第136話 差し入れ
「天龍を普段使いはさすがに不敬」
不敬ですまない。
神樹の森は魔獣が強大で、それは鬼族にとっても新入りの獣人族にとっても問題だった。森の中を、徒歩で単独で大きく移動することができなかったのだ。
しかし、イルェリーが作る妖精の花や植物を使った魔法薬は、鬼族や獣人族が森を歩けるようにした。
幻惑と忌避を呼ぶ煙。昏睡や錯乱に陥れる水薬。そしてシンプル劇薬。
敵わない相手から逃げ延び、搦め手でも戦えるようになった。
そして、森の中を横断して、ブラウンウォルスまでの交易まで村民だけで可能にした。
「
「鬼族の戦士はミスティア殿に鍛えられ、魔獣とも毎日戦いましたゆえ」
人手が増えたおかげで、防衛と狩猟と交易が同時にこなせるようになったのだという。
「良い鍛錬にもなります」
隊伍を組んで交易品を街まで運び、商売を始めて新天村を拡張していくのだという。
「町商人の紹介とか、しようか?」
その提案には、ゼンは首を横に振った。
「お心遣い感謝します。しかし、すでに獣人たちが移住して、街に溶け込む努力をしております。交易品の商いも、彼らを通じてやらねばなりません」
獣人傭兵団がブラウンウォルスを通過する際に、一部の者たちが街に移住したのだ。
彼らが新天村からの特産品を入手して、街の商人と取引する。それができるというアピールをして、街での地位を確立するという。
「中継拠点に仲間を置いておくのは、基本だから。それに、街に住みたいのもいるからね」
元傭兵団のはずなのに、やってることが現役のままな気がする。
まあ、昨日今日ですぐには変わらないか。
「分かった。がんばって」
「励みまする」
ゼンはやる気十分な顔で出かけていった。魔獣と戦うのを楽しみにしてるなあれ。
俺はといえば、アイレスに乗って街へ赴いていた。
ドラロさんの商会で、フリンダさんに手土産を渡す。
イルェリーの調合した薬煙草と、俺が作った煙草のパイプだ。
「これはまた、洒落た土産サね」
ドワーフの棟梁は、俺の作ったパイプを見て喜んでくれた。
「良かったら、改善点を教えてもらえるとありがたいです」
「任せときな」
俺が自分で煙草を吸わないので、ブッシュクラフトで作ったパイプは出来栄えを確認できていない。
薬煙草の葉っぱは、妖精の木や森の中の薬草などで作った高級品らしい。煙草なのに薬用、というのは不思議だけど、インドのアーユルヴェーダ的なものだろうか。
「今、なかなか面白い仕事の仕上げにかかっててね。こいつは気合を入れるのに、ちょうどいいさね」
「面白い仕事?」
なんだろうか。
「教会が厳重管理してる、エリシウム鉱を使う仕事だよ! 神代樹の炭と合わせて、エリシウム鋼を鍛えるんだ! 凄いだろう!」
「なんだか凄そうだ。特別なものなんですか」
「そりゃァもちろんサ! エリシウムを叩いたドワーフなんて、片手の指ほどもいないんだ!」
「なるほど。希少価値ってことですか」
納得した。
「それに、
「あいつ?」
「エリシウムのことだ」
同席しているドラロさんが、そっと補足してくれた。
助かります。
「テコでも言うことを聞かないほど硬いのに、硬すぎて割れることがないんだ。頑固なのは嫌いじゃないが、ツボが見つけられなくて一苦労だ」
情熱的に語るフリンダさんは、補足とかしてくれない。
ドラロさんがそっと顔をそらして黙りこくっている。
「あれをようやくオトせた時にゃ、思わず祝杯で一樽いっちまったサ。叩いても叩いても手応えイマイチだったのに、分かってからは一瞬だった。ありゃたまんないサ」
「へ、へえ」
金属の話ですよね?
