メリーゴーランドからさようなら

「おばあちゃん、みてる?」


「メリーゴーランドたのしいね、たのしいね……」


 白馬にまたがった孫が、文子あやこにしきりに手を振っている。


 回転する木馬に乗せられた孫は文子に話しかけては遠くへ運ばれ、近づいては話しかけ、そしてまた遠くに運ばれていく。


 文子はその様子を、目を細めて見つめていた。


 快晴の下、ようやくメリーゴーランドに乗れるまでに大きくなった孫の姿を見ていると、胸にじんとこみあげるものがある。


 おばあちゃんも。


 おばあちゃんも、こんな気持ちだったのかしら。


 メルヘンな調べが、文子の心を目の前の孫から遠ざけ、遠い場所へと運んでいく。人はそれを、思い出と呼ぶのかもしれない。


 文子は束の間、目を閉じた。


「おばあちゃん、みてる? ――」


 ――


 文子はその日、祖母に手を引かれて遊園地に来ていた。


 育ちの良い祖母は、いつも仕立ての良い着物を着ていた。だからあまり早く歩けなかったが、5歳の文子も歩みは遅いのでちょうどよかった。


「あやちゃん、何に乗りたい?」


「うーんと観覧車とねぇ、コーヒーカップとねぇ、あと……」


 文子は大きな声で言った。


「メリーゴーランド!」


 祖母の目が細くなる。


 文子は自分が笑っているとき決まって祖母も嬉しそうなので、なんだかくすぐったくなった。


「乗りたいものがいっぱいあるのねぇ。おばあちゃんと一緒に一個ずつ乗りましょうねぇ」


「やったぁ!」


 大好きな祖母を一日中独り占めできることの喜びは、文子にとって何者にも代えがたかった。


 さっそく観覧車に乗った。


 観覧車はなんとなく遊園地の締めのイメージがあるが、5歳の文子は遠慮せずその時乗りたいものを選んだ。


「おばあちゃん、みて。ひとがちいさいねぇ」


「本当だ。アイス売りさんもチケットのもぎりさんも、みんな小さいねぇ」


 文子と祖母は互いに顔を見合わせ、くすくすと笑った。


 のんびりのんびり回る観覧車はすぐに一周し、あっという間に地上に帰ってきてしまった。


 文子はもっと乗っていたいと駄々をこねたが、『観覧車は逃げないよ、また後で並ぼうねぇ』という祖母の言葉にしぶしぶ従い、次はコーヒーカップに乗った。


「目がぐるぐるするよぉ」


「あれま、じゃああんまりお皿を回さないようにしようね」


 せわしなく回転するコーヒーカップに乗って、文子はあっさりと酔ってしまった。


 祖母は文子を抱き寄せ、背中をさする。


 祖母の着物は良い匂いがして、文子はうっとりと目を閉じた。


「あやちゃん、大丈夫? 少しベンチで休んでから行く?」


「ううん、もうげんき!」


 コーヒーカップが終わって、まだ少し青い顔をしている文子だったが、早く次の乗りものに乗りたくて心配する祖母を急かした。


 なんてったって、次はメリーゴーランドだ。


「うふふ、あやちゃんったら」


 孫にねだられると押し切られてしまう祖母は、苦笑しながら文子の手を引いてメリーゴーランドに向かう。


「あらら、混んでるねぇ」


 文子と同じちいさな子供と、文子の祖母同様子供の付き添いでやってきた大人で、メリーゴーランドは大盛況だった。


「やっぱり人気なのねぇ。乗れるか心配だわ」


「おばあちゃん、はやくはやくぅ」


 文子は祖母の着物の袖を引っ張る。文子に引っ張られ、祖母はなんとか人並をかきわけてメリーゴーランドに入場する。


 しかし。


「あれ、これしか残ってないんだねぇ」


 馬車は他の家族連れですべて埋まっており、文子が係員に抱き上げられて乗ったのは一頭の白馬だった。


 祖母は眉を八の字にして頬に手をあてる。


「あやちゃん、おばあちゃんはこれに乗れないからあやちゃんひとりでお乗り」


「ええ! なんで!」


 ぷくっと頬を膨らませる文子の頭を、祖母はいとおし気に撫でる。


「おばあちゃんは着物だからねぇ。お馬さんにまたがれないの。おばあちゃん、外で見ているからね」


 そう言って祖母はそそくさとメリーゴーランドから降りていく。


 去り行く祖母の背中を見ながらますます頬を膨らませる文子だったが、メリーゴーランドが回り始めてから一気に不機嫌は吹き飛んだ。


「おばあちゃん!」


 辺りにきらびやかな音楽が流れ、メリーゴーランドは子供たちの歓声を乗せて回っていく。


 上下する白馬とも合わせてそれが文子には面白くて仕方なく、片手でバーにしがみつき、空いた手で祖母に向かってぶんぶんと手を振った。


「おばあちゃん、みてる?」


