第4話
「だから、無駄だと言ってるじゃないですか! 俺たちゃ、もうお払い箱みたいなもんなんですよッ!
「買われる本はほんと僅か! その殆ども稀覯本とか、物好きな連中ばかり! 先生のような何処の書店にも、もう置かれていない本は楽ですよね!
「私は違いますよ! 一時の流行で店頭に大量に積まれて置かれて――はやりが過ぎれば、もう誰も読まない! とりわけ、ミーハーな連中なら特にですよ!
「全部読み終えたかも怪しい、読んで途中で飽きてそれでおしまい! 後は売られて古本になるんだ。行き着く先は、あそこのボロボロな古書でしょうよ!」
推理先生の所に戻ると、何やら騒がしい。その喧騒を物見にしているのか野次馬も集まってる。
ただ喧嘩ではないだろう、基本的に落ち着いており、ネタバレと何とかの十戒以外には寛容な推理先生だ。相手の口調も喧嘩腰と言うよりは、自分の主張を強く告げるあまり、思わず熱が入っている方が近い。
「うん、まあ、まあ、落ち着き給えよベストセラー君……」
推理先生は落ち着かせているが、ベストセラー君と呼ばれた本(装丁も新しく、題名も最近耳にするものだ)は一向に収まる気配がない。
周囲で見ていた本たちも落ち着かせようと声をかけているが無駄である。
「あら、小説君たちじゃないの」
集団の一冊がこちらに気付いた。途端にむせ返りそうな淫靡の雰囲気が漂い始める。
「ああ、姐さん。何の騒ぎですか?」
「新しい子が自分たちはお払い箱だ、とまるで情事の如く騒いでいたから推理先生が止めに入ったのよ。そしたら、あの子、初夜を貪るオオカミみたいに突っかかってるの」
姐さんは困り果てたように溜息を吐く。桃色の混じるそれは、魔性の芳香。姐さんがどんな本なのかは、語るまでもないだろう。
その間にも推理先生とベストセラー君はぶつかり合う水と炎のように、さながら消火活動の如く議論をしている。迂闊に止めに入れば火傷すること受け合い。主人公も黙って傍観をしていたが、ふと図鑑ちゃんがビクビクしているのに気づき、落ち着かせてやる。
「もう良いです! 希望とか薄っぺらい話しか出来ない貴方に割く時間はありませんよ!」
やがてベストセラー君は捨て台詞を残し、立ち去ってしまう。付けられたままの帯が少し破けているのが見えた。
野次馬たちも久しぶりに良いものを見られた顔つきで離れて行き、残された主人公たち。推理先生はこちらの存在に気付いてはいたが、それよりもベストセラー君のことを気に病んでいるのか立ち去った方向を見ては己の不甲斐なさを溜息に乗せて吐く。
「先生、先生」沈黙に耐え切れず小説君が声をかける。
「ああ、君たちか。いや、かっこ悪い所を見せたね」
推理先生は自嘲気味に笑う。いつもと同じ笑い方だが、その元気のない声がより悲壮感を増させる。
「彼の気持ちもわかる。ただ、それも運命だ。そして、この先も運命なのだよ。どうなるか誰にも分からない、何かが起きて再び人気になるかもしれない。ならば、せめて希望だけは持っても良い、と思ったんだがね……」
推理先生の言葉は確かにそうだ。
だが、ベストセラー君の言うことも一理ある。
正しい――そう正しいのだ。
そして、その正しさは――その時が来るまで、誰にも分らないのだ。
「いい天気だねー、見て見てあのお日様、まるでスカラベの作る玉のように丸いよ!」
主人公と図鑑ちゃんは少し日の当たる場所にいる。少し前のことを忘れたように、空に光る太陽のように朗らかな様子の図鑑ちゃんだが、恐らくは隣で考え込んでいる主人公のことを思ってくれているのだろう。先程から何かと虫の話題をしてくる図鑑ちゃんの幼気な姿がまぶしい。
あの一件の後、推理先生のことを小説君と姐さんに任せて、主人公は図鑑ちゃんと共に日課にしている日向ぼっこと往来する人たちの観察をしている。
最も主人公の頭の中は、先程のベストセラー君の言葉が渦巻いている。その気持ちは痛い程にわかる。
自分も同じなのだ。
ベストセラーであり、これまで何回も同じ本が刷られてきた。
幾ら本を求める人がいても、求められる本は時代と共に変わりつつある。
長く愛されている本であっても、それは同じ。
不必要と判断されれば――
自分に代わる良い本が出れば――
本ではなく、もっと便利で簡単な知識を得られる場所があれば――
