第123話 ウサギ狩りは変わった
市壁の外に作られた、とある訓練場がある。
冒険者ギルドと領主の共同出資で作られた訓練場には、弩砲が設えられていた。見るものが見れば空恐ろしい、たくさんの攻城兵器を置いた軍事訓練場である。
しかし、冒険者が見れば、
「お、今日はバッティングセンター空いてるじゃねえか」
レジャー施設だった。
「知らねえのか? 投球場の方に〈白の暴風〉が出たんだよ」
「マジか! 見物に行かねえと!」
そして、併設された別の訓練場は大盛りあがりしていた。
空気が爆発したような轟音が響く。
「ストライク!」
「いえーい!」
投手を務めるアイレスが、けらけら笑いながら人間を煽っている。
「くそざこ人間♪ 生まれ変わって出直してこーい♫ ざぁーこざぁーこ☆」
ノリノリだ。
「キャッチャーだらしないぞー!」「無茶言うな死にそうだってんだ! 交代だ! こうたーい!」「神官いるかー? 回復かけてやれ」
やいやい言いながら、冒険者たちが走り回っている。
俺はそれを眺めて座っていた。
「ずいぶん平和なスポーツだな」
「いま、キャッチャーの手が折れるところだったと思うんですけど」
「儂の知るスポーツは、隣村の神殿の中庭に、豚の頭を蹴り入れたら勝ち、とかだ。若者同士が集団でぶつかり合うものだから、よく死人が出ておった」
中世の遊びは野蛮だ。
日本の中世でも川を挟んで集団で石を投げ合うとか、そういうものがスポーツだったという。
それを考えれば、
「まだ平和ですかね。野球」
「うむ。何回もやっているのに、まだ死人が出ていない」
基準がだいぶ緩めだが、平和の範疇だ。
最初は『一角兎対策ができないか』という相談からだった。
確かにあれは速いけど、突進してくるだけだ。対策が必要なほどなのか──と思ったが、
「心臓に穴を開けられた冒険者が何人もいる。衛兵も」
などと言われたら、相談に乗ってしまう。何度も何度も、兎と一人で正面からやれる人間は少ないらしい。
俺が提案したのは、弩砲で練習をすることだ。
サラリーマンの聖地バッティングセンターでは、そこらのおっさんでも百二十キロの球を打ち返している。
一角兎の攻撃は角を構えた突進だ。馬よりも速いにしろ、時速百キロほど。
目が慣れれば迎撃はできるはず。
そして目を慣らすなら、速い球を打ちまくるバッティングセンターを作ればいい。
何より、これなら失敗しても死なない。
冒険者たちは、失敗したら死ぬ環境にある。OJTと言えば聞こえは良いが、先輩について実戦に出てその中で学べ、という感じだ。
実戦こそ実力をつけるところだ、という考えはよくある。あるが、間違いだ。
訓練こそが実力をつける場であり、実戦だけをくり返すと実力はむしろ落ちていく。
十分な訓練をしてから行けばいい。もちろん、それは理想論だ。
理想論だが、取っ掛かりを作ることも大事である。
かつてイングランドは長弓兵を作るために、十年間も各地で弓術競技大会を開いて、優勝者に褒賞を出していたという。
まあそういうわけで、一角兎に似せた木の模型と、それを射出する
弓づくりの経験が役に立った瞬間である。人生何があるか分からないな。
高速で飛んでくる兎模型を棍棒で打つ、バッティングセンターを作った。もちろん定期的に大会をして、優勝者にご褒美を出すことも提案した。
「これはこういう遊びがあったのか?」と、セデクさんに訊かれたので野球を教えた。
そして、いつしか衛兵がバッティングセンターに入り浸り、模型ではなく球を打つようになり、野球チームもできていた。
それを見た冒険者も、衛兵に対抗するように同じことをし始めた。
「……みんなどんどんヒートアップしていくってこと、忘れてました」
「うむ。人より速い模型を打ち、いやさ模型より小さい球を打ち、より遠くに飛ばす方が、むしろ人が投げる方が……と、腕競べが止まらんでな」
「でも公式大会があれば、そこで競ってくれるかと」
「『魔法を撃たれて打てなかったら死ね』が始まる前に、野球をさせるようにしたのだ」
「英断でしたね」
としか言えなくなる。
俺の浅知恵だった。豚の頭を蹴り入れてゴールを決める人間を舐めてた。
「練習は、ちゃんと実を結んでおる。一角兎にやられる者は、以前よりずっと少なくなった」
ドラロさんが慰めるように言ってくれる。セデクさんが横でうなずいた。
「天龍の姫が、冒険者相手に野球対決で済ませてくれるのも、効いたな」
「アイレスの球は、時速でたぶん二百キロ超えてますけどね」
「来訪のたびに冒険者の半分が怪我人になるよりは、ずっと穏当だ」
どばん、とまたもマウンドでアイレスの球がキャッチャーミットに叩き込まれている。
投げる方も投げる方だが、捕る方も捕る方だ。交代しながらとはいえ、あれを捕球できる人たちがいるとは。ファンタジー世界恐るべし。
キャッチャーミットの革って、魔獣の革でなんか衝撃を和らげるのとかないか、帰ったらムスビに聞いてみよう。
「ところで、侯爵令嬢が来るそうですね」
唐突な話題の転換に、セデクさんが眉を上げる。
「ん? うむ。メアリ・クレセール侯爵令嬢がな。おれの上司の娘といったところだ」
