第125話 咲き誇る花を
「
「ぎゃふっ!」
「セーラーなのはサイネリアが足蹴にした千種の方だ。あと、今のはなんなんだ……?」
意味が分からない口上とともに、千種が飛んできた薔薇を腹に受けて膝をついた。
その正体は、薔薇を背負った妖精のドロップキックだ。
サイネリアは真顔で答えた。
「ドキドキ妖精クイズですが」
「クイズ要素はどこだ」
全部言いきってただろう。
「ふっ、そんなマスターに、こちらを進呈です」
妖精は背負っていた薔薇の花を俺に渡してくる。いやまあ、薔薇をくれと言ったのは俺だ。
持ってくると言ってドロップキックで届けてくるのは、ちょっと予想外だったけども。
「復讐してやる……」
ブチブチと妖精を迂回して薔薇に近づいた千種が、花をちぎり取っている。
「敵の侵略者を発見!」「ダメだ!」
サイネリアが一人芝居をしている。まあいいか。
「たしかに薔薇の花、だけど小さいな」
もらった薔薇の花は、俺の想像してたのよりだいぶ小さい。たんぽぽみたいなサイズである。
「そのとおり。小さいでしょう」
しかしドヤ顔のサイネリアだ。薔薇の花弁は大きい方が立派とされる人間とは、異なる価値観である。
ただ、小さくても量はあったので目的は果たせる。千種もブチブチと収穫してるし。
「こんなにたくさん、いいのか?」
「薔薇は木に咲くのです。そして、優秀な妖精の手中には妖樹ドリュアデスがいます。これくらいはお手の物です」
菜園エリアに住み着いたドリュアデスが、薔薇の木を作って生やしたものだ。
「家賃みたいなものでしょう。これの百倍でも文句は言わせなくていいわ」
と、俺の横から口添えしてくるのは、イルェリーだ。
「傲慢で合理的なエルフは、利得ばかりを口にする。だからつまらないのです」
「あら。妖精が千切って遊ぶだけの薔薇の花を、
何を隠そう、薔薇の花を要求してきたのはイルェリーである。
「じゃあお願いします」
手にした薔薇を差し出すと、イルェリーはすっと顔を近づけて香気を吸い込む。
「ええ、妖精の花は特級品だもの。誰もが欲しがるわよ」
これで化粧品を作ろうというのが、手始めだった。
イルェリーが言うエルフの技は、なんてことはない。花を蒸留して作るもの。薔薇から抽出する水と、香油だ。
ローズオイルと呼ばれるものである。
大量の薔薇の花びらを水で蒸留し、エキスを抽出する。出てくるのは花の香りと成分を含んだ水と油だ。
静かに安置すれば水と油は分離する。
ローズウォーターとローズオイル。
古来から美容や薬の材料として使われていた、魔性のエキスがダークエルフの手に渡ったということだ。
「ちょっと希釈して使いやすくした
「ありがとう」
イルェリーが加工してくれものを受け取ろうとすると、ダークエルフはにっこり笑って薬瓶を渡してくれなかった。
「あれ?」
「もちろん、開発費はソウジロウが体で払ってくれるわよね?」
初耳だったが、もはや物があって断れない段階である。
ハメられた。
「んんっ、上手よ、ソウジロウ……」
エルフの嬌声が響く。
俺はイルェリーの肌に指を滑らせて、強すぎず弱すぎずを見極めながら、慎重に愛撫する。
イルェリーの要求で、俺は薬の開発費を体で払わされていた。
「本当に上手……見た目によらず、経験豊富なのね……ふあっ」
「いや、初めてやったよ。頭皮マッサージ」
ヘアオイルを作ったのだから試したい、というのがエルフの要求だった。オイルを頭皮と髪に塗るついでに、マッサージもしろという。
「あとは櫛も。エルフの髪は貴重なんだから、ていねいにね」
「分かってるよ」
温泉上がりのしっとりした頭皮に、こわごわと指を滑らせてオイルを馴染ませる。
一度入浴を済ませてからさっと乾かした髪に、髪と頭皮に軟膏をつけていく。全体に広げたら、さらに髪を櫛で梳かす。毛先までオイルを行き渡らせるために。
薄手の浴着だけで優雅に椅子に腰掛けたイルェリーが、心地良さげに目を閉じて、されるがままになっていた。