自分のような本は何れ埋もれていくのだろう。
いやいや、駄目駄目だ。
悪いことを考え始めたので、必死にそれを振り払う。
大丈夫、大丈夫と何を根拠にしているかもわからず、それでも主人公は自分を安堵させる。
そうだ、あれだ。確か引き寄せの法則だったか、あれを信じよう。強く思えば願いはおのずと叶う。
ポジティブ、そうポジティブにだ。
前向きになれ、自分。
とまあ、ちょっと前に出会った本である啓発講師の胡散臭い思考に縋る。
口調から姿から、題名に至るまで鼻で笑いそうな本であったが、こういう時には思わず頼ってしまう。あの手の本が大量に出回るのも、案外そういう理由なのか。
そんなことを考えていた時だ、遠くから何とも嬉しそうに駆けてくる足音が聞こえる。
「わわっ! 子供だ、珍しい!」
図鑑ちゃんが声をあげる。
まだまだ幼い子供は爪先を立てて低い背を必死に上げながら、カゴの中を覗き込んでいる。
そのキラキラと輝く瞳は主人公にとって過去の思い出を彷彿とさせてくれる。
「そうだな。ちょいとこの街に来るのは早いな……うん、最近の子は大人びていると姐さんは言っていたが……」
内心嬉しさに溢れつつも主人公はあくまでも冷静を装う。
子供はカゴの中の本を一瞥すると、主人公と図鑑ちゃんに熱い視線を向けてくる。
お、これはもしかして――
ついに買われるのか、と主人公が期待していると子供の後ろから老人がヨタヨタと駆け寄ってくる。
自分の年も考えずに走ったのか、老人はぜぇぜぇと呼吸をしている。そんな老人を子供は心配して、背中を優しく撫でている。二人が交わす会話から家族なのは明白だ。
数秒後呼吸が整ったのか、老人は子供と話しながら本を吟味しているようだ。
よく見ると主人公はこの老人に見覚えがあった。確か頻繁にこの書店に訪れている、店主の父からの付き合いだった筈だ。
「おじいちゃん、こっちの方がいいの?」
「うむ。色々な所が出してはいるが……これが一番分かり易いからな」
そう言うと老人は主人公を手に取る。
え、まじか?
買ってくれるんですか、おじいさん!
「うーん、何か変な人の顔が表紙にいるけど? ほんとにムシの本なの?」
「そうだとも。ああ、ついでにこれも買っておくか……少々古いが……ふむ、問題はないだろう」
そう言って、老人は更に図鑑ちゃんも手に取った。
共に手に取られた二冊の本。
主人公は静かに歓喜していたが、それは図鑑ちゃんも同じだ。
ふと、カゴの中を見ると、小説君と推理先生、それに姐さんが別れの挨拶を告げてくる。恐らく二度と出会うことは無いかもしれない、一期一会の出会い。
短い間であったが、良くしてくれた彼らに主人公と図鑑ちゃんは礼を告げる。
やがて老人は二冊の本をお金と共に子供に渡すと、店内にいる男に見ながら買ってくるように言う。早いうちに孫に物の売買を教えたいのだろう。
子供は二冊の本を抱きかかえながら、店主の男を見ている。恥ずかしいのか、一向に店内に入ろうとはしていない。
そうしていると店主の男が外の様子に気付いたのか、店から出てくる。膝を曲げて、優しい声色で少しぎこちない笑顔で接する男に連れられて子供も店の中に入ってくる。
久しぶりに入った店内。長く共に過ごした本たちが主人公に気付くと、静かに祝福の言葉を告げてくれる。恐らくは彼らとも最後だ、主人公は別れを口にし、図鑑ちゃんもそれに倣っている。
レジに置かれ、金銭のやり取りがされるの見る。
そして男は持ち帰る際に汚れないよう、丁寧にカバーを付けてくれる。
茶色のザラザラとした包み紙。
それが視界を遮り始める。
新しい読み手の元に行く喜びに主人公は涙を流しそうだった。
何回読んでくれるのか、大切にしてくれるか、そんな不安と期待と混ぜ合わせた感情を抱きながら、主人公の視界は完全に防がれた。
「……ふむ、よし帰るとするか……お?」
子供を待つ間、老人はふとカゴの中を見て一冊の本を手に取る。普段なら気にもかけないが、何故かこの時ばかり唐突にその本が気になったのだ。
初めて読むジャンルだが、これはこれは――おおッ⁉
老人はその本を手に取ると、可愛い孫に気付かれぬよう、そっと店主に差し出した。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます