第3話 最初のチョコレート

チョコレートが見慣れた現在の形と『菓子』という位置になったのは、実はまだ年月が浅い。

チョコの原材料であるカカオと言う果実が南米にしか存在せず、更にそれを当時の現地民が『神の果実』と称し、他国への流出を拒絶していた為だ。


彼等にとってチョコレートはその呼び名の通り『神』と並ぶ神聖なるモノであった。

とある儀式に置いて――それは重大な意味を成した。


現在でも特に、とあるイベントのチョコレートにその名残がある。

それは日本含め、世界でチョコレートが最も身近になる日バレンタインデー。

そのチョコレートは、渡す者から受け取る者への感情を意味する形として

ハートの形容を模している物が多い。

愛。やエロス。の記号としてハートの形は一般的となっているが

元々それは、生物の生命機関である臓器の一つ。心臓をデフォルメにした記号である。


ここで、疑問が発生する。

では現代のチョコレートがハートの形をしているのはどちらの意味なのか。というものだ。

多くの人が愛を意味するハートを想像するだろう。

その様に解釈する為にバレンタインデーの決まり文句で「愛を伝える」という言葉がそこに纏わっているのだから。


そう。こうまで回りくどく並べた言葉から抽出された通り。


チョコレートのハートが意味するものは心臓である。

心臓の形容をしたチョコレートを愛する者に与え、それを食させる。

それこそが

チョコレートの最初の歴史である。



「うおおおおおおおおおお、ンボリッチがまた大地の猛獣を仕留めたぞーーーー‼ 」

太陽が容赦なく地面を焼く。まるでフライパンの上の様に熱されたそこを裸足で彼は頼もしい程力強い足取りで歩いていた。

服。というモノも存在しない。男も女も腰元だけ草や樹木の葉で作ったこしみのの様なものだけを着けている。文化。と言う言葉すらが遥かに先の話になる。

だからこそ、と言うべきだろう。特に彼の他者とは違う逞しい躰が目立つ。

黒い肌は、その陽光の皮膚へのダメージを防ぐと同時に、彫刻の様に陰影を付ける筋肉の凹凸により立体感を与えている。

彼は周囲の人達から賞賛を浴びると、肩に担いでいた己よりも遥かに大きな肉食獣の死骸を投げおろした。途端、更に大きな賞賛。

すると、まるで水を打ったかのように周囲が途端に静まり返る。

そこから人波が十戒の如く割れて、人影が彼に近付いた。

それは彼の半分にも満たないよぼよぼの老婆。

「我が村、最強の戦士、ンボリッチよ。神より信託が下った。

 太陽の儀を三日後の晴れの朝に行う。

 これまでの偉業、真に大儀であった。これからはその力を村の若者に託し、神となって我々を護ってほしい」

彼と、周囲の者は一瞬困惑した表情を見せるが、彼が表情を凛々しいそれに戻し、両膝を地に付けて祈る様に手を合わせた。

と、同時に再び地が揺れる程の大歓声。


私と彼が話したのは、その儀式の前夜。月明かりが眩しい程綺麗な満月から流れていた。


「驚いたわ。貴方、私に驚くどころか1つも動揺しないのね。流石は英雄の戦士といったところ? 」

私の茶化す様な言葉にも彼は耳を貸さずに、静かに手にした木の茶碗に茶黒色の液体を注ぎ口を付けた。

「成程、私の事を幻覚かなにかと思っているのね。確かに、その気持ちは理解るわ」


「よく喋る幻だな。まあいい。どうせ今夜は眠れない。独りで夜を眺めるには退屈過ぎる」彼はそう言うと、私の正面に腰掛けた。

「姿形は我等と近しいが……顔つきや髪色、瞳の色は見た事もない。それに奇妙な格好だな。お前は一体なんなんだ? まさか、迎えに来た神の使いとでも言う訳じゃあるまい」

私は、くすりと笑う。

「ごめんなさいね。私の目的はそれ」そう言うと私は彼を指さす。正確には、彼が持つ木の茶碗。

