弐之書 鬼神

 四年の月日が流れた。あさぎは遙日とは頻繁に、両親には季節毎に手紙を交わしていた。だが、電話一本かけてこなかった。堪らずに母の八千代が柳生の里に電話を入れたが、娘との会話は叶わなかった。

 まだ、その時期ではない。

 柳生の里親はそう言った。八千代も若い頃は剣を鳴らした身だ。里親の言葉に畏怖が隠れているのを感じ取った。あさぎは天下の剣豪が集う柳生にあってなお、化け物として扱われている。そう感じて八千代は溢れる涙を止められなかった。「私の娘なのよ!」そう声を上げて叫びたかった。実の母親である自分が、まだ子供のあさぎを抱いてやることすら許さない。それが剣の世界か! 半ば呪いのような思いを抱かざる得なかった。なによりも家族から切り離されたあさぎが不憫でならなかった。盆・正月ですらあさぎは帰省を許されなかったのだ。身売りした女郎以下の扱いではないか! 八千代の中の憤慨と嘆きは血を吐くように激しいものだった。

 八千代は自制心が強い。夫である威三郎にその感情をぶつける愚は犯さない。だが、威三郎とて愚物では決して無い。恩師・宮崎春雪の言葉も深く心に刻んでいる。一年目の正月に帰省が許されなかった際に、単身車を飛ばして柳生へ赴き直談判している。里親は威三郎の父としての思いを聞いて、ただ「お気の毒です……」吐息をついてそう答えた。威三郎はその言葉に激高し説明を求めた。里親は「仕方ない」そう言って威三郎を柳生の里の奥の竹林へ誘った。途中崖を登り竹林を高くから見下ろす場所に出た。

「ご覧なさい。そこに娘御がおられます」

 里親の言葉を聞くまでもない。自分の娘を見間違える筈もない。崖下の竹藪の中に緋毛氈が敷かれ、鮮やかな振り袖を来たあさぎが小さく見えた。あさぎは緋毛氈の中央で野点をしていた。上座には一人の矍鑠とした老人。あさぎを取り巻くように屈強な男達が二十人。緋毛氈の上に座している。異様とも言える気がそこから立ち上っていた。そこにいるのが娘の姿をしていなかったら、威三郎は脱兎のごとくそこから逃げていただろう。

 鬼などと言う生やさしいものではない。そこに居る者全員が鬼神の気をぎらぎらと放っていた。見れば、男達の腰には全員に真剣がある。中には中腰で剣の鍔に指をかけている者すらいる。男達全員の殺気が膨れ上がって娘のあさぎに向けられていた。まるで、僅かでも隙が出来れば全員であさぎをなますに斬り刻もうと言う雰囲気だった。

 遠くから隠れ見るだけで震えが来ると言うのに、鬼神の剣気に取り囲まれているあさぎは平然としている。いつの間に身に付けたのか? 見事な所作で茶を点てる。まずは上座の老人に器を運ぶ。あさぎが頭を下げて茶器を老人の前に置く。老人の手が腰の剣に置かれる。背後の男達も今、まさに斬りかからんとする。その時、威三郎は見た。遠くに見えたあさぎの体がみるみる大きくなり、眼前に迫った。

(死んだ)

 威三郎はその時、そう思った。あさぎがではない。自分が死んだと思ったのだ。あさぎは身に剣など帯びてはいない。穏やかに微笑むあさぎの横顔を間近ではっきりと見ただけだ。それなのに、頭頂から尻の穴まで真っ二つに斬られる感触をまざまざと体感した。

 それは一瞬の幻覚だったのかもしれない。

 目を開ければ、可憐な振り袖姿のあさぎは遠く小さくあり、優雅な所作を崩さず次の茶器を配っている。だが、眼前に茶器を置かれた老人は歯を食いしばり、固まった体を動かそうと必死になっている。何人かの男達は一寸程剣を抜いた状態で金縛りに遭っていた。