「なんだ、耳聡いな」
「貴方達の息子が教えてくれました」
「やれやれ、領地の内情を漏らすとは。料理人が見つかったからとて、暇を満喫しおって」
ドラロさんが言うほど、暇そうでもなかったけど。
まあ、へそ曲がりだからなこの人。
「侯爵令嬢のおもてなし次第で、千種や神殿の評判が変わるかもしれない。俺もなにか、できることがあればやりますよ」
その提案に、二人は顔を見合わせた。
「珍しい」
「はしゃいでおるのか?」
「なんでですか、いきなり」
想像してなかった反応に、俺は面食らう。
「だって」「のう?」
チラチラとお互いに目配せする領主と商人。なんだろうこの疎外感。
「言ってください。なんですか?」
二人が肩をすくめた。
「ソウジロウ殿は、街でなにかする時はいつも唐突にやるだろう。もしくは、やりたいことを伝えてくるか、だ」
「こちらの事情を伺うなど、珍しいだろう」
ひどい言われようだ。
「そんな、俺が好き勝手してるみたいに……みたいに……?」
あれ、わりとそうだったかもしれない。
俺が考え込んでいると、
「ふうむ……神殿……女神アナの回生、か? ソウジロウ殿の望みは」
セデクさんが、ズバリと核心を突いてくる。
むう、あの息子さん達は、見た目は母親似っぽいのにこのへんは父親譲りか。
「……ラフィから聞きましたか」
「ラ……う、うむ、かの〈代行〉からな」
ドラロさんが、複雑そうな顔でうなずいた。
「微妙な顔をしないでください。俺も聞いてます。神の回生は、そう容易いことじゃない」
「うむ……。いや、顔に出ておるのはそういう顔ではないが……うむ……」
ラフィをして「神話の話」と言うようなことだ。
望めば叶う、と単純に言えることじゃないかもしれない。
「分かってますから、大丈夫です」
けれど、そのためにやれるだけのことをやっておくのは、悪いことではないと思う。
「それなら、まあいいが」
ドラロさんが引き下がる。ううん、俺こそ顔に出しすぎたか。
「はしゃいでて、すみません……」
そうとしか言えない。
「いやいや、上機嫌なのはこちらも喜ばしいと思っておるよ。ただ、我々が──ひいてはこの街が、ソウジロウ殿に失望された時が怖いのだ」
落ち込む俺に、セデクさんがそんなことを言ってくる。
「そんな。街のせいにしたり、しませんよ」
「なにせ……ドラロは妻を呼び戻したばかりだというのに、すぐに森の恵みを失っては、さすがに離縁されるだろうし」
「余計な心配をするでない!」
「はっはっは!」
セデクさんが笑った。
俺も釣られて笑う。
「まあしかし、クレセール侯爵令嬢のおもてなしの協力は、実際ありがたい。役に立ちそうなものなら、なんでも送ってほしい」
「いいですよ」
「おい、どちらも安請け合いするな。セデク、おぬしそんな金があるか?」
「工面してくれ参事会」
「軽々しく言うでないわ!!」
「はっはっは! 話がまとまったところでオレも一つ、天龍と手合わせ願ってくる!」
「まとまっておらんぞ、おい!」
「はっはっはっはっは!!」
野球帽を取り出して、うきうきと参戦しに行く領主だった。
「まったくあやつは……!」
「ええっと、大丈夫ですか?」
ドラロさんに言うと、じろりと鋭い眼光で俺を見つめて、ふうと肩の力を抜く。
「あやつはアレでも領主。ここが勝負時と思ったのであろう。もてなし道具に、金は出す。だから、いくらでも持ってきてくれれば良い」
「分かりました」
俺が金に執着しているわけではなく、施しのようになんでも無償で与えられることは、商売にとって人間にとって悪いことにしかならない。
そうドラロさんに言われたので、こう見えても予算には気を使っていたのだ。自分のではなく、相手のだが。
しかしさて、帰ったら何を作ろうか。色々あるからな……。
「セデクは街のためにああ言ったが」
「はい?」
あれもこれも、と考えている俺に、ドラロさんがいつもの鋭い目を向けてくる。
「……女神の回生が叶うことを、我々も微力ながら祈っておる。無論、ああ見えてセデクもだ」
その言葉に、俺は胸にじんと温かいものが湧くのを感じた。
「ありがとうございます」
「ふん」
それから、付け加える。
「俺も、侯爵令嬢に満足して帰ってもらいたいのは、自分や女神様のためだけじゃないですよ」
接待を成功させることは、この街の助けにもなるはずだ。
「……感謝する」
老商人はセデクさんがバッターボックスでアイレスと睨み合ってるのを確認してから、俺を振り返らずに小声で言った。
「釣り具なども……良いと思うが」
「あー……」
ドラロさんの妻であるフリンダさんは、このところ海で竿を出しているという。
いや、まあ、うん。
もし侯爵令嬢が使わなかったら、売りに出しちゃってもいいし。
それを、どこかの豪商が買ってくれたりするかもしれない。景気の良い辺境にある街の、釣り好きな趣味を持つ商人とかが。
「ええ、そうですね。入れておきます」
人に意見を聞いていくのはありだと思う。
そういえば、王宮のこと知ってる魔法使いがいるしな。
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