「チョコラトル。始まりのチョコレート。それを一度味わいたくてね」

私の言葉に彼は眉を顰める。

「これは、我が明日神に成る為に与えられた物だ。幾ら幻と言っても……」

彼は、そこで言葉を呑み込み何かを考える様に顎を擦る。

そして大きな溜息を吐くと、もう1つ木製の茶碗を手に取り、それを流しいれ私の方へと差し出した。

「いいの? 大切なモノでしょ? 」と言いながらも私はそれを直ぐに受け取る。

「構わんさ。話に付き合ってもらう礼だ」


茶碗に鼻を近づけると仄かに香るカカオの匂い。なるほど、見た目は違えどこれは確かにチョコレートだ。

恐る恐る、静かに口を付ける。

「んっ」

思わず吐き出しそうになる。文献で知識は前もって知っていたので味の予想は出来ていたが、実際はそれよりも大分想定外だった。

「まっず……」すごく薄めたココアにサラダ油をぶちまけた様な。味は勿論。その食感まで不快感を抱く、甘みも無い苦みと臭みだけの脂水といったところか。

暫らくはそのチョコラトルを啜る音だけが私達の間に響く。


「話し相手、と言う割には何も言わないのね」

私の言葉に、彼は静かに茶碗のチョコラトルを啜る。

また、少しの沈黙。


「ねえ助け出してあげようか? 」

私のその言葉に、初めて彼は反応を示した。


「貴方は、この時代のこの場所に生きていても、物事の本質を見抜き考えている。この村が行っている儀式は全くの無意味。そう思っている筈でしょ? 」

私は先と違い、その自分の声色に重みを乗せた。


「明日、貴方が村の皆に食べられた所で」

「貴方は、このチョコラトルの効果で神に成り村を、ましてや村の人達の力としてこの世界に残る事なんてない。ただ皆のお腹の中で、ある程度のたんぱく質とビタミンやミネラルになるだけ」

彼は、眼を合わさず、静かにその茶碗の飲み物を飲み続ける。

「それによって貴方が手放すのはその生涯。比較にもならない程、馬鹿げている」

 私はそこまで言うと、立ち上がり彼の前に手を伸ばした。

「さあ、私の手を掴みなさい。そしてこんな馬鹿げた儀式から逃げ出すのよ。貴方が持ち得ているその、かけがえのない一生の為に」


丁度、その時私達の間に月光が差し込んだ。まだ文明の無いこの時代。

余計な灯りが無い分、それはとても眩い。

まるで光の架け橋のよう。

「前回の儀式は2000の満月夜を遡る」

彼は、そう言うと初めて茶碗から口を外す。

「儀式に選ばれし村の英雄は、我の父親だった。

 優しく。強く。我は父の背中を見て、そして追いかけていた。

 儀式で我は父が視ているその前でこの神の果実を纏った父の心臓を食した」

彼はそこで皮肉めいた笑顔を浮かべた。

「父はその姿を見て天に還った。そして我はこの村の英雄になった。無論。貴様の言う通り、それは儀式の力ではなかったのかもしれない」

月明かりが、一瞬彼の瞳に強く反射したのは、きっと気のせいではないだろう。

私は、少し躊躇して。そして手を引いた。


「貴方なら、きっと立派に成し遂げられる」


私の言葉に、驚いた様に眼を開くと

彼は、初めて泣いた。


チョコレートの歴史を遡ると

マヤ文明やアステカ文明の時にチョコラトルと近いモノがあった事が解るが

そのどれもが、生贄に与えられる儀式的な飲料であったことが示唆されている。

それを飲んだ者の心臓を生きたまま抉り出し、天への貢物として神に捧げていたとの記録が残っている。




実際に現在の形になったのは、ジョセフ・フライがココアを固形にした事から始まる。まだ、たった200年にも満たない若い文化なのだ。

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