「人にやってもらうのって、思ったよりいいわね……」
「俺は怖いんだけど」
「なにが?」
「揉み返しとかで、痛くしないかが」
「大丈夫よ。
「適当に言ってないかそれ?」
「そうよ? 下手だったら、やめさせればいいと思ってるわ」
クスクスと笑うダークエルフである。良いのかそれで。
「自分で作ったものは、自分で試すべきよ。調合したのは私だけど、依頼したのは貴方。お互いやらないとね」
「これだけやっても、相手の肌に合わなかったらダメになるんだよな」
「それはそれ。薬なんて、そういうものよ」
イルェリーは肩をすくめた。開発者が言うなら、まあいいか。
それにしても、
「うわ、細い髪がすごくすべすべになってく……」
手にした髪に櫛を通していくと、指の間を流れるように落ちる髪の感触が、えもいわれぬ心地よい手触りに。
「髪を洗うと、髪を覆う皮から油脂が無くなって逆立つの。その反抗を香気高い花から抽出した、貴重な油で鎮める。そうして輝く髪はまるで、星明かりを映したように綺麗に流れる……」
「へえ、詳しいんだな」
「薬を売るのに必要だったのよ。こういう口上もね」
どうやら錬金術師というのは、営業活動も必要だったらしい。
「できたよ」
「ありがとう。うーん、
満足げに髪を手でなびかせるイルェリー。どうやらご満悦いただけたらしい。
「じゃあ、交代する? シャワー浴びてきてもらえるかしら」
「えっ。いや、俺はいいよ」
「なら、後でいいからちゃんと試してね」
ぽん、と軟膏を渡される。
どうやら『自分で試すべき』というのは、イルェリーは本気で言っていたらしい。
信念なら仕方ない。従おう。
「あら、花の香りがする」
狩りから帰ってきたミスティアが、そんなことを口にした。
ううむ、鋭い。
一緒に帰ってきたマツカゼが、俺の足元にきてぐるぐる歩き回る。その頭を撫でてやると、手に鼻を押しつけてスンスンスンスン嗅ぎまくってきた。
「あら、ソウジロウからする」
ミスティアも形の良い鼻を頼りに寄ってきた。
「おかえり。ちょっとイルェリーと新薬開発してて」
「同じ髪の匂いをさせちゃう仲なの」
いつの間にか背後に現れたダークエルフが、正面にいるミスティアにそんなことを言った。
「む。そんなの、同じもの使っただけでしょ」
「でもちょっとむかついてるくせに~」
「人が狩りに出てる間に、温泉で楽しんでたからです~」
ずいずいとお互いに距離を詰めて言い合いを始める、ハイエルフとダークエルフ。
俺を挟んでやらないでほしい。
ふと、体が触れ合う距離まで来たミスティアが、俺を見た。
「あら? ソウジロウ、ちょっとしゃがんで」
言うやいなや、肩をとんと叩かれる。
引っ張られるままに膝を曲げると、ミスティアは俺の頭に顔を寄せた。
近い。というか、もはや抱きつかれてるに等しい。
「あの、ミスティア……」
ちょっと動悸が早くなった俺の上で、
「これって妖精の花じゃない。大丈夫なの?」
「普通の薬よ。弱体魔法も幻覚も無し」
「ならいいけど」
微妙に物騒な会話が交わされた。
「ちょっと待ってくれ。”あり”の場合があるのかそれ」
「あはー」「ふふー」
二人のエルフは綺麗な笑顔を浮かべて、俺から身を離した。
確信した。この種族には、顔の良さでごまかす文化があるに違いない。
「マツカゼ、ハマカゼ、おいで。ブラッシングしてあげる」
狼たちは喜んで俺についてきた。
無臭の軟膏も作ってもらってある。鼻くらいしか塗るところが無いけど、ケアしてあげよう。
一方、千種はアイレスとハンドクリームを分け合っていた。
「ボクにはこういうの、無意味だけどね」
「だからいいじゃん。私が取りすぎただけだから」
「こいつ天龍を手ぬぐい扱いして……んー、花の香りがする~」
そっちは平和だった。
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