第133話 天を戴く種族

「…………」


「…………」


 ラスリューとアスラフィエルが、お互いを意識しながらも無言で稲刈りをしていた。

 少し離れたところにいるが、なんの因果か隣り合ってしまった。

 ラスリューにせよアスラフィエルにせよ、稲刈りなど初めてのことだった。

 鬼族や獣人族は親しい者と一緒に刈りへ赴き、尊重されて崇拝されるべき二人は、そういったことができなかった。


 ぶっちゃけ、余ってしまったのだ。


 アスラフィエルは、緊張していた。天使族は権勢を誇り、力を持つ種族である。

 あるが、永く生きて力をつけた古龍と対峙するのは、無謀だった。

 ラスリューのことは、村に入る前からその存在を感じていた。縄張りに踏み込む時などは特に、神経を張り詰めてしまった。

 アスラフィエルを踏み込ませたのは、総次郎の言葉だった。


 ラスリューに恩を感じている。アスラフィエルにも、同じように。

 同じように、だ。


 総次郎が等しく扱うと決めている。ならば、ただ対等な者として共通のものを交わすしかない。

 力や権威ではない。

 言葉だ。


「……不思議な御方ですね」


 それはラスリューからだった。

 話しかけられると思っていなかったアスラフィエルは、ただの独り言だと思った。


「天使族に稲刈りをさせるとは、意外にも程がある。それもただの天使どころではない。『神意の代行者』を名乗って、謀略を巡らせるアスラフィエルに。そう思いませんか?」


 苦笑いをしていた。

 ラスリューがアスラフィエルに向かって。


「……そう、ですね。暴風の中に棲むと言われた天龍族が、暴風どころか金色の稲穂に囲まれているとは」


「ええ、まったく。嵐など呼べない。この稲穂を傷つけてしまう」


 だから暴れることなどできない、とでも言うように、ラスリューは快晴の空を見上げた。


「謀略により寝首をかく。天使とは、そういうものだと思っていました」


 人間が語る竜退治の英雄譚では、運命に導かれた英雄たちが、様々な試練を乗り越えて幸運にも味方され、ついに眠りから覚めたばかりの悪竜を討つ。

 龍から見れば、裏で糸を引いてたくさんの人間をそそのかし続け、運良く功成った人間を英雄と褒めそやす者がいる。

 それが天使族だ。


 ラスリューからして、アスラフィエルのことは快く思えなかった。天使がミコトの郷を訪ねてきたと聞いて、内心でひどく警戒した。

 したが、アスラフィエルは村にも来た。

 ラスリューの牙から逃げられないほど近くまで、自ら飛んできた。

 そして何の用かと思えば、「神璽レガリアから、稲刈りに誘われました」である。


 総次郎は、すでに天龍と天使の確執を耳にしていたのだろう。アスラフィエルを見た時に、気遣うような顔をしていた。

 ラスリューからすれば、それは不本意なことだ。

 謀略を得意とする天使族に、話しかける。それは天使の策に乗ることかもしれないが、あちらは単身で村に飛び込んできてみせたのだ。

 竜の牙を喉にかけられてでも稲刈りをする天使に、天龍が怖気づいて黙りこくるわけにはいかない。


「稲刈りをしている天使など、永く生きた私でも初めて見る」


「私も初めてやりますし、そうでしょうね。天龍は鬼族を従えて米を作るのに、稲刈りはしないのですか」


「しませんね」


「……どれくらい刈りました?」


「貴女よりは、多く刈りました」


 天龍のちょっと得意げな顔に、天使はかちんと奥歯を噛んだ。


「両性の天龍が、手の大きさだけで勝ち誇らないでください。これを乾燥させるのは、天使族が広めた魔法です」


「ははは。種族の功績を自分のように語るから、個人では龍に勝てないのですよ」


 ザスザスザス、とお互いの鎌音が速くなっていく。

 やはり長年の常識が顔を出す。張り合わずには、いられないらしい。


「パパ様ー! 蛇捕まえた! 見て!」


 アイレスがラスリューのところへ駆け寄ってきた。

 その手ににょろにょろと蠢く蛇が握られていて、しかも、胴を握りしめるアイレスの手に噛みついている。しかし、牙が通らないので、アイレスは噛まれても気にしていない。

 子ヘビではなく、一メートルほどの大きさはある。天龍にとってはおもちゃ扱いだ。


「アイレス、蛇なんて珍しくないでしょう」


「よく見て! 腕生えてるから魔獣になるよこいつ!」


「あ、本当ですね」


「ヒリィが食べるかも!」


「稲刈りの途中ですから、村のバジリスクにでもあげなさい」


「はーいっ」


 田畑に潜む蛇や小動物は、村では貴重なタンパク質扱いだ。

 飢えていれば人が食べただろうが、そうでなければ家畜に与えて上質な肉を作らせる。


