第一章 ~『試験とケイン』~


 物置で朝を迎えたマリアは身嗜みを整える。今日の試験でマイナス評価を受けないように入念にチェックを終えると、物置の外へ出る。


 太陽が昇り始めた早朝のため、働いているのは一部の使用人だけだ。止められることはないだろうと、廊下を歩いていると、進む先にサーシャが待っていた。


「お姉様、こんな早朝にどこに行くのかしら?」

「そ、それは、その……」


 家を出ると言えるはずもない。そんな彼女の反応を楽しむように、サーシャはニヤニヤと含み笑いを浮かべている。


「まぁいいです。それよりも、この指輪を覚えているかしら?」

「それはお母様の⁉」


 サーシャは薬指から指輪を外す。薄桃色に輝くピンクダイヤ。忘れもしない母の形見の品であり、平民の娘には勿体ないとグランドから取り上げられたものだ。


「返して欲しいかしら?」

「もちろんですわ!」

「ですが駄目です。これは私のものですから」

「うぅ……」

「ただ盗人のようで癪ですから、きちんと代金はお支払いします。さぁ、拾いなさい」


 サーシャは金貨五枚を投げ捨てる。彼女からすれば小遣い程度のはした金だが、マリアにとっては高額だ。


(悔しいですが、家を飛び出して生きていくなら、お金は必要になりますわ)


 プライドが拾いたくないと訴えかけるが、マリアは理性で感情を抑えつけ、一枚一枚を懐に仕舞いこむ。


(お母様の形見はいつか取り返しますわ)


 この金貨で人生を変えてやるのだ。そして辛く当たったことを後悔させてやると誓う。


「私はもう行きますわね」


 用事は済んだだろうと、サーシャを置いて立ち去ろうとする。


「お姉様!」


 だがすれ違いざまに呼び止められる。彼女はスカートの裾を掴み、何かを言いたげな表情をしていた。


「どうかしましたの?」

「な、なんでもありません!」


 サーシャはスタスタと逃げるように、その場を去る。妹の態度に釈然としないが、彼女に構っている暇はない。


 裏口から屋敷を飛び出し、街まで向かうと馬車を探す。


 幸運にも客引きをしている御者はすぐに見つかった。懐に余裕があったので、金貨を見せ、超特急で試験会場まで運んで欲しいと伝えると、眼を輝かせて走り出した。


 流れていく景色を眺めながら、思い出を振り返る。辛いことばかりの日常だったが、同僚の使用人たちには親切にしてもらった。彼らにお別れを伝えられなかったことだけが心残りであった。


「到着しましたよ」


 馬の嘶きと共に、馬車が停止する。街から数時間の距離を移動し、辿り着いたのは試験会場の王都教会である。


 御者に礼を伝えてから外に出ると、整備された自然庭園が広がっていた。


 敷地は小さな街くらいの面積がある。自然に囲まれた並木道を進むと、待っていたのは柿色の瓦に彩られた白亜の教会だ。その美しさについ足を止めてしまう。


(適性検査で利用した教会とは大違いですわ……合格できれば、この綺麗な教会で大聖女を目指せますのね)


 国中から大聖女候補が集まってくる。良きライバルの中には、良き友人となる者もいるはずだ。まだ見ぬ憧れの生活に空想を広げていると、彼女の肩がポンポンと叩かれた。


「君は受験生かな?」

「あなたは?」

「僕はケイン。この教会の神父で、試験官でもある」


 ケインと名乗ったのは、銀髪赤眼の青年だった。スラっとした高身長と、整った顔立ちは、御伽噺の王子のようである。銀縁の眼鏡もよく似合っており、凛々しさの中に知性を感じさせた。


「教会は広いからね。試験会場まで案内してあげようかい?」

「ですがケイン様のご迷惑になりますわ」

「子供が遠慮しなくていいさ。おいで。連れて行ってあげよう」


 ケインが先導する形で、その背中を追いかけていく。後ろ姿まで凛々しくて、つい見惚れてしまう。


「君の名前は?」

「マリアです」

「もしかしてイリアス家のマリアかい?」

「私の事を知っているのですか?」

「聖女を輩出している優秀な家系だからね。有能な人材を求めている教会としては、見逃せないさ」

「…………」


 屋敷では使用人のように働いていたマリアだ。巷で噂になるような成果を残した覚えはないため、名前を知られていることに疑問が残る。


(……例えば使用人仲間の誰かが私のことを褒めてくれたのかしら)


 噂の出所は分からずとも、評判が良いに越したことはない。知らぬ誰かに感謝していると、教会の中へと通される。


 艶のある会衆席と椅子が並んでいる。壁には十字架像が飾られ、ステンドグラスの窓が填められていた。


「ここが試験会場だよ。じゃあ、僕は仕事があるから失礼するね」

「ご親切にありがとうございました」


 既に他の受験生たちは着席していた。礼を伝えたマリアは、邪魔にならないように、静かに後ろの席に座る。


(この人たち全員が聖女の適正持ちですのね)


 大聖女は誰もが憧れる最高権力者だ。そのため受験生にはマリアのような子供もいれば、大人も混じっている。年齢も性別も身分さえも関係なく実力だけが評価される。


(あれだけ勉強しましたのよ。絶対に合格できますわ)


 雑用をこなしながらも、書庫の本棚で勉強してきた。さらにサーシャの宿題を押し付けられ、代わりに解くことで理解も深めてきた。


 睡眠時間を削りながらの学習は苦難の日々だったが、努力してきたからこそ自信がある。絶対に合格できると自分を鼓舞する。


(勉強量だけではありませんわ。試験に落ちたら結婚させられますのよ。合格したい気持ちは誰にも負けませんわ)


 心の中で意気込んでいると、祭壇の前に神父の一人が立つ。試験の説明が始まるのかと耳を傾けていると、厳格な声が反響した。


「これより試験を始めるが――その前に、適正が聖女であるかどうかの確認を行う!」


 協会内がざわめき始める。事前の説明ではなかったプロセスだ。


「静粛に! 事情を説明しよう。実は先日、大聖女候補の中に白魔術師の適正持ちが紛れ込んでいることが判明した。知っての通り、白魔術師も人を癒すことができる。しかし聖女の適正持ちと異なり、成長に限界があるため大聖女に至ることはない。育成に費やした資金と労力を無駄にしたのだ」


 そのため急遽、適性の確認を追加したのだと続ける。


(私は聖女の適正持ちですから、何も心配は――ああああっ、このままでは不合格になりますわ!)


 公式の記録が改竄されて、マリアは薬師で登録されていたことを思い出したのだ。背中に冷たい汗が流れる。神父の説明は無慈悲なままに続くのだった。

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