第十五章
第135話 野球令嬢
「クレセール侯爵令嬢が帰らん。よほど、あの部屋が居心地良いようだ」
「もてなしは成功したということだろう。良いことだ」
「オレに回ってくる仕事が多くて、絵が描けん!」
「それは芸術にとって良いことだ」
ドラロの返事は冷たい。
「御令息が接待に回るぶん、おぬしに仕事が回ってくる。……普通の領主らしくなっただけ、ではないのか」
「そうとも言える。が、言いたくない」
渋面で答えるセデクだ。
「まあ、侯爵令嬢にどうしても帰ってほしいわけでもない。思惑どおりと言える。しかしなあ、娯楽と両立できないのがままならん」
その奇妙な物言いに、ドラロが眉をしかめた。
「何を企んでおる」
単刀直入。質問ですらなく、批判するように言った。
「……なにも? なぜそう思う?」
セデクはわざわざ商会に持ち込んだ、書状の山に目を通しながらとぼけた。
「おぬしの思惑どおりであるのに、やりたくないことをやっておるのだろう。そのジレンマは、企みが無ければ生まれんものだ」
「熟練商人のジジイというのは、無駄に鋭くて困るわ」
領主はぬけぬけとそう答えた。
つまり、秘密があることは認める。だが、口を割るつもりはないらしい。
「話す気が無いなら、話せることだけでも言ったらどうだ?」
「ふむ……クレセール侯爵令嬢のことだがな」
「うむ」
「今度の週末に、
「侯爵令嬢ともあろう方が、野球チームにまで参加するのか!?」
これにはドラロも驚愕した。
「しかもナックルズ側だと? 侯爵令嬢は、冒険者ギルドに登録したとでもいうのか? いったい、何をしておるのだ?」
矢継ぎ早な商人の質問に、セデクは愉快げに笑う。
貴人のゴシップは、やはり誰でも食いつきが良いものだ。
「神樹の森に挑戦しておるのだ。書状を届けるため、という名目で」
「大丈夫なのか?」
「セヴリアスがついているから、大事に至りそうなら止めるだろうよ」
「まあ、侯爵家ともなれば、武芸五般くらいは修めておるだろうが。冒険者扱いは、少し無理があるのではないか」
戦いを尊ぶこの王国では、良家であれば性別問わず武芸をいくつかは学ぶものだ。
一般的には女性で武芸五般ほど。すなわち『剣』『短剣』『魔法』『馬』『水練』である。
習熟度はともかく、少なくとも基礎を修めていることが望ましい。幅広く修得させたいのは人間の貴族社会であり、魔族たちは特性を伸ばす方向である。
「確かに。実戦経験が浅く、戦意が足りない。セヴリアスもそう言っておった。……だがなぁ」
「ぬ?」
「存外、才能もあったらしい。野球では強打者として注目されつつある。近々、森でも一角兎を打てるかもと、息子が嬉しそうに話しておった」
侯爵家の教育の賜物、と言えるだろう。
短期間でバッティングセンターの訓練に慣れて、物陰から飛び出てくる一角兎を咄嗟の動きでも打ち据える。
それができるなら、冒険者としても通用するようになるだろう。
「ほう。嬉しそうだったのは、息子の方か」
「さよう。若者は仲良くなるのが早いものよな」
接待役として一緒に森へと足を踏み入れ、魔獣とも戦い肉を狩るようになった。
そうして世話をしているうちに、クレセール侯爵令嬢が才能を開花させ始めた。
若者が仲を深めるには、十分なやり取りだったのだろう。
「そちらの息子こそ、どうだ? 傭兵を雇ったと聞くが」
セデクが水を向けると、ドラロは眉をしかめた。
「
「あれは、新天村に移住した獣人の関係者だろう?」
「そうだな。傭兵団から離脱して、屋台にメシを食べに来たらしい。料理もぜひやると申し出てくれた、と」
「元傭兵の料理人か……大丈夫か?」
「やる気も十分だし、他にも従業員を雇っておる。若殿が接待役で忙しくとも、新店長が店を切り盛りできているようだ」
セヴリアスとカルバートは、ようやく料理人と従業員を確保できたということだ。
これから手の空いたカルバートが、商売を広げていくだろう。
「料理人は良いとして、客の方はどうだ?」
セデクがにやにや笑いながら訊ねると、ドラロは額を押さえてため息を吐いた。
「……分かっておるなら、最初から言えばいい。きな臭い客がいくらかいると、忠告された。やはり傭兵だな。鼻が利く」
「そこで『獣人だな』とは言わぬのが、ドラロよなぁ」
客の方には言及せずにいるセデクに、領主の相談役としてのドラロは話の先を読む。
「ふん。やはり、調査員たちは追い返さないつもりか」
きな臭い客というのは、他の領主や他の国から派遣された調査員のことだ。
あの屋台には、森のあるじが作った神代樹の看板がある。そう聞かされて、実物を確認しない調査員はいない。
街の住人でもないのに、屋台に足繁く通う調査員が増えつつある。
調査員は行商人を装う。
だが、町商人たちの嗅覚と情報網は、屋台に通う行商人たちがずさんな商いをしていると勘付いた。
町商人を束ねるドラロの耳には、その話がきちんと届いている。
奴らは間者だ。調査員として、この街に来たのだ。
しかし、セデクはそれを放っておくつもりである。
「〈代行〉が、この地に神殿を建立するのだ。注目されるのは、仕方あるまいよ。こちらから説明するより、あちらが勝手に見に来てくれる方が楽だ」
「こちらの都合の良いように説明もできない、ということだぞ」
「なあに、最終的には変わらんだろう。悪く見たい者は、何を見ても聞いても悪く見るものだ」
領主としての判断は”放置”である。
侯爵令嬢、ひいては侯爵家との関係は良好。調査員は勝手にさせよ。
ドラロは今日の世間話を、そう受け取った。
「……ふん、分かった。いいだろう」
商人がうなずいて、部屋の出入口へと向かう。
「どこへ行く?」
「妻の工房だ。新しい釣具を見る約束があるのでな」
「……仲睦まじいことだ」
ひらひらと手を振って、セデクは友を見送った。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます