第122話 千種の王宮生活

 ブラウンウォルスにある冒険者ギルドでは、千種が青くなっていた。


「クレセール嬢が、こっちに来る……?」


「知り合いなんだってね」


 ガラの悪い受付嬢が、そんな魔法使いの顔を見ながら無自覚に追撃した。

 千種はかっくりと頷いた。


「あっ、わかりました。じゃあわたし、一生森から出ないで死にます……」


 とぼとぼと、幽鬼のような覚束ない足取りで立ち去ろうとする。

 受付嬢は慌てて引き止めた。


「ちょ、待った待った! なんだってそうなるんだ」


「えっと、説明するのも恥なんで、消えますね……」


 千種の返事はそれだけである。


 受付嬢の決断は素早かった。


「分かった。情報料として、上物の白をもう一本。それでどう?」


 ぴたりと、千種の足が止まった。

 受付嬢が言う『上物の白』とは、ぶどう酒のことだ。

 ミコトの郷では、まだ酒はできていない。

 そのまま飲むにも調理に使うにも、酒は種類があるだけいい。上等ならもっと良い。

 千種はちょっと悩んだものの、ふと考え直した。


 ……恥ずかしい過去なんて売るほどあるし、たまにはほんとに売ってみようかな。


「分かりました……」


 受付嬢のいるカウンターに戻って座ると、グラスを出して酒を注いでくれた。


「あ、お酒はいいです」


「そう? じゃあこっちね」


 冒険者のよく飲む苦い黒茶を出され、注いだ方の酒は受付嬢が口をつける。

 ……やっぱ、お酒の方にしておくべきだったかも。

 あんまり美味しくないお茶を手にして、千種は後悔した。


「それで? 侯爵令嬢と、どんなことがあったってわけ?」


 促された千種は、苦い思い出を引っ張り出す。

 心に浮かんだ苦みを、黒茶を飲んで味の苦みでごまかした。


「あの、クレセール嬢……いえあの、侯爵令嬢のお茶会に、呼ばれたことがあるんです。けど」


「ふうん、さすが元・王宮専属」


「あっ、そうです。それやってた時のやつです」


 相づちついでに補足してくれるのをありがたく思いつつ、千種は続ける。


「あの時は王宮に入りたてで、なにすればいいのかも分からなくって。あっ、今も分かってないんですけど……」


「そんなもん、みんな分かんないさ」


 受付嬢は酒を舐めるように味わいながら、千種を見ている。

 千種は、お茶に視線を落として揺らしながら、なんとか当時を語った。



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 専属契約の冒険者って、貴族が取り分を交渉している間は暇で。

 暇な間に、侯爵令嬢がわたしを誘った。


 お茶会なんて、初めてのことだった。でも、憧れはあったから、喜んで受けた。


 遅れないように十分前に訪ねたわたしを迎えた令嬢は、なんだか呆れたような雰囲気をしていた。

 案内はしてくれた。半分だけ開いた扉を通されて、侍女はなんだか硬い声だった。

 通された庭に、ゲストはいなかった。それどころか、まだ椅子さえ無かった。


 所在無く立って待ちながら、二十分くらい隅で立ち尽くしていた。

 ようやく来たゲストは、わたしを見て眉根をしかめていた。

 吐きそうになった。

 グループ学習で、仲良しが集まったところに入れられた邪魔なやつを見る目。そんなものを異世界で思い出すなんて。

 それから続々と来る人たちが『いつからいたの? ずっと? うわあ』みたいな伝言ゲームを連鎖して。


 そこまででようやく、お茶会の始まる前の話。

 始まってからの話をする必要って、もはや無い気がするけど。


 でも、どうにか思い出す。


 緊張して胃が縮んで、お茶を飲んだらむせてドレスにびしゃーってぶちまけて。

 がんばって採寸して用意したドレスとか、馬鹿馬鹿しい格好にしか思えなかった。

 あっちは冒険者を呼んだんだから、冒険用のフル装備で良かったんじゃないかな。マントがあったら濡れても寒くないし。

 濡れた格好でみじめな気持ちになって、ああでもこれ帰る言い訳になるよねってひらめいたのがあの時の最大の功績。



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「で、急いで帰りました」


 受付嬢は、無言で黒茶のおかわりを差し出した。


「そして」


「まだあるの?」


 千種は続けた。


「別の貴族令嬢の朗読会では、反省を生かして飲まず食わず、空気のように振る舞いました。それでなんとか、最後までいたんですけど」


「良かった? じゃない……?」


 疑問符を飲み込みきれずに相づちをうつ受付嬢に、千種はにへらと暗い笑みを浮かべる。


「それが別の……侯爵令嬢とは別の派閥だったらしくて。お茶会は中座したのにそっちでは最後までいたから、派閥がナントヤラで」


「うわあ……」


「そんな感じで、他にもたくさんやらかしました」


「へええ……それ以上にやらかせるもんなんだね……」


 もはや感心さえした様子で、受付嬢はぽかんと口を開いていた。

 千種も、もはや自分でそれを話しながら「よくやらかせたなー」と、小さくひとりごちるほどである。


「まあ、そんなところですね……」


「その言葉を聞きたかったよ」


 もはや二杯目を飲みつつ、煙草まで咥えて受付嬢が呆れた顔をする。


「もっと早く、ね」


「あっ、話が長くてすみません……」


「そういう意味じゃなくてね。まあ……なんだ。よく頑張ったよね、それ。ほら、約束の報酬だよ」


「あっ、どうも」


 カウンターに置かれた白ワインに手を伸ばす千種。その横に、もう一本の酒瓶が置かれた。


「……二本にしとくよ」


「あっ、ありがとうございます……?」


 千種は首を傾げつつも、手をかざして影の中に収納した。


「念の為に聞いとくけど、侯爵令嬢のことは、恨んでる?」


「? どうしてそんなことを……?」


「いや、詮索されたくないってなら、いいんだ。ただ、会わないように手配できるよってことで……」


 受付嬢が、口早にそうまくしたてる。


「あっ、いえいえ、まさか」


 千種は軽い調子で、手をひらひら振った。


「やらかしたの、わたしなんで」


「そう、なんだ」


 受付嬢は、複雑そうな面持ちで千種を見る。


「……良かったら、また来なよ。アンタがうちで最強の冒険者だから」


「あっ、はい。うへへ。変な魔獣の素材とか出ると思うので、また来ます」


 最強、と褒められてニヤつきながら、千種はギルドを後にした。

 受付嬢はその姿を見送った。

 煙草を深く吸って、煙を長く吐き出してから、


「おだててあげるだけでいいのに。王宮の連中ってのは、馬鹿なのかねェ……」


 深いため息を吐きだした。

 カウンター下から立派な羊皮紙を取り出して、ペンを手に取り書きつける。


「『イオノに侯爵令嬢への敵意は無し。安心されたし』と。これで侯爵家からの依頼は、達成だ」


 インク速乾用の砂をさっと振りかけて、しばし考えてからまたペンを取る。


「……『ただし、対策の要あり。追加依頼あれば別途報酬と経費求む』と」


 報告書に書き足してから、受付嬢はグラスに入った酒を飲み干した。

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