第3話
安売り用のカゴに入れられて、早いもので一週間経った。
依然として主人公は買われることは無く、自分が出会った他の本たちも同じだ。
道行く人がたまに本を手にするも、殆ど買うことはない。ただ、それでも少し前と比べると街全体にひと気が増したことは僥倖だ。
様々な本を求める人が集まるこの街。何より季節は春、これから新たな生活を始めようとする者へ本を贈ろうとする親や祖父母が本を吟味している。
更には学生の姿もちらほらと見える。年若い彼ら彼女らが、難しそうな顔をしながら本を手に取る行為も見られるようになっている。
ただ、書店が多いのもこの街の特徴。
故に競争相手は多い。
すぐ隣の店で本が買われているのを見ると、少し悲しい気持ちにもなる。
だが、本の選択は必然の出会いだ。
求める人が居て、求められた本がある。
星の数だけ世の中に本があるが、それと同じくらいに本を求める人は多いものだ。
焦ることは無い。
主人公は期待を胸にしつつ、今日も一日本たちと雑談を始める。
最初の頃はすぐにでも買われるだろうという謎の自信があった主人公だが、その思いは五日目には消えた。
何より一日中、待っているのも暇だ。
主人公は昨日辺りから小説君と共に、このカゴに居る他の本たちと出会い始めるようになってきた。
「いやぁ、戦記閣下の話は面白いなぁ」
朝から出向いていた戦記閣下の話を聞き終えて、主人公は小説君と共にいる。雰囲気こそ物々しい本であったが、その独特な語りと分かり易い説明で思わず聞き入ってしまった。
主人公も小説君も、二人の本内容から出会うことは難しい本。貴重な体験に浸っていた二人の前に突然一際大きな図体の本が現れた。
「ねーねー、何してたの?」開口一番、如何にも子供らしい声と喋り方。
「お、図鑑ちゃん。さっきまで戦記閣下の話を聞いていたところだ」
「へぇー良いなぁ! ぼく、難しくてよく解らないもん!」
図鑑ちゃんは小説君とは既知の本なのだろう。楽しそうに会話に花を咲かしている。
生憎主人公は初めて見る本なので、どんな子なのかと見ようとすると、図鑑ちゃんは自分の身を隠した。
「あ、初めて会う本だ! だめッ! 見ちゃ駄目ッ! ぼくが何の図鑑か当ててみてよ!」
「ええ? ヒントも無しでか?」
「うん! そうやって、メダマグモのように目をおっきくさせて僕を見たら駄目! じっくりと考えてね。大丈夫、アリジゴクのように気長に待つから!」
「あー、大丈夫。もう、分かったから」
そう言って主人公は図鑑ちゃんが何の図鑑なのか告げる。
正解のようで、図鑑ちゃんは凄い凄いと幼児を相手にする教師のように褒めてくる。
正直に言って、自分から答えの要素をバラしていたが、そこは敢えて突っ込まないことにする。
「これから推理先生の所に帰るが、図鑑ちゃんも来るか?」
「うん! 先生の話は難しいけど、みんなと一緒にいたい! 恐竜ちゃんは少し前に買われちゃったから寂しいし……」
恐竜ちゃんとは、恐竜図鑑のことか。そう言えば、数日前に孫にせがまれて祖父がその本を手にしたのを思い出す。
「なら、行こうぜ――っとその前に、図鑑ちゃん、ちゃんと挨拶はしておけよ」
小説君は主人公を見てから、図鑑ちゃんを促すように言う。
「うん、初めまして! よろしくお願いします!」
「お、おお……よろしくね。君とは仲良く出来そうだ」
主人公の言葉に図鑑ちゃんは分かり易いように頭上にハテナを浮かべている。彼が昆虫図鑑であるならば、主人公のテーマとも相性が良い。色々と深い話が出来そうである。
そうして推理先生の元へ戻る途中、主人公は少し離れた場所にいる三冊の本に気が行く。何故かと言うと、主人公がこのカゴに入れられた時から、同じ場所で三冊だけで固まっているのだ。
どんな本なのか、少し近づいてみた瞬間――頭が痛くなるほどの会話が聞こえてくる。
「ですから、かつて文明の進歩に遅れたアジアの一小国の我が邦は昂然として西欧諸国に立ち向かったからこそ、今があるのです。では、何をすべきか、即ち軍備です、軍備以外の何を頼みに国を保つのですか? 相手が百万の軍隊を持ち、数百の軍艦を持ち虎視眈々と世界を睨んでいる中で、神だの信心だのが何に役立つのですか。如何に毎日祈りを捧げた所で、けっきょくは神頼みではないですか。それで諸外国の力を防ごうなどと言う者を、バカと言うのですよ」
「それでは争いは止まりません。力を以て何かをねじ伏せる行為は、いずれ新たなる災いの火種を燻ぶらせるのですから。貴方は大層歴史にお詳しいようですが、それならば、過去の大戦を反省して制止をしないのですか? そして、それらの争いの原因を何故理解しないのですか? 今日に至るまで人間は数えきれない程の争いをしています。それらは全て博愛のなさ、共存共栄を嫌う心なのです。そして全ての人類が須らく深く尊い信仰心を持つことこそが、平和であり、何物にも勝るのですよ」
「――うんうん、分かる分かる。あれだな、スポーツの分野でもあるよな、そういうの……」
警鐘が高く鳴った気がする。うん、恐らくだが、あまり関わらない方がいい本だろう。
「おい、あまり見るな関わるな。あの三冊は話題にしてはいけない三賢本だ」小説君は早口でまくし立てる。その感じからして、恐らくあの三冊の洗礼を受けたのだろう。
君子危うきに近寄らず。
主人公たちは激論を続ける三冊を尻目に、足早に推理先生の元へと戻ることにした。
道中、虫のことを熱心に話す図鑑ちゃんに主人公はうんうんと頷き、時折面白い話で喜ばせてやる。専門外なのか小説君は話に入ってこないが、嬉しそうな雰囲気は伝わってくる。
対象がどうであれ――
記した内容で喜ばせたり。
時には涙を誘ったり。
醒めない興奮や息をのむ展開。
くすりと笑う、ちょっとしたフレーズ。
為になる話、知らなかったこと。
それらで、誰かが楽しくなってくれることこそが――本にとって何物にも代えがたいことなのだ。
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