「―――柳生二十人衆」

 里親は震える声で囁いた。

「あそこに居るのは、そう呼ばれる屈指の使い手です。表に出ることはありませんが、今、全日本大会に出しても軽々と優勝する器の者達です。上座におられるのが今の柳生流の師範に在らせられます。今のを見られましたか? 娘さんは柳生に来られたその夜、夜稽古で百人がかりをなされました。この深い森で、百人がかりで闇に乗じて娘さんを叩きのめそうとしたのです。得物は木刀。無論、防具はありません」

 その尋常で無い内容に威三郎は目をむいた。娘は、あさぎは小学校五年生なのだ。少女なのだ。何と言うことをするのだと、無言で睨み付けた。

 だが、里親は威三郎には目もくれず、崖下を見つめて畏怖を含んだ口調で言葉を紡ぐ。

「命じられたのは師範です。百人の中には、あの柳生二十人衆も混じっておりました」

「私は娘をいたぶってもらうために預けたのではありません」

「鳴神さん。私は同じ言葉を貴方に返したい。宮崎八段は何を思って、あの剣鬼を古流に預けようとしたのか? ご存知ですか? 鹿島一刀流の山田大悟先生は娘さんの写真を見ただけで、『ご勘弁願いたい。鹿島一刀流千年の歴史を当代で地に落とせません』そう言われたのですよ? この話。他流にも瞬く間に伝わりました。我が柳生流の師範だけがお受けになられた。私は師範が優れていたが故に受けたと思っておりました。だが、今は師範の目は節穴ではなかったのかと思っております。あさぎさんの夜稽古ですが、空が白む頃にはけたたましいサイレンと共に、柳生街道にずらりと救急車が並びました。百人。柳生の手練れが百人。皆、一撃で倒されていたのです。一人残らず複雑骨折です。頭に一撃を受けた者には今も病院のベッドに寝ている者が数名います。―――言うまいと思っていましたが、言いましょう。でなければ、貴方も納得出来ないでしょうから……。その、夜稽古で二人即死しています。頭を只の一撃で石榴のように割られていました。柳生の沽券は小学生の小娘に一夜で潰されたのです。二人の死を隠蔽するのは骨でしたよ。体力が尽きて動けなくなったあさぎ殿を、師範が木刀で袈裟斬りにして、漸くあさぎ殿は動きを止めた。それでも気を失わなかった。鎖骨を折られたのに……。正直に申しますが、あさぎさんは龍虎、いや、阿修羅の類です。それ以後、あさぎさんに剣技の指導はしておりません。茶道や華道、舞を学んで頂いております。道場の見学は許されていますが、袋竹刀一本握ることも許していません。師範は我々に『隙あらば打ち殺して構わん』そう仰っています。同胞を殺された門下生には、本気であさぎさんを殺めんと、隙を伺う者もおります。しかし、見たでしょう? 柳生二十人衆はおろか師範ですら、あさぎさんに打ち込めずに今に至ります。師範は『せめて気を抑える術を身につけるまでは剣の世界に入らせることは出来ぬ』そう申しておるのです。師範が申すには竹刀での立ち会いでも、あれは人を殺してしまう。柳生の活人剣の理を分かるまでは人里には下ろせぬ。とのことです。鳴神さん。今、あの娘御を里帰りさせれば、剣に飢えているあさぎさんは死体を作ってしまう。辛いのは分かりますが、堪えて下さい」

 威三郎は身の震えを感じた。あさぎが人を殺めていると言うのもショックだったが、まだ女にもなっていない幼い娘が、龍虎・阿修羅の類だと天下の柳生流に言われたのが、なによりもショックであった。いつの間にか、あさぎは阿修羅神と化していたのだ。

「―――あさぎは、あさぎは人に戻れますか?」

 里親は眉を曇らせた。

「分かりません。ありとあらゆる努力をしています。だが、あのままなら―――生涯を柳生の里で過ごすことも覚悟頂きたい」

 威三郎は絶望に倒れそうになった。その時、一瞬だが、あさぎが威三郎を見た。

(―――この距離で気づいたのか?)

