第三章 ~『父親からの手紙』~
昨晩、ジルに妻になって欲しいと告白された。その事実に悶々としながら、マリアはベッドで横になる。
(ジル様は私には勿体ないくらい素敵な人ですわ)
だが愛しているかと問われれば答えはノーだ。もちろん容姿も家柄も実力も完璧な彼だ。人としては好感を持っている。
(どうすればいいんですの!)
枕に顔を押し付けて、バタバタと足を振る。
「シロ様ならどうしますか?」
「にゃああ」
霊獣と言語による意思疎通はできない。悩み事の相談も鳴き声しか返ってこなかった。
「でもシロ様を見ていると、心が落ち着いてきますわ」
霊獣は聖女の絶対の味方だ。一度契約すれば裏切られることはなく、生涯に渡って尽くしてくれる。
また霊獣と聖女は互いの居場所を把握できるし、ピンチになれば察知もできる。シロがいてくれるだけで、心が前向きになる。
外の空気でも吸って落ち着こうと、ベッドから起き上がると、部屋の扉の隙間から手紙が差し込まれていることに気づく。
(誰からでしょうか)
手紙の差出人を確認すると、そこには父親の名前が記されていた。
(お父様が私に手紙⁉ どうして⁉)
封蠟の家紋は間違いなくイリアス家のものだ。偽造も困難なため、本人が差出人だと疑う余地もない。
封蠟を外して、手紙の中身をチェックする。そこには想像の斜め上の内容が記されていた。
「私を……王子と結婚させるのを諦める⁉」
ありえない。王宮との繋がりを諦めるはずはないからだ。
(まさかサーシャと王子を結婚させますの? でもお父様がそう簡単に認めるはずが……)
グランドはサーシャを溺愛しているため、醜男の王子と結婚させるはずがない。また彼はマリアを教会から追い出すために刺客を送り込んでいるはずだ。その行動とも大きな矛盾が生じていた。
(この手紙、裏にも文章が……)
捲ると、続く内容が目に飛び込んでくる。そこには王子との婚約を諦める代わりに、別の男との婚約を結んで欲しいと記されていた。
しかもその婚約者の男は、マリアも良く知る人物――ジルだった。
(ジルと婚約だなんて、お父様は何を考えていますの⁉)
理解が追い付かないままでいると、部屋の扉をノックされる。
「マリア、私だ。ジルだ」
「ジル様!」
「部屋に入ってもいいかな」
「は、はい。どうぞ」
「では失礼するよ」
用意した椅子に腰掛けるジルと、ベッドに座るマリア。二人は気まずい空気になるが、ジルがその雰囲気を壊してくれる。
「部屋を綺麗にしているんだね。うん。素敵な部屋だ」
「た、たいしたことありませんわ」
「貴族の令嬢の中には使用人がいないと何もできない人もいるからね。身の回りの整理ができる令嬢は、それだけで立派なのさ」
使用人のように暮らしてきた経験が活きたことに苦笑を浮かべるマリア。対照的に、ジルはニコニコと笑みを崩さない。
「私が部屋を訪れた理由、知りたいよね?」
「昨日の告白の答えを聞きにきたのですか?」
「ははは、さすがに昨日の今日で答えが欲しいとは言わないさ。そろそろ君の家から手紙が届いている頃だと思ってね」
「ジル様も知っていたのですか⁉」
「私の本気を知ってもらうために、君の婚約者に立候補したんだ。君が大聖女になるモチベーションは聞いている。好きでもない人と結婚するのが嫌だったんだよね?」
「それが一番の理由ですわね……」
「だからこそ私を選んで欲しい。大聖女になるだけが幸せの道じゃない。必ずイリアス家から守り抜くと誓うよ」
「ジル様……」
魅力的な提案に心が揺れる。マリアの成績は首位だが、確実に大聖女になれる保証はない。
もし成績不振で教会を追い出されれば、最悪の結末が待っている。それならジルと結婚するのも悪い選択ではないように思えた。
「私が教会を去ったら、ジル様はどうしますの?」
「もちろん。君と一緒に領地に帰るよ。幸いにも私は能力だけは高いからね。不自由しない生活を保障するよ」
「上級司教の夢はどうするのですか?」
「それは……君がいてくれるなら、叶わなくてもいいさ。私にとって上級司教だけが幸せじゃないからね」
(やっぱり釈然としませんわね)
自己肯定感の低さのおかげか、彼の愛を簡単に信じることはできない。モヤモヤした感情が心の中に渦巻いていく。
「あの、どうして私なんですの?」
「優しいところや、真面目なところが魅力的でね……好きになったんだ」
嬉しい言葉だが、どこか軽い。本当にジルは自分を愛してくれているのか。過去に家族から悪意を向けられてきた彼女だからこそ疑心暗鬼になっていた。
(それに……ケイン様の事もありますもの)
ジルとの結婚に想いを馳せると、ケインの顔がチラつくのだ。このような状態で彼と結婚することはできない。それが暗に伝わったのか、ジルは悲しそうに眉を落とす。
「私は諦めないから……かならず君を私の妻にする」
「ジル様……」
「また来るよ」
それだけ言い残して、ジルは部屋を後にする。その背中はどこか哀愁が漂っていた。
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