「神代樹の木槌が無かったら、あのへそ曲がりが欲しがってるところには届かなかった。ソウジロウ、アンタには感謝してるよ。もしもアンタが、エリシウム鋼を口説くコツが知りたきゃ教えてやる」
宇宙が見える。神秘の混沌が。
「……そのへんにしておけ、フリンダ。仕事はまだ終わってないのだろう」
夫が言うと、ようやくドワーフは現実に立ち返ってくれた。
「おっとそうだね。煙草はありがたくもらってくよ。うちの旦那に、ツケておいてくんな」
フリンダさんは、上機嫌で立ち去っていった。
「……すまんな。芸術家肌なのだ」
ドラロさんが、珍しく歯切れの悪い感じで言った。
しかし、
「いえ、まあ……ちょっとだけ、分かるので」
俺もそんなに強く言えない。
彫刻や木工の作業中に、俺もちょっとだけ、ハイになることがあるので……。
ドラロさんが身を乗り出した。
「エリシウム鋼によって、人の手でも神代樹の加工ができる道具を、作りだすことが可能になったのだ」
「何か今までと変わるところって、ありますか?」
「ソウジロウ殿には、大した変化も無いだろう。だが、我々にとっては大きく変わる。港の柱に、神殿の建材。頑丈極まる神代樹を使いたいものは、この地にいくらでもある」
「なるほど」
「売る相手は新天村の者と、教会の召し抱える宮大工に限られておる。そして、特例としてフリンダも所持を許可された」
そこまで言ってから、ドラロさんはため息を吐いた。
「……なんというか、変化が目まぐるしくてついていけん。フリンダは、教会の監視付きになるだろう」
「大丈夫ですか?」
「本人が浮かれておるので、儂には止められん」
「あ、本当は惚気ですかこれ」
「何を言っておる」
自覚が無いじゃんドラロさん。
「ところで、侯爵令嬢の件ってどうなりました? おもてなしグッズを送ってから、久しぶりに来ましたけど」
収穫とかで忙しくて来られなかった。おもてなしグッズが評価されたのか、ちょっと気になる。
特に連絡も無かったので、まずいことにはなってないと思うけど。
「実はな、令嬢はまだこの街に滞在しておる」
「それなら、不満は無かったってことですか?」
「そうだろうな。少なくとも、客室で寝泊まりするのに情熱的だ」
「情熱的……?」
ちょっと予想外の言葉である。あんまり寝泊まりには、使わない評価じゃないだろうか。
「ソウジロウ殿が余録と言っていた髪につける香油などは……あれを受け取ってしまった以上は、返礼品は絶対に送らないでほしいと懇願されたほどだ」
「……どういう意味です?」
返礼品とかなんかよく分からないんだが。
「あの香油に匹敵する贈り物が、侯爵家に不足しているということだ」
「はあ、なるほど」
つまり化粧品に、それほど価値を見出したようだ。お洒落好きな子だったらしい。
妖精の花の香りを、すごく気に入ったのかもしれない。やっぱり、令嬢と言われるだけある。花を愛でるタイプの、淑やかな子なんだろう。
「今は、野球に執心しておる」
「野球に?」
「うむ。なかなかの強打者に成長した。守備は可もなく不可もなく。しかしチームの雰囲気が良くなるので、
おかしい。
俺のイメージにあった、お洒落好きな貴族令嬢はどこへ。
「いや
「外様の貴族が
確かにそっちは、
「謙虚なのか傲慢なのか、分からないですねそれ」
「うむ。最近は、冒険者にも教えを請うておる。野歩きの術を磨いて、森を踏破できるようになってみせると」
「……それはもうほぼ、冒険者なのでは?」
「いつのまにか森の奥に踏み込みやしないかと、ハラハラしておるようだ。セヴリアスも、あのセデクですら、な」
思わず一緒に苦笑いする。
あの二人ですら慌てているとなれば、本当に冒険者のように森へと挑んでいるに違いない。
「思いがけない波乱って、起きるんですねぇ」
「ああ、だが──やはり私も庶民だな。由緒ある大貴族のご令嬢に、あのような一面があるのは……」
ドラロさんが口に拳を当てて、言葉を濁す。口にしていいものか、と逡巡しているらしい。
なので、俺が言ってあげよう。
「面白い、と思ってますね?」
「……ソウジロウ殿も、だろう」
意外と面白かった。
「あ、でもそれならまずいかな」
「なにか、あるのか?」
俺がつぶやきに、ドラロさんが首を傾げる。
「千種が、冒険者ギルドに呼ばれてるんですよね。侯爵令嬢に鉢合わせたら、気まずいかも」
確か千種は、侯爵令嬢のこと苦手って言っていたはず。
「うーむ、そうだな。令嬢は王からの書状をイオノへ渡しに行く、という名目で滞在を延ばしておる」
「え、そうなんですか?」
「それも考えれば……少し、一悶着あるやもしれんな」
男二人で唸る。
王宮が嫌いと言っていた千種。王からの書状ということは、嫌っていたところからの手紙だ。
侯爵令嬢がそれを渡そうとしているなら、千種は相手を王宮の手先と考えるかもしれない。
考えたとして、苦手な相手に強く出られる性格でもない。
令嬢はどうやら他人の土地で好き放題やれるだけの、押しの強さがある。
千種にとっては相性が悪いタイプだ。
「ううむ、不運が働かなければ、そういうこともないとは思うが」
ドラロさんが一縷の望みとばかりに、そんなことを口にする。
俺は首を横に振った。
「ああ、だったらダメですね」
「なぜだ?」
「千種の間の悪さは、もう才能ですから」
たとえ天地がひっくり返っても、それだけは揺るぎないことだった。
◯
一方その頃、冒険者ギルドでは。
「ど、どうも……えーっと……?」
侯爵令嬢は、冒険者ギルドでばっちり千種に会っていた。
しかし、
「わ、私は──ラビットと申しますわ!」
侯爵令嬢は、仮面をつけてごまかしていた。
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