第2話


 店主である男に安売り用のカゴへと置かれてしまった主人公。必死に自分を店内へ戻してもらおうとするも、その声は男には聞こえることは無かった。

 がくりと肩を落とす主人公に、かけられる声に慰めはない。


「へいへい、あんた綺麗な衣服カバーを着ているな。まあ、次期にそのおべべも薄汚れちまうけどな!」

「可哀想だなぁ、悲しいなぁ。でも大丈夫、ここでは汚さこそが勲章だからな!」


「うわぁ、何だここ……『青鳥日報ツイッター』の悪意を濃縮したような場所だ……。他者の不幸をふりかけに飯食う奴ばかりじゃん」


 あまりの民度の低さに主人公は驚きの声を漏らしつつも、繰り広げられる罵声と悪意にうんざりしてくる。

 このカゴ事態は時折店内からも見えていたが、まさかここまで汚れた本ばかりとは恐れ入る。

 同じ汚れ具合でも、店内にいる本の方がまだマシだ。基本的にそうした本たちは謙遜する。言葉遣いも柔らかく、それは春の暖かな日中に似ている。

 主人公は冷静に分析しながら、自分の周囲にいる本たちに何か言うことはしない。こうした手合いは無視をしておくのが一番であると知っているからだ。これが作者おやであれば、五月蝿い鳥だと射殺しているが、主人公は勿論そんなことはしない。

 すると、本たちが僅かに声を潜めた。何事かと思っていると、突然自信に満ちた、満ち過ぎたとも形容できる声がした。それは自分がこのカゴに入れられた時に第一声をあげた本と同じ声だ。


「おや、随分と冷静な新入りがいるな。もしや、初版本最初の者たちか」

「初版の旦那!」


 その声は自信と自尊心に満ちている。柔らかな言葉遣いもあって主人公は安堵を覚えそうになるが、その本が周囲から『初版』と呼ばれているのが少し嫌な雰囲気を醸し出していた。

 

「どれどれ……ふむ、いやぁ、何とも驚いたな。その如何にも大量印刷された顔をしているな。いや、見間違いだったかすまないすまない」


 初版の旦那はこちらをジロジロと見てきたが、ものの数秒で主人公が初版本でないと気付くと、悪意あり気に謝ってきた。

 それと同時に取り巻きである小汚い本たちがせせら笑うが、主人公は気にしない。初版本なんぞ、店内では無数に出会ってきているし、何より大量に刷られたということは、それだけ自分に価値があるのだから。


「おい、おい! そんな奴らに何時までも構うな。こっち来い」


 主人公が何も言いださないことを気にかけてくれたのか、後ろから一冊の本が声をかけてきた。

 その本に初版の旦那は何か言う訳でもなく、その悪意と自分は選ばれた者と言う自尊心の笑みで見続けている。取り巻きの本共は何か小さい声で言ってくるが、相手にする必要性はない。


「ったく、あんな奴らと話していると疲れるぞ。おとなしく俺らと一緒にいろ」

「ああ……それは、どうも」


 自分に声をかけたのは別段普通の小説だ。題名を聞いたことがある、程度の本である。


「このカゴの中は大抵そんな奴らばかりだ。大抵店内から落ちた連中は初版の旦那たちに歓迎されるが、アンタのような何も言い返さない奴は珍しい」

「まあ、気にする程の言葉でもないからね。自分が何冊目の発行本なのかは知らないけど、数多く発行されていることはむしろ誇りに思ってよいからね」

「おお、アンタ随分と大人だな。……確かにアンタの題名はこれまでも見たことがある……良いよな、長く発行される本って……」


 小説は少し羨ましそうに言った。本としても、自分に書かれた作品が世に長く出回るということは憧れなのだ。


「おや、小説君。新入りかね」少し離れた場所にいた本が声をかけてくる。

「ええ、結構肝の据わった奴ですよ、推理先生」

「ははッ! それは良い!」


 推理先生と呼ばれた本は嬉しそうにしている。今の彼を人間に見立てるなら、安楽椅子を楽し気に揺らして座る好々爺、或いは複雑怪奇な事件に挑む探偵殿であろうか。


「さてと、ここら辺で良いか。さ、俺らにとっての楽しみ、即ち新入りの話を聞こうじゃないか」小説君はワクワクを隠しきれていない。

「話……いや、俺は早く店内に戻りたいんだが」

「いや君、それは無理だよ。ここに一度でも入れられれば、戻ることは出来ない。誰かに買われるまでここに居続けるか、誰にも買われずに汚れて……」


 推理先生は神妙な面持ちで言うと、静かにある本へと視線を向ける。

 主人公が見てみると、そこには触れただけで壊れそうな一冊の本がある。表紙は大分汚れており、題名も殆ど掠れて見えない。頁の部分も日に焼けて変色しており、相当痛んでいるのだろう。


「古書の爺様だ。少し前からここに来ていてね。最もあの痛みの殆どはここに来る前のものらしい。日がな一日、あそこに居るが……買われる気配はない。あの痛みようだ、倉庫行きも早いだろう」

「倉庫行き?」主人公は不穏な言葉をオウム返しする。

「ああ、金銭的価値がない本が最後に行く場所だ。そこへ行けば、二度と日の目は見られないだろうな」


 推理先生の言葉を聞いて、主人公は身体を震わす。

 本として最も嬉しいことは誰かに読まれること。

 それが為せず、薄暗い倉庫の中で一生いることは耐えがたい。


「ま、誰かに買われれば良いんだ。アンタはまだまだ新品同然。何よりこの場所は色んな本好きの集まる街だ、機会はいくらでもあるさッ!」


 小説君はそうやって明るい声をかけてくれたが――主人公は微妙な笑みで乾いた笑いを返すしかなかった。

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