 そう驚く威三郎にあさぎは黙礼してから微笑んだ。たおやかな少女の微笑みだった。

(―――望みはある。ああいう笑顔を浮かべるなら。親が娘を信じないでどうする!)

 威三郎は自らをそう叱咤して何とか体に力を取り戻した。

「分かりました。改めて娘を頼みます」

 そう言えただけでも、威三郎は自分を褒めてやりたい気分であった。


 そして、あさぎの肉声を聞くことも叶わず四年の月日が流れた。思春期を迎える娘には、まさに、芋虫が蝶に変化する時期である。柳生から初めてあさぎ本人から鳴神家に電話があったのは、まもなく春を迎えようとする季節であった。

 最初に電話を取った八千代は受話器を落とすほどに動揺した。自分の知っている子供の声のあさぎではない。軽やかに弾む、華を含んだ若い娘の声であった。柳生では一切剣技をさせられなかった為なのか? 武道家の低い声ではない。電話口からもひまわりを思わせる突き抜けて明るい魅力のある声だった。

 あさぎは中学を卒業したので、帰省して地元の高校へ行くと言う。柳生のお墨付きで、特待生として地元でも名門の女学校へ行くと言う。その高校は学問のレベルも高い。幼稚園からの一貫教育で高学力と礼儀作法まで叩き込む教育方針で、幼稚園の入学の際には両親への面接まである。富裕な名門の子女が集まる学校だ。編入はこれまで例が殆ど無い。故に特待生でも全国模試でトップクラスの学力を求められる名門だ。しかし、柳生で学問も叩き込まれたのか、あさぎは国立進学コースでも通用する成績で入学を決めていた。

 鳴神家は浮き足だった。

 四年間も引き離された娘が帰って来るのだから、無理もない。幸いあさぎの部屋は八千代が毎日手入れをしていたので、受け入れるのに家の模様替えなどしなくても良かったが、親にしてみれば、見知らぬ思春期の娘を招くに等しい。送られて来ている写真では、楚々として美しい娘にあさぎは変貌している。また、柳生でのあさぎを知る威三郎にすれば、あさぎが人に戻っているのかと言う大きな不安がある。

 遙日だけが落ち着いていた。来年中学生になる遙日はすでに町内一の美少女として名を馳せている。遙日が神秘的な百合だとすれば、写真のあさぎは向日葵のような明るい娘の筈である。少なくとも送られて来る写真のあさぎは、華やかな美しさで常に笑って写っていた。それが嬉しかったのだろう。自慢げに八千代がそれを口にすると、遙日は冷ややかに言った。

「そう思っていたら、しっぺ返しが来るよ。そうだね。花に例えるなら……」

 遙日はしばし考え込んでから言った。

「お姉ちゃんは曼珠沙華だよ」

 その意味する所は八千代には分からなかったが、微かに不吉を覚えた。曼珠沙華には死の香りがするように思えた。

 あさぎと頻繁に手紙をやり取りしていた遙日は、父・威三郎にも不吉な釘を刺した。

「お父さん。柳生から帰ったからと言って、お姉ちゃんが自分から道場に出ない限り、お姉ちゃんの剣を見ちゃ駄目だからね。特にお父さんは絶対立ち会わないで!」

 いささか憮然として威三郎は何故かと尋ねた。威三郎とて無為に時を過ごしていない。あさぎの人を凌駕した闘気を知ってからは、現役時代を上回る修練を積んできたのだ。

 遙日の答えは明瞭だった。

「ウチは道場の収入でご飯を食べているんだよ。大黒柱のお父さんが隠居したら困るじゃない!」

 柳生の里であさぎが何をしたのかは、誰もが口をつぐんでいる。遙日がそれを知るはずもない。だが、それを知る威三郎には遙日の言葉は五寸釘のように心に刺さった。威三郎はただ黙するしかなかった。頻繁なメールのやり取りからあさぎの実体を一番理解しているのは遙日しかいない。それに遙日には先見をするような天性の感がある。人の器や品性を見抜く鋭さは老成した禅僧を思わすほどだ。人を見る目に関しては、威三郎はまだ子供と言える遙日に一目置いている。