「……あれほど楽しそうに飛び跳ねている天龍の子供は、私も初めて見ます」


 アスラフィエルが言うと、ラスリューは真顔で答えた。


「天使族がそれを見たことがないのは、当然でしょう」


 天使は、はっと気づいた。


「……そう、か。そうでしょうね」


 竜族を屠ることに、抵抗は無かった。

 天使の見ている前で、のんきな顔で子どもを育てられる竜族がいるわけもない。


「…………」


「…………」


 再び、沈黙が訪れる。

 龍との共通会話など、天使からすれば血なまぐさい話しかないだろう。

 どうにもならない。しかし、総次郎の意は汲みたい。

 神に愛されし天使族として、天龍族の前でも愛されたいのだ。この試練は乗り越えねばならない。乗り越えたい。


 ふぬぬ、と悩む天使に、


「……百年ほど前に、毒竜が敗れましたね。人間達に」


 ラスリューがそんなことを言った。


「ええ。竜は退いて、命までは取れませんでしたけれど」


 アスラフィエルは、慎重にそう答えた。


「あれは、天使が裏で糸を引いていたのですか?」


「……そのとおりです」


 どきりと鼓動を大きくしながら、正直にうなずく天使。

 ラスリューは、静かに続ける。


「彼は私の知己でして。あの地を逐われたことも、人間や獣人たち程度に深手を負わされたことも、屈辱だったようです」


「……それで?」


 話の矛先が、不穏なものになっている。

 アスラフィエルは背中の翼を今すぐ広げて飛び去るべきか、懊悩さえした。


「恥じて押し黙り、当時のことを誰にも語らずひた隠しにしている。だから、貴女の口から語ってはくれませんか」


「天使族の行ったことを、でしょうか」


 アスラフィエルの問いに、ラスリューは稲穂の向こうで立ち上がって、口元を隠しながら言った。


「あの業突く張りで口の減らないイヤミな雄が、失敗した時の顔を、ですよ」


「は?」


 アスラフィエルはぱちくりと目を瞬かせた。

 言われたことを少し考えて、聞き返す。


「本気ですか?」


「もちろん。お嫌ですか?」


「いえ、別にそういうわけでは。しかし、竜族の同胞では……」


「毒龍の身内ではないです。あいつ、マジでむかつきませんでしたか?」


「ええ、むかつきましたよ、もちろん」


 アスラフィエルは思わず同意する。本当に腹の立つ竜だったのだ。


「なにか、されたのですか?」


「子を作ろうと言われました。アイレスを寄越してくれてもいい、とも。あの子が、たった百歳のときですよ? 半殺しにしましたが、本当は息の根を止めたかった」


「ええ……?」


「竜の血統は、だんだん滅びています。珍しい毒竜なので、断絶させれば竜族的には評判が悪くなる。なので、殺せなかった。昔は竜同士でも、決闘をしたものなのにまったく」


「ええ」


「ですから、奴が泣き叫んで逃げ出した話は、ぜひ聞きたいのです」


 そう言ってアスラフィエルを振り返ったラスリューは、悪い笑みを浮かべていた。

 よほど件の竜が嫌いであるらしい。


「悔しそうな顔をしてましたか?」


「え、ええ、もちろん。涙まで流して落としました」


 あの戦いでは、人間が竜の涙を採取している。


「それはいい。彼は私を気取り屋だのどっちつかずの男女おとこおんなだのと、ずいぶん言ってくれていましたから」


 雌雄両性の天龍族には、だからなんだと言い返したいことだったろう。

 アスラフィエルは、思わず笑った。


「あの竜、私のことを臆病者の鳥女とか言っていましたよ。だいたい、似たような悪口ばかり言うようですね」


 思い返しても、腹が立つ言い様だった。自分こそ、堅牢な巣を作って逃げ籠もったくせに。


「ふふふ、いいですよ。あの時のすべてを語りますわ」


「ぜひに。臨場感たっぷりにお願いします」


 二人はうなずき合い、通じ合った。


「それに……力ある龍が倒されたときのことも、お願いします。口惜しくも龍が負けた、なぜ倒されたのか知りたかった戦いのことも」


「こちらこそ、いくつかお聞きしたいと思います。天使が力及ばなかった戦いは、恐怖ばかりが語られておりますから」


 竜退治のことを口にしていいなら、アスラフィエルには語れることはたくさんある。

 もはや敵ではない。戦い、傷つけあった種族ではあるが、だからこそ、語り合える話があるものだ。


「おーい、お昼にしよう」


 総次郎に声をかけられた時、アスラフィエルの胸に不安は残っていなかった。

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