『人生という不完全』を読んで
佐倉ソラヲ
書店員「私」
「すみません、先週発売された『人生という不完全』っていう本、ありますか?」
四十代くらいの女性が、売り場の整理をする私にそう尋ねてきた。
「申し訳ございません。お客様がお探しの本なんですが、当店売り切れとなっておりまして……」
「あら、そうなんですか」
女性が残念そうに眉をひそめた。
「取り寄せることはできますか?」
「それがですね……出版社の方もただいま品切れ中でして、しばらく手配が難しい状態が続いておりまして……」
申し訳なさそうに言うと、女性は残念そうに一言二言残して店を去って行った。
――先週から、『人生という不完全』という名の書籍が大変売れている。
ここ五年ほど書店員をしているが、こんなに本が売れるのは少し前に社会化現象を起こした少年漫画が爆売れしたあのとき以来だ。
何組もの家族連れが問い合わせをしてきたあの日以来、このレベルのブームはもう二度と来ないことだろうと思っていた。
しかしこの一週間、『人生という不完全』を求めるお客様が後を絶たない。
一日一回は必ず問い合わせを受けるほどだ。
当店では販売から三日で完売。現在入荷待ちの状態が続いている。
どうやらSNS上で話題の書籍らしく、エッセイなのだが、それでいて壮大な映画を観たかのような読後感がある、という感想が見受けられた。
――のだが、内容には賛否両論らしく、「話の整合性が取れていない」「エッセイであるはずなのに、ところどころ言っていることが食い違っている」等、何やら細かなところに粗があるそうだ。
それ以外に関しては、「とても感情移入できた」「泣けた」「自分の青春時代を思い出す」「死んだ母を思い出した」「自分もこんな人間になりたいと思った」などと、称賛の声が上がっている。
始めはネットの若年層を中心に人気を得ていたが、テレビ番組で取り上げられたことでより広い年齢層にも広がって行った。
「木崎さんはあの本読みましたか?」
仕事が終わり、ロッカールームの中で同期の山田さんがそう尋ねてきた。
「『人生という不完全』、ですか? 私まだ買えてないんですよね」
「私もです。駅ビルの大きい本屋も売り切れらしいですよ」
「ほんとにすごい人気ですね……」
どこもかしこも売り切れ続出であることが、より一層人々の興味を引き人気を爆増させているのだろう。
大勢の人がこうやって物を求めている様を見ていると、購買意欲が上昇するような気がする。それが他の人にも伝播していって、こうして流行りというものは起こって行くのだろう。私はそう思った。
「それにしても、どうしてこんなに人気なんでしょうね」
例え内容が大したものじゃなくても、流行るときは流行る。
だけど、この本の流行りっぷりは異常だった。
世代や性別を超えて流行り、それでいて賛否両論でありながらも多くの支持を得ている。
これでも本好きの端くれである私の見立てでは、この本は「ちゃんと面白い」のだろう。
「実は作者が正体不明なんですよ」
「正体不明?」
山田さんの言葉に私は首を傾げた。
本の表紙には、間違いなく著者の名前が書かれていた。それなりに読書歴のある私だが、あまり聞いたことのない名前の作者だったことは覚えている。
「私、気になって調べたんですけど、過去作も経歴も一切不明で別に新人賞を取ったとかそんな情報も一切なくって――ネットの噂では、有名な作家さんが別名義で出しているんじゃないかって話もあるくらいですよ」
すでに何人か、文体の雰囲気や癖から疑惑のある作者が上がっているのだが、真相は未だ闇の中だ。
翌日。
今日の仕事は休み。以前から予定していた通り、実家に帰ることになった。
私の実家は、都心から少し離れた山間部にある。最寄り駅から電車に乗って二十分ほどで最寄り駅に着いた。
青々と茂った山々を懐かしい思いで見渡す。ここに戻って来るのは何年ぶりだったか。
少し前に結婚した妹が最近子供を産んだのだ。私はその子供に会いに来たのだ。
また親に「相手は見つかった?」などと問い詰められることになるだろうが――ともかく私は、妹に会いたかった。
子供の頃から仲が良くて、何をするのも一緒。
年齢は一つ違いだったが、まるで双子の姉妹のようにそっくりだった。
誕生日が近いことも、それを助長させていたのだろう。
改札を出ると、小さなロータリーが広がっていた。田舎の駅なのであまり車や通行人はおらず、タクシーが三台と年配の女性が一人バス停でバスを待っているくらいのものだった。
代り映えしない景色だが、近々再開発が行われるそうでこの景色も生まれ変わるときが来たのだろう。
ふと、私はあるものに目が留まった。
それは小さな本屋だった。
雨風に晒されて色褪せたテントシートには「斎藤書店」と消えかけの店名が記されていた。
懐かしい個人経営の書店だった。
この辺りには大きなショッピングセンターもなく、こういった個人経営の店が多く繁盛していた。
手動のドアを押して店内に入ってみる。
手狭な店内はとても懐かしさを感じた。
もっと店内は広いと思っていたが、自分が大きくなったから小さく感じたのか、それとも自分が広めの本屋で働いているからこういう店が小さく感じるのか。
様々な雑誌や漫画の新刊、少し離れたところには文房具のコーナーがあったりする。