「はい見てますよ、あやちゃん」


 祖母が遠ざかっていく。


 再び近づいてきたので、文子は力いっぱい叫んだ。


「メリーゴーランドたのしいね、たのしいね……」


「楽しいねぇ、楽しいねぇあやちゃん……」


 そうやって離れては近づき、近づいては離れるたび、文子と祖母は短い会話を交わした。


 しかし。


「おばあちゃん……?」


 刹那の出会いと別れを繰り返す非日常の楽しみに夢中になる文子だったが、祖母の顔を見るたびに、どことなく違和感を覚えた。


「おばあちゃん、どうしたの?」


「何が?」


 メリーゴーランドの回転が終わり、文子は係員に連れられて祖母の元へと戻った。


 開口一番に尋ねたのは、胸によぎった不思議な感覚の正体だ。


 しかしそれは祖母にもわからなかったようで、祖母は首を傾げている。


「さぁあやちゃん、そろそろお昼にしましょうか。おばあちゃん、お弁当を作ったのよ」


「うん……」


 祖母の手を握り、文子は振り返る。


 そこにあるのは、次の子供たちを乗せて回転を始めたメリーゴーランド。


 それを眺めながら、文子はぼんやりと思った。


 どこか――。


 どこか、おばあちゃんはさびしそうだったなぁと。


 ――


「おばあちゃん、どうしたの?」


 ふっと現在に帰ってきた文子は、孫が顔を覗き込んでいるのを見てちょっとびっくりした。


「ううん、なんでもない。おばあちゃん、白昼夢を見ていたみたい」


「はくちゅーむ?」


「ふみちゃんには難しいわね。さ、そろそろお昼にしましょう。おばあちゃん、お弁当を作ってきたのよ」


 孫と手を繋ぎ、シートを敷ける芝生を探して文子は歩き出す。


 ちいさな孫の手のぬくもりを感じながら、文子はメリーゴーランドを振り返った。


 おばあちゃん、あのね。


 今なら文子にもわかるの。


 あのときの、おばあちゃんのさみしそうな顔のわけが――。



 ――


 時は流れ、孫は大きくなり、祖母との遊園地では喜ばなくなった。


 文子にも覚えのあることだ。今の孫の年の頃には、祖母よりも同年代の友達と遊ぶ方が大層楽しかった。


「ふふ……」


 自分の娘時代を思い返して、文子はひとりで笑った。


 それを奇妙に思うものはいない。文子がしゃなりしゃなりと歩くこの遊園地は、昨日廃園になったのだから。


 本当は立ち入り禁止だが、亡くなった祖母の伝手でどうにか入れてもらえた。祖母は人望のある人だったのだ。


「ほらおばあちゃん、みて」


 文子はトイレの姿見の前でくるりと回って見せる。


「良い友禅でしょう。おばあちゃんのを直したのよ」


 姿見に笑いかけてから、さっそく例の場所へと向かった。


 急がず優雅に、在りし日の祖母の姿を思い浮かべながら文子がたどり着いたのは、いつの日か孫と訪れたメリーゴーランドだった。


 まだ廃園になったばかりなので、きれいに磨かれている。その代わり、回転はしない。


 でも、それでいい。十分だ。


 誰もいないメリーゴーランドに入場した文子は、木馬の、馬車の感触をひとつひとつ手で確かめる。


 つるつるとした人工の夢の中を、自分の孫が、そして自分自身が白馬に乗って駆けた日々を振り返りながら、一歩いっぽ歩いた。


 やがて、一頭の白馬に目をやる。


 あぶみに足を乗せ、みっともなく脚を開き、どうにか乗馬に成功した。それを咎めるものは当然いない。


「まぁ……」


 何十年ぶりかに見る、メリーゴーランドの光景。


 音楽も子供たちの笑い声もないけれど、娘時代も、そして人の祖母としての時代も経験した文子になら、あのときの祖母の気持ちがわかる。


 祖母は、この景色が見たかったのだ。


 メリーゴーランドの白馬に騎乗して見る、この景色が。


 あの時メリーゴーランドに乗れなくてさびしそうだった祖母の顔を、文子は目を閉じて思い浮かべる。


「おばあちゃん、みてる?」


 瞼の裏で、極楽に旅立った祖母が、文子に向かって微笑んでいた。


「メリーゴーランドたのしいね、たのしいね……」


 文子の心の中で回るメリーゴーランド。


 白馬の上には5歳の文子と、文子を抱きかかえるようにして鞍に乗る着物の祖母の姿があった。

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ポピヨン村田の短編置き場 ポピヨン村田 @popiyon_murata

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