 再開の日が来た。

 威三郎は羽織袴。八千代は高級品の留め袖を借りて身繕いを整えた。柳生の里は少なくとも衣食住に関しては、あさぎに最上級の物を与えていた。写真のあさぎは値が想像も付かないような振り袖や簪で身を飾っていた。柳生の里で与えた物は全て鳴神家に送ると言われている。威三郎や八千代の元にはお節介な忠告も届いている。その者は訳知り顔であさぎの身の回りの品は全て国宝級に近い物ばかりだと言った。

「娘さんが帰って来るなどと思ってはいけません。茶道でも華道でも超一流の振る舞いで、高貴なお方のお相手を務めておられました。柳生の姫君をお迎えするお積もりでいなければなりませんぞ」

 元公家の家の出で、茶道の大家と知られる人物がわざわざ忠告に来たのには経緯がある。その人物は剣のことは何も知らなかったようだ。剣道家である威三郎にあさぎの剣の話は一切しなかった。そう言う配慮が出来る人物ではないので、あさぎが剣を振るうこともまるで知らないのだろう。あの娘御なら華道も茶道も家元に匹敵する。そう言って去った。

 あさぎは柳生で遂に剣を触らずに育ったのか?

 威三郎は腕を組み考える。だが、それでは剣道で特待生として高校入学するのは腑に落ちぬ話である。玄関先で見送ったまま座り込む威三郎の元へ八千代と遙日が見送りから戻って来た。

「お母さん! 塩!」

 珍しく遙日が柳眉を逆立てていた。威三郎は静かに顔を上げ、娘を見つめる。母から粗塩の袋を受け取った遙日は「なんて俗物!」と言い捨てて玄関に塩を撒いた。

「おい。遙日」

 諫めようと口を開きかけた威三郎に、遙日は喰ってかかった。

「あんな人と付き合うのは止めてよね! お父さん! ああ、反吐が出るわ。見栄と自尊心だけで出来た最低の人間。お父さん、誑かされないでよ! 私のお姉ちゃんなんだから、お父さんの娘なんだから、普通に受け入れたら良いのよ! 私たちにはそうする義務がある! 違うかしら? お父さん? お母さん?」

 遙日の龍の様な激しい怒りに、母の八千代は気圧されている。『世の中には付き合いと言うものがある』そう言うつもりだった威三郎は言葉を飲み込みざるを得なかった。義務と言う遙日の言葉が威三郎の胸を突いたのだ。そうだ。その義務の前に建前などは捨てねばならない。

「遙日の言う通りだ。あさぎを出迎える時は精一杯の歓待をしよう」

 どっしりとした父の言葉に遙日は漸く相好を崩した。


(―――で、精一杯の歓待をするのに、一着百万円近い貸衣装を借りる訳?)

 遙日は鼻白んだ眼で、あさぎの到着三十分前から玄関で正座している両親を見る。まぁ、剣の世界で柳生は名門中の名門だ。そこに援助をすることもなく、四年間、娘を預かって貰った恩義を表すには、この人たちはこうするしかないのだろうと遙日は思う。けれど、それって恩義なの? 四年間、週に二度は交わした姉の手紙には、悲しみや寂しさが書かれることは一切なかった。通っていた中学校の級友の名前を笑い話で書くことはあっても、柳生の里の生活はおろか、里親の名前すら一文字も姉は書いていない。それだけで遙日は柳生を恨むに足りる。あさぎの手紙は漫談のようで楽しいことしか書かれていなかった。ただ、柳生の里の森の神韻渺々たる気については賛辞が長く記されていた。その森には柳生石船斎が木刀で一刀両断した巨石があると言う。姉のあさぎはそれを見ると楽しくて仕方が無いと書いていた。逆に言えば、あさぎにとって柳生での生活では他に見るべきことも学ぶこともなかったのだろう。そう思うと遙日は泣きそうになる。一番多感な思春期の娘がセンチメンタルにふけることも出来なかった生活。それを強いた柳生の里や父、しいては『剣』と言うものを遙日は憎悪する。遙日は理解している。姉のあさぎは悲しんだりはしていない。何があったのかは分からないが、後半の二年間は明るく笑って過ごしている。だが、それは『剣』の世界にどっぷり浸った上での笑いだ。常に抜き身の白刃の上にいて呵々大笑するに至ったのが姉のあさぎだ。だが、今の世の人に姉をそこまで導ける者が存在する筈が無い。一体、何者が姉を変えたのか? それを想像すると遙日は全身が総毛立つ。

