちに、サーシャに好意を抱いていたからだ。


 好きな人から別の女性と結婚して欲しいと乞われる悲しみに手が震えそうになるが、彼はグッとそれを抑え込む。


「その願いを叶えるかどうかを決める前に聞かせて欲しい。君の幸せは考えなくていいのか?」

「私は誰とも結婚するつもりはありません。生涯独身を貫きますから……」

「どうして……」

「それは秘密です。ですが、お姉様と結婚した暁には、教えて差し上げます♪」

「君は本当に交渉が上手だ」


 いま話すつもりはない。その意思を感じ取り、レインは覚悟を決める。


「いいだろう。私はマリアと結婚し、彼女を不遇な環境から救い出す」

「レイン様……っ……ありがとうございます!」

「だが覚えておいてくれ。私は――君のことが好きだ」

「本気ですか?」

「本気だとも」

「そうですか……ですが残念ながら私は誰かと結ばれるつもりはありません」

「知っているとも。ただ気持ちを伝えたかっただけだ」


 初めての失恋にレインの頬を涙が伝う。愛のない結婚でも、サーシャの役に立てるなら悪くない。マリアを幸せにすると彼は決意するのだった。


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