第138話 蠢動

「いかがでしょうか、あるじ様」


「美味しくできてる」


「感謝いたします」


 俺は、セヴリアスたちの屋台を見に来ていた。

 ドラロさんから、この屋台の近況を聞いたからだ。セヴリアスとカルバートがやっていた時には、市の開く日だけ営業していた。それがついに料理人を雇って従業員を揃え、毎日営業をできるようになったという。

 大通りにある酒場のすぐ近くに出店して、けっこう繁盛している。


 しかし、その雇われた料理人はシオウの獣人傭兵団で副官を務めていた、元傭兵だった。

 ゼンやシオウが、近いうちに交易隊を率いてくる。その話をしようと思って、立ち寄ったのだ。

 老傭兵は、話しかけるより前にずっと俺の方を見つめてきた。

 屋台には周りに人がいた。待ち客の後ろに並ぼうとしたら、店主がさっと屋台を離れて出迎えられてしまう。そのまま近くの酒場に案内されて、座らされた。


 どうやらこの酒場とは連携しているらしく、屋台という店の形式を取っているが、酒場の席で買ったものを食べるのはありらしい。

 タルタルソースのフィッシュ&チップスを味わうと、だいぶ良い出来になっていた。


「ここに住む獣人って、何人くらいいるんだ? 他のメニューでも、出店して増やした方がいいかな?」


 傭兵団の獣人に、働く場所を作り出す。

 屋台が人気を出せたなら、他の料理でも屋台を作れるだろう。

 ウスターソースでお好み焼きとか。焼きそばとか。ネタはいくらでもある。


「お心遣いに感謝いたします。ですが、街の人間も、だんだんと料理に工夫を凝らしています。獣人でなくても、料理人が増えれば他の形で店を作れましょう。それらを含めて、カルバート殿に相談された方がよろしいかと愚考いたします」