 武道で鬼と呼ばれる境地に達した者は、それが写真でも、そしてどんなに抑えても、人を据え物のように殺める鬼気が漏れる。遙日はそれを見抜く目を持っている。

 ここ数年のあさぎの写真に、その鬼気は写っていない。

 だが、物心ついた時のあさぎは、すでに常軌を逸した鬼気をその内に孕んでいた。別れを惜しみ、只一人、剣を交えた遙日はその恐怖を体に刻まれている。姉から受け継いだ僅かな鬼気でさえ、不敗の剣豪の定命を奪う代物だった。故にあさぎ一人が姉の屈託のない笑顔の写真に恐怖していた。

 姉のあさぎは笑いながら鬼神の域に達した者の闘気を、その根っこから切り捨てる域に達している。おそらくは遙日のみがそれに気づいている。だから遙日は姉を称して『曼珠沙華』と称した。

 遙日は純粋に姉との再会を心待ちにする一方で、想像の域を超えた姉の立ち位置に未曾有の恐怖を覚えると言う矛盾した心持ちでいた。その矛盾を内包した遙日の姿は、冷めた氷のように周囲には見えた、やや血の気の失せた横顔は、少女にあるまじき美しい憂いを帯び、語りかけるのも躊躇われるものであった。


 鳴神家の前に車が停まる音がした。

 鳴神夫妻は緊張と喜びの混じった表情を浮かべた。音からして高級乗用車が一台。引っ越しのトラックが二台来たことが知れた。鳴神家の者は音だけでその程度は察知出来る。母の八千代と遙日が外に出迎える手筈だった。

 八千代は目線を遙日に送り、驚愕した。

 両親の後で正座していた遙日は立ち上がり、後ずさって壁に崩れる体を預けていた。血の気は完全に消えて失神寸前の有様だ。うわごとを繰り返している。

「これはなに? こんな気知らない。なにが来たのよ?」

 八千代は何か言おうとして、言葉を飲んだ。遙日の最近の奇行は心得ている。今はたしなめる時間は無い。八千代は一人、門から出た。

 芸術品と言える振り袖に身を包んだ四年ぶりに見る娘が、観音開きのリムジンから、手を取られて車からしゃなりと下りる所だった。あさぎの手を取っていた運転手と助手席を下りた里親、そして明るさを惜しげもなく放つあさぎが、八千代に向かい、礼儀正しくお辞儀をする。八千代は駆け寄ってあさぎを抱き締めたい衝動を必死で抑え、動揺しながらも、深々と頭を下げた。まるで姫君のような所作で、運転手に誘われ、あさぎは鳴神家の玄関に入った。

 誰もが緊張し、四年の歳月の重みを噛み締めて、礼を交わそうとしたその瞬間。

 あさぎはこれまでの貴人の様な所作はどこに行ったのか? 右手を高々と上げて元気良く振り回し、それこそ底抜けの明るさで声を張り上げた。

「ヤッホー! ただいまぁー! みんな元気してたぁ!?」

 日本人らしい湿っぽく、儀式めいた再会を、あさぎは第一声でひっくり返した。四年の歳月の重みなど微塵もない。まるで小旅行から帰ったような無邪気な明るさに、誰もが毒気を抜かれ、ただ唖然とした。

 只一人、遙日だけが腰を抜かして床にしゃがみ込み、白昼に龍を見たかのような表情で、畏怖をもってあさぎを見つめていた。

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