第一章 ~『家にいたら駄目』~


 マリアが王国の大聖女となる転機は八年前に遡る。


(とうとう、チャンスがやって来ましたわね)


 大聖女は憧れの地位であり、誰でもなれる者ではない。国中から聖女の適正を持つ少女が集められ、教会での学びの果てに至ることができるのである。


 だが聖女の適正ある者すべてにチャンスが与えられるわけではない。厳しい試験を突破した者だけが教会での学びを得られるのだ。


 ただ合格さえすれば、大聖女候補として優遇される。悲惨な運命を変えることができるのだ。


(大聖女になれば、この家には二度と戻ってきませんわ)


 マリアは実家であるイリアス家を憎んでいた。十二歳の彼女だが、反抗期というわけでもない。


 憎しみの理由は、彼女が父親から冷遇されていたからだ。男爵令嬢としての淑女教育も、満足な食事も与えられず、毎日罵倒される日々。庇ってくれる母親も死別していた。


 平民の子。耳にタコができるほど聞かされた言葉だ。平民だから何をしても許されると、殴る蹴るの暴力も日常茶飯事だった。


 救いの手を義理の母親に求めたこともある。だが彼女は汚らしいと、その手を払いのけた。残された家族はただ一人、義理の妹のサーシャだけだが、彼女もまた悪魔の血を引いていた。


 サーシャは両親からの愛情を後ろ盾にして、マリアを影から虐めたのだ。


 猫を被るのが得意なのか、本性を晒すことはなかったが、裏から手を回し、マリアを窮地に追いやった。


 暇だからと使用人の仕事を押し付けられたし、個室をプレゼントしてやると物置に押し込められた。


 隙間風に震えながら、最低の日常に耐えてきた。だがこのような不遇な立場に置かれたのも契機があった。教会で受けた適性検査が原因である。


 イリアス家は代々、回復魔法を得意とする聖女の適正者を輩出する家系であり、魔法のエネルギー源となる魔力も多く持って生まれる。両親は溺愛しているサーシャこそが聖女になると期待していた。


『きっとサーシャが聖女の適性者に違いない』

『私たちの子供ですもの、間違いありませんわ』


 グランドの意見に義理の母も追従する。凛々しい顔付きと、透き通るような銀髪に、血のように赤い瞳は、サーシャと瓜二つだ。三十代前半だが、実年齢よりも若く見える美女である。


『お父様、お母様。絶対に聖女の適性を手にしてみせます』

『期待しているぞ』

『はい!』


 グランドから頭を撫でられたサーシャは目を細める。両親からたっぷりと愛情を与えられ、頬も緩んでいた。


『お姉様も頑張ってね』

『うん……』


 気のない返事を返す。この頃のマリアは母親を亡くし、落ち込んでいた時期だった。暗い性格も父親に嫌われた一因になっていたのかもしれない。


『では、二人共、準備はよろしいですね』


 教会の奥から神父が水晶を運んでくる。大理石の石壁に足音が反響する。息遣いさえ聞こえる静寂に包まれ、緊張感が増していく。


『まずはサーシャ様、この水晶に手をかざしてください』

『わ、分かりました』


 厳かな雰囲気の中、神父から水晶を差し出される。その上に手を乗せると、サーシャは魔力を込めた。すると水晶が白い輝きを放ち、宙に文字を描く。


『サーシャ様の職業適性は……薬師ですね』

『え……』


 絶望でサーシャはその場に崩れ落ちる。期待していた聖女の適正どころか、貴族に相応しい魔法職でもない。平民に稀に出現する薬師こそが彼女の天職だったのだ。


『落ち込まないでください、サーシャ様。薬師も悪くはありません。回復魔法は使えませんが回復薬を調合できますし、自らの体調を把握する自己診断スキルなど有用な能力を習得可能です』

