第2話


「ったく、真希まきのやつ……今日もいちいち突っかかってきやがって……」


 その日の放課後。

 昇降口で靴を履き替えた俺は、校門を目指して歩いていた。


 今日も幼馴染と、教室の中で色々言い争った。

 取るに足らない些細なことでお互いにムッとし、言い争いに発展していた。

 ガキみたいだと思うが、しかしいつものことだ。

 あの生意気な幼馴染と喧嘩をしたことなんか今まで数えきれないほどある。


 もちろん、それで絶交することはない。

 何だかんだ言ってもアイツは幼馴染だし、腐れ縁というか、今更切っても切れない関係にあるから。


 と言っても、ムカつくものはムカつく。

 真希のキッとした目や強い口調を受けると、俺もどうしても反抗的になってしまうのだ。


「昔はあんな生意気なやつじゃなかったのにな」


 幼い頃の真希は「ねえねえ賢斗けんと!」と尻尾を振る子犬のように俺について回って、可愛らしかった。

 今も学年一可愛いと噂されているみたいだが、昔を知る俺からすれば、今の彼女はプライドの高い面倒な美人だ。


 何でそんな風になっちまったんだろうな、と思いながら歩き続けていた。



 ——そこで、はたと気づく。


 そう言えば、机の中に明日の宿題のプリントをしまってあるのを忘れていた。

 真希に忘れず持って帰るよう言われていたのだが、その時も軽い口論をしていたため、聞き流してしまっていた。


「うわやっちまった……今から取りに行くの面倒くさいな」


 そうは言っても、明日の宿題をすっぽかすわけにはいかない。

 それで先生に注意されてまた真希にグチグチ文句を言われるのも癪だ。


 仕方ないと考えを改め、俺は再び自分のクラスへ戻りに行った。




 ◆◆




 放課後の校舎の中は、人気が少なく静かだ。


 校舎の外からグラウンドで練習している運動部の声が聞こえてくるだけで、基本的にはシンとした空気に包まれている。

 窓からは夕陽の光が差し込み、廊下がボンヤリと淡いオレンジ色に染まっていた。


 こんな時間に校舎に残ることはあまりなかったので、どこか新鮮な気持ちに包まれながら、目的の教室へと歩いていく。


 そして、俺のクラスが見えてきた。


 そのまま扉を開けようと、取っ手に腕を伸ばそうとして——。



『——ハァ、今日もまた喧嘩しちゃった……』

「!」



 その瞬間、教室の中から声が聞こえてきた。


 放課後の、本来なら誰もいない時間帯。

 なぜか耳に飛び込んできた誰かの声に、俺は反射的にピタリと動きを止める。


『普通に話したいだけなのに……何でこうなるんだろう』


 誰だ?

 とても覚えのある高い声だ。

 言葉の内容はよく聞こえなかったが、聞き間違いじゃなければ今のは……幼馴染の声だ。


 真希……? 何で教室に残ってるんだ……?

 てっきりもう帰ったと思っていたが。

 俺と一緒で何か忘れ物でも取りに来たのか?


 なぜ幼馴染が教室の中にいるか分からず、どうしようか迷っていると——今度は別の女子生徒の声が聞こえてきた。


『今日もたくさん喧嘩してたね〜。見てる分にはめちゃくちゃ仲良さそうだったんだけど』

『そんなことないわよ。賢斗のやつ、本気で鬱陶しそうにしてたし……』


 女子二人の話し声。

 真希の他にも誰かいるのか……?


 俺は物音を立てないように、ゆっくりと教室の中を確認した。


 ——まず真希はと言うと、自分の席に座りながら机に力無く突っ伏していた。その姿は珍しく落ち込んでいる様子だ。

 そしてその正面には、彼女と特に仲が良い女友達の姿があった。真希の様子を見て呆れたように笑っている。


 クラスでよく見る、仲の良い組み合わせの二人だ。

 そんな女子二人が放課後の教室に集まって、コソコソと何を話してるんだ……?


 会話の途中で俺の名前が出てきたし、もしかして俺の話でもしてるのか?


「真希のことだし、俺の悪口とか話してるんじゃないだろうな……」


 だとしたら非常に腹立たしい話だ。

 陰で言わずに俺に直接言えばいいものを。

 幼馴染なんだし、今更遠慮することなんてないだろうに。今日だけでも何回喧嘩したと思ってるんだ。


 ——しかし、そうなると教室に入りづらいな。


 とても忘れ物を取りに入る空気じゃないし……。

 少し面倒だけど、どこかで時間を潰してから出直してくるべきか?