 いかにも、傭兵団の参謀みたいな物言いだった。


「バルポは屋台じゃなくて、レストランでシェフ料理長にしたいな……」


 老傭兵のバルポ。狐の獣人ということだが、傭兵団の別働隊を率いる男だ。

 そう、元傭兵団のシェフ隊長で現役のシェフ料理長

 ダブルミーニングができる。ははは。


「ご命令とあれば」


「命令じゃないけど、カルバートと相談してみるよ」


「了解しました」


 さて、屋台事業についてはそれくらいでいいか。


「それにしても、よく俺が神樹の森の郷長だって分かったね」


「それは……匂いが告げていましたので」


「えっ、シオウの匂いとかする?」


 今日は会ってなかったんだけどな。

 思わず自分の体を嗅ぐが、なんも分からない。


「はい、いいえ郷長。シオウの匂いではありません。強大な狼の魔獣が、御身のお側にいませんか」


 狼。


「……あ、マツカゼだ。あいつの匂いかぁ」


 強大ってほどでもないけど。


「間違いなく魔獣と肉薄した痕跡があるのに、血生臭さの無いお姿。これは話に聞いたミコトの郷の郷長かと、すぐに分かりました」


「なるほど」


 匂いと見た目で判別されてたらしい。

 ふーむ、獣人族ならそういうこともできるんだな。


「じゃあ、屋台のお客さんも獣人だったのかな。悪いことをした」


「と、いいますと?」


「近くを通ったら、すごい顔で振り返った男の人がいたんだよ。魔獣かと思われたのかも」


「ふうむ……もしや、大柄で緑の服を着た男、ですかな?」


「そうそう」


 俺がうなずくと、バルポは苦笑いした。


「……やれやれ。まだ若い」


「知り合い?」


「はい、いいえ郷長。知り合いではありません。ただ……この件は口外無用ですが、よろしくありますか?」


「いいよ」


 老傭兵が、ひくりとわずかに鼻を動かした。

 見覚えがある。ヒナもたまにやっている。周囲の匂いを嗅いだようだ。

 人間なら、周りに人がいないかこっそり確認した、という感じか。


「その男は、諜報員かと。この街の調査に来ているものと、思われます」


「諜報……? ほんとに?」


 思わず聞き返してしまった。


諜報員スパイが、どこかから来てるってこと?」


「その男だけでもありません。五組か六組ほどは、この街に調査へ来ているかと」


「そうなんだ。へええ……」


 ここは辺境で、遠くでは戦もバチバチやってるとは聞いている。

 戦争があるなら、そういう職業もあるか。なるほど。


「この街は景気も良く、港まで建設されております。侵略する価値がある。まあ行商人の兼業も含めれば、十や二十は下らないと思われますな」


「そうなんだ。じゃあこれから、セデクさんとか大変なのかな」


 防衛とかしないとならないんだろうか。


「さて、どうですかな。衛兵や冒険者の訓練に投資がされ、侯爵家の縁も太くなり、陞爵の噂もある。侵略するならば、すぐにでも動くところであります」


 これから強くなるのが確実なので、今すぐが狙い目。

 戦国の世だなあ。


「にしては、あれだね。余裕そうだね」


「戦争になるなら、郷長の耳に入らないわけがありません。郷長が調査員のことすら初耳ということは、気にする必要が無いかと愚考します」


「そうかな……」


 ちょっと考えたら、そんな気がしてきた。ハイエルフに天龍に天使と、いずれもこの世界では超重要な人物(と千種が言っていた)が揃っていた。

 戦争がすぐ近くで起きるなら、セデクさんが一言くらい言ってくるだろう。


「そうかも」


 納得した。


「俺は、レストランのことでも考えておくか。バルポも、シオウ達が持ってくるレシピ帖を読んでおいてくれよ」


「了解しました。そのレシピ帖は、写本を作っても構いませんか?」


 人に教えてもいいか、ってことかな。


「いいよ。もちろん。向こうでずっとこっち見てる、酒場の女将さんに教えてあげてもいいし」


 俺が言うと、バルポは目を大きく見開いた。


「……気づいておられたのですか」


「えっ、うん。知り合いっぽいから、気になるのかなって思ってた」


 酒場と屋台で提携しているみたいだし、店主同士で知り合いなんだろうと。


「ハハハ、郷長には敵いませぬな。後で、ご厚意を伝えておきます」


「ありがとう。よろしく頼む」


 挨拶は、また今度でいいだろう。今日は顔見知りのバルポに任せよう。


「了解しました」


 俺は立ち上がって、女将に向かって軽く手を振った。

 ほとんど背中を向けていた女将だが、その姿勢のまま硬直する。

 そして、酒場を立ち去った。





「老いぼれの元傭兵相手でも、優しい御方だった。教会の殺し屋も、挨拶くらいすれば良かっただろう」


 ドガッ! と、テーブルに置いた彼の指と指の間に、ナイフが突き立った。

 老傭兵は、ゆっくりと手を引っ込める。


「滅多なことを口にしないで」


 バルポと女将が話していると、大柄な男が音もなく現れた。


「やれやれ、一生分の神気に触れた気分だ。鈍いジイさんが羨ましいぜ」


 自然な口ぶりでそんなことを言う男にも、傭兵は顔色を変えない。

 組合の傲慢さは、今までの人生で経験済みだったからだ。

 獣人は気高くあっても、小賢しくはない。侮辱や侮蔑は言葉ではなく、感情である。獣人はそれを特に、視線と匂いで感じ取る。


 彼らには今、それが無い。

 総次郎が立ち去ったおかげでようやく、緊張を解かれて安堵している。これがこの二人の、素の顔に近いのだろう。


「実際のところ、政情はどうなのだ?」


「あら、本当は気になるのね」


 バルポが訊ねると、女将は投げたナイフを引き抜きつつ答えた。


「でも、貴方が言ったとおりよ。神璽レガリアの耳に入れる必要があるなら、とっくに入ってる」


「そうだな。戦争は起きないよな」


「戦争は起きないわね」


 女将と行商人(どちらも仮の姿だが)は、口を揃えてそう言った。


「……ま、信じよう。隣領に兵隊がいたという噂も、魔族の急進派氏族が息巻いている噂も、この地には関係の無いことか」


 バルポの言葉に、女将が完璧な微笑みで答えた。


「もちろんそうよ。〈代行〉が、そう決めたんですもの」


 戦争は、起きないらしい。少なくともこの地では。

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