『慰めなんていりません……』


 それだけ言い残して、サーシャは泣きながら教会を飛び出してしまう。その背中を母親が追いかけた。


 残されたマリアたちに気まずい空気が流れるが、適性検査を止めるわけにはいかない。


『次はマリア様の番ですね』

『はい……』

『ふん、どうせ外れ職業に決まっておる』


 マリアは恐る恐る水晶に手を乗せる。すぅと息を吐くと、魔力を勢いよく込めた。


『こ、これは……』


 注ぎ込んだ魔力によって、水晶は輝きを放つ。宙に描き出されたのは、聖女の適正ありを示す文言だった。


『おめでとうございます、マリア様! 念願の聖女の適正持ちですね』

『あ、ありがとうございますわ……あ、あの、お父様、私……』

『ふん、お前が聖女か……これは間違いだな』

『え?』

『おい、二人の職業適性の記録を入れ替えろ』

『お父様!』


 教会の記録は生涯残り続ける。大事なサーシャを守るため、グランドはマリアを犠牲にすることにしたのだ。


『ですが男爵、教会の掟では――』

『掟は大事だろうが、金も大事ではないか?』


 革袋にパンパンに詰まった金貨を差し出すと、神父はゴクリと息を呑む。賄賂による記録の改竄に、彼は首を縦に振って同意した。


 それから二人は聖女のサーシャ、薬師のマリアとして生きることになった。


 薬師の適正者がマリアだと周囲に強調するように、グランドは人前でマリアを罵倒するようになった。


 心休まらない日々に、使用人たちと同じ労働を課され、精神的にも肉体的にも負担が大きかった。同僚たちが優しくしてくれたことだけは救いだが、子供の身体に肉体労働は堪えた。


 だが本当に辛かったのは、殴る蹴るの暴力が始まってからだ。


『おい、サーシャのための犠牲になれ』


 薬師は回復草を調合できるが、その練度を示すスキルレベルを上げるためには、回復薬で他人の治療しなければならない。


 しかしイリアス領は王国の中でも内陸に位置するため、争いはなく、そう都合良く怪我人も見つからない。


 そこでグランドはマリアに目を付けた。彼女に暴力を振るい、無理矢理怪我を負わせた上で、回復薬を飲ませることで無理矢理レベルアップを図ろうとしたのだ。


『お前はサーシャのための道具だ。死んでも構わんからな』

『お父様、殺しては駄目ですわ。お姉様はいつでも健康な状態でいて貰わないと』

『ククク、確かに殺しては苦しみから解放してしまうからな』


 サーシャとグランド。二人の悪魔に虐められたマリアは、このままでは殺されると危機感を抱いた。そんな彼女の唯一の望みこそ、大聖女候補に選ばれることだった。


(大聖女候補になれば、教会に保護してもらえますわ。お金にも困らないし、この家とも絶縁できますわ)


 それだけを希望に十二歳まで生き抜いてきた。だがその希望を打ち砕くように、誕生日にグランドに私室へ呼び出される。


「お前に縁談の話がきている」

「お見合いですか……で、ですが、私はまだ十二歳で……」

「相手の年齢も近い。問題にはならない」

「で、ですが……」


 結婚は困る。大聖女となれば、家と縁を切って完全に自由となれるが、結婚となれば話は別だ。実家との関係が続いてしまう。


「しかも相手は第三王子のレイン様だ。喜べ、玉の輿だぞ」


 姿絵を渡され、ゴクリと息を飲む。黒髪黒目の人より豚に近い醜男がそこには描かれている。


 絶対に結婚したくない。粟立った肌が拒絶反応を示していた。


「あ、あの、私は王子様に不釣り合いですから……」

「ブサイクが嫌か?」

「い、いえ、そんなことは……」

「心配するな。王子の顔は間違いなく姿絵そのままだ。なにせ、サーシャが実際の王子と会い、その記憶を元に描いたからな」


 絵の印象と実物に差があることは往々にしてある。だがサーシャが実物を目にしている以上、僅かに抱いていた期待も打ち砕かれてしまう。


「さらにだ、王子は氷のように冷たい性格だそうだ。なにせ気に入らない公爵令嬢を破滅させたこともあるそうだからな」


 外見だけでなく、内面まで問題を抱えている人物。そのような人と結婚することに対し、絶望で足が震え始める。


「あ、あの、私は……」

「おいおい、この縁談はサーシャがお前のためにと、舞踏会に参加して探してきてくれたのだぞ。まさか妹の好意を無下にするつもりはなかろうな?」

「サーシャが……」


 悪質な嫌がらせだと、サーシャを睨みつける。だが返ってきたのは、口元に浮かべた微笑だけ。煽るような笑みに怒りが湧き上がるが、グッと抑え込んだ。


「私としても、お前が王家に嫁いでくれるのはありがたい。なにせ結納金もかなりの金額を約束されている。役立たずの娘にも売り先があるものだな」


 父親の歪な笑みに、恐怖でゾッとさせられる。


(この家にいたら駄目ですわ!)


 マリアは父親の傍にいたくないと、廊下を走り出す。試験に合格し、絶対に一人で生きていく。そう覚悟を決めて、彼女は最低の家族たちに心の中でお別れを告げるのだった。

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