第120話 祈りが届くところ

「しばらく反省しなさい、サイネリア」


 ミスティアが腰に手を当てて怒っていた。


「ウッキー! 今年は申年ぃー!」


 がしゃがしゃと檻を掴んで騒ぐのは、鳥かごに捕らえられたサイネリアである。

 文字どおり、妖精は囚われていた。


「くっ、優秀な妖精が出ることすらできない……。これは神代樹の檻。マスター・レガリア! お前もか!」


「微妙に余裕があるな、サイネリア」


 サイネリアの言う通り、鳥かごは俺が作ったものである。


「なぜこんな仕打ちをするのですか、マスター!」


「千種をアザラシに変えたからだよ」


「ヴエ゛エ゛エ゛エ゛エ゛!」


 ものすごく大きないびきのような獣の声が、足元から響いた。

 そこに一頭のアザラシがいる。

 森の中に、アザラシ。なぜ。


 最初に見かけた時は、目の錯覚か何かだと思った。

 しかし、アザラシは混乱して涙を流しながら、こっちにすり寄ってきた。仕方ないのでアザラシの出所を探ると、妖精のいたずらだと判明。

 そして、千種がいなくなっていたことに気付いた。サイネリアは、千種が寝ている間に、アザラシの皮をかぶせて変身させていたのである。

 困惑する俺達を満足げに見つめる大妖精を捕まえて、囚われの身に落とすことにしたのだ。


「背中のね、このあたりを指で撫でれば脱がせられるから」


 ミスティアがアザラシの背中に指を立てて、すいーっと指で撫でる。分厚い毛皮が、まるで切り分けられたようにぱかりと割れていく。


「お゛っ、お゛ぅっ……おおお……に、人間に戻れた……」


 ぬるりと、なんか湿ってる千種がアザラシの中から現れた。


「お風呂入ってきなさい」


「はーい……ゔえ゛っ」


 ミスティアに言われて、素直に露天風呂へと向かう千種だった。

 なんかアザラシ残ってないか?


「サイネリアは、しばらく捕まっていてもらうか」


「妖精のお茶目ないたずらを咎めると、不幸になりますよマスター!」


「人をアザラシに変えるのは、お茶目越えてると思う」


「隙だらけでしたので、つい」


 つい、じゃないんだよ。


「このまま吊るしておきましょ」


「そうだな」


 妖精に厳しいミスティアに、今日ばかりは同意した。





 家の前で謎の女性が跪いているのは、妖精の意趣返しなのかとちょっと思った。

 思い切り跪いていて、ついでにちょっと発光していた。

 それは天使だった。何かのたとえではなく、見た目が。

 綺麗な女性だが、背中に大きな翼がある。鳥のように大きく、羽毛を備えたものが。しかも二対四枚。

 そして頭の上に、不思議な輝きのある輪が浮いていた。天使の輪。そうとしか言いようのないものが。

 そんな人が家の前で跪いていて、目を閉じて祈りを捧げている。

 ちょっと怖かった。


「あの?」


 声を掛けると、すっと目を開いた。銀色の瞳が、俺を見つめる。


「これは失礼しました。あまりに神々しいので、つい祈りを捧げておりました」


「なるほど」


 ふさわしい相づちが思い浮かばず、とりあえずうなずいておく。

 そういうこともあるよね。あるんだろうか。


「この地を治める神璽レガリアとお見受けいたします」


「あ、はい。そうなりました。桧室総次郎です」


わたくしは天使族にして教皇代行の席を担う神の信徒、アスラフィエルと申します」


 跪いたまま、うなだれるように頭を下げてくる。

 なんだろう、勧誘の人だろうか?


「神祖の女神アナ様に遣わされた御方に、直に相見えなければと馳せ参じました」


 女神アナ様。俺をこの世界に送り出してくれた、あの女神様の名前。

 俺からではなく異世界人の口からその