 そんな風にグルグルと思考を巡らせ、教室の前から動けないでいる俺だった。

 その間も、彼女たちの会話は続く。


『長い付き合いだから私には分かるわ。私が話しかけたらアイツ、絶対面倒くさそうな顔するの』

『まあ、真希ちゃんの構ってアピールって結構激しいからね……』

『あ、アピールなんかしてないし! ……その、ちょっとぐらいは構って欲しいと思ってるけど……』

『昨日の夜も遅くまで電話してたんでしょ? 今朝二人が喧嘩してたの聞いてたよ』

『ちょっと、盗み聞きしないでよっ』

『盗み聞きって、みんなの前で堂々とイチャついてた本人が何を言うか』


 放課後の教室の中に響き渡る、女子二人の密かな話し声。

 彼女たちの話を聞く限り、やはり俺の話をしているみたいだ。


 ……しかし俺の悪口話だと思ったが、どうやら少し毛色が違う内容らしい。

 しかも、真希の声音はいつもの棘がある口調ではなく、羞恥心に耐えているようなそんな声。

 一体何を話しているのか、ますます見当がつかない。


『昨日の電話も、構って欲しいからかけたんだ?』

『…………まあ、うん。部屋で寝転んでたら、何だか急に賢斗の声が聞きたくなって……』

『わあ……ちょっと待って、何その惚気話。聞いてるこっちが恥ずかしくなってくるわ』

『か、からかわないでよ! 相談してる私の方が恥ずかしいんだから……』


 今まで聞いたことのない、恥じらう乙女のような声音で話している真希。


 ……相談してる私の方が、って何だ?

 こんな放課後の教室で、何をこそこそ相談しているんだ。


 というか——俺の声が聞きたくなって、って言ったのか?


 何だ、それは。

 話の内容が少しおかしいだろう。

 言葉にはしにくいが、何というか……いつもツンケンしている幼馴染の口から出る話じゃない気がする。

 普段のアイツは絶対にそんなことを言わない筈なんだが……。


『だってさ、声が聞きたくなったから電話するってもうカップルじゃん。彼氏彼女じゃん。少女漫画でよくある甘酸っぱい展開じゃん』

『……でも、賢斗はずっと面倒くさそうにしてたし。私が電話したの迷惑がってそう』

『まあ……吉田よしだくんには気持ち伝わってないっぽいもんねぇ。真希ちゃん、照れたらすぐムキになっちゃうから』

『だ、だって……恥ずかしいんだもん。アイツの声を聞いただけでもドキドキするのに。顔を合わせたら平静でいられなくなっちゃう』


 恥じらいが高まり、切なそうな湿っぽい声でそう言う真希。

 それを見て友達は『青春だなぁ』と苦笑していた。


 ……いやいや、え?


 さっきから、何を言ってるんだ?


 二人の会話を聞いていた俺は、思わず目を見開き眉根を寄せてしまう。


 彼女たちの会話に理解が追いついていない。

 俺に構って貰いたいだの、俺に気持ちが伝わってないだの、俺の声を聞いたらドキドキするだの、まるで意味が分からない。


 忘れ物を取りに行くかどうか迷っていた最中、何やら思いもよらない話を聞いてしまい、俺は完全に頭が混乱していた。


「ど……どういうことだ……何を言ってるんだアイツは……?」


 真希の発言一つ一つが耳を疑うような内容だ。


 だって、おかしいだろう。

 いつもの真希は俺の顔を見るなり眉を顰めて、嫌味の一つや二つ言ってくるような奴なのだ。

 とてもじゃないけど仲が良いとは言えない、そんな関係に俺たちはあるのだ。


 だが、今までの真希の発言が意味する所を考えると——。


『真希ちゃんほどのツンデレって中々いないよ? 普通にお喋りしたいだけなのに、なぜか嫌味が口から出てくるなんてさ』

『うぅ……わ、分かってるわよ。ムキになりすぎだって、自分でも気づいてる』


 俺が固まっている間にも、真希は変わらず恥ずかしそうに話している。


『吉田くんに気持ちが伝わってないどころか、このままじゃ逆に彼に嫌われちゃうかもしれないよ? それでもいいの?』

『そっ、そんなの絶対に嫌!』

『だったら素直にならなきゃ。嫌われてからじゃ遅いの。今の真希ちゃんに足りないのは、自分の気持ちを堂々と受け入れる勇気だよ』


 彼女たちの会話の内容は、途中から聞き始めた部外者の俺でも察することができる。


 だが、やはり信じられない。


 そんなわけがないのだ。

 だって、アイツが、そんなこと……。


 そう思っていた時だった。


『吉田くんのこと、好きなんでしょ?』

『…………うん、好き。大好き』



「……………………はっ?」



 とうとう、決定的な言葉が俺の耳に飛び込んできて。




『——本当は好きなのに……賢斗の顔見たら、つい素直になれなくて……』




 俺は、幼馴染の衝撃的な本音を知ってしまったのだった。

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