大手の本屋ではあまり感じることのない雰囲気の書店だ。
妹との待ち合わせまで少し時間がある。それまでここで時間を潰そうと、店内を見渡していると――
「あっ」
そこにあったに、私は思わず声を上げた。
『人生という不完全』
そう書かれた本が、三冊ほど平積みされていたのだ。
私はためらわずその本を手に取った。
そこまで分厚くもないハードカバーの書籍は、黒を基調とした表紙が目を惹くデザイン。
仕事先で嫌というほど目にして、今更になって喉から手が出るほど欲しくなった入手困難なそれが、今目の前にあった。
私は急いでそれをレジに持って行く。競馬新聞を読んでいた店主の男性が顔を上げ、興味なさげに私の会計を済ませた。顔見知りのはずだが、久々に来た私に気付かなかったのだろうか。
ブックカバーに包まれた本を鞄に入れ、私は書店を出た。
――は、早くこれを読みたい。
今から実家に帰ると言うのに、私の頭の中はこの本を読むことで一杯だった。
友人の家から帰る途中、電車の中でその本を読んだ。
電車の中で前半を、家に帰ってから後半を読み進めた。
その内容は、とある人物の人生を描いたものだった。
ありふれた一般家庭に産まれ、何不自由ない子供時代を送ったその人物について描かれる。
そこに何か大きな事件が起こったり、伏線があったりするわけではない。
ただ、私はこの物語に大きく引き込まれた。
何度も感情移入したシーンはあったし、誰それならこの場面、きっとこう考えるだろうとか、読みながら想像していた。
読み手の想像力を掻き立てる文体は、手練れた物書きのそれだった。
このレベルの文章力の作者が詳細不明であることが話題になるのもうなずける。もし本当に出版経験のない素人ならば、今までこの作者はどこで何をしていたんだ、と本好きならば誰しもが思うことだろう。
だけど――読んでいて私は何か違和感を感じた。
ネット上にあった批判点である「話の整合性が取れていない」「エッセイであるはずなのに、ところどころ言っていることが食い違っている」という点について、私はそれを感じ取った。だけど、それは意図的に生み出されたものではないのだろうか。
理屈立てて説明するのは難しいが、話の構成上仕方ないからそれが入った、という感じに見受けられた。
確かに話は壮大だった。
主人公は子供の頃からいろんな経験をし、いろんなことを思った。
いろんな人を好きになって、幸福を感じ、不幸を感じ、そんな自分と共に生きていく――そんな、よくある人生譚だった。
だけど、喉に刺さった小骨が取れないような、言い知れぬ違和感が残った。
それから三日後。その日シフトが一緒になった山田さんと二人で休憩室で休んでいたときのこと。
「多分、双子なんだと思いますね」
「双子?」
突然、山田さんがそんなことを言った。
先日彼女も『人生という不完全』を読んだらしい。
「あの話は双子の物語なんじゃないかなって、思ったんです」
「それは……どうしてですか?」
「何と言うか、『これって本当に一人の人間の人生なのかな』って感じたんですよ。人間って、こんなにいろんなことを経験できるのかなぁって、考えてて」
この本はエッセイ的な要素を持つ本だ。だけど、その内容の濃さと物語性は、小説のようにも感じられた。
「あくまでフィクションなんだろうな、と思ったんですけど、何と言うか、そこに書かれた文章に血が通ってる感じがしたんですよね。これは本当に経験したからこそ書けるものだって、感じで」
「それは私も思いました。最初はエッセイだと思って読んで、いやでもこれは創作だろうなぁって感じながら読んでたんですけど、妙なリアリティがあるっていうか……」
「だからこれ、双子の人生を一人の人間の人生として書いたんじゃないですか?」
山田さんはそう結論付けた。
確かに言われてみれば、そんな気がした。
二人分の人生を一人の人間の人生として書けば、当然相違点が生まれる。だって、双子とは言え別の人間の人生なのだから。
「双子って、どんな感じなんでしょうね。私は一人っ子だから、あんましそういうのわからなくて」
山田さんはそんなことを言いながら頬杖をついた。
「自分と同じ日に産まれて、二卵性ならともかく一卵性ならほとんど外見も一緒の人間がいるなんて、私想像したこともありませんよ」
「自分の一部、って感じなんでしょうかね」
――私には妹がいる。
どこに行くのも、なにをするのも一緒で、当たり前のようにそばにいる存在。
双子ではないが、より繋がりの強い姉妹だった。
もう一人の自分――というよりは、自分の一部だったように思った。
だから私が、大学を卒業したあと大手書店に正社員として採用され市内に引っ越すことになったときも、妹と離れるのが寂しくて仕方なかった。
私たちは二人で一人だった。だけど、私たちはどうあがいても二人の別の人間だった。
――だからこそ、もしこの著者が双子で、その片割れと自分は二人で一人なのだと思っているのであれば――いざ一人になった自分は、『不完全』だと気付くのだろう。
『人生という不完全』を読んで 佐倉ソラヲ @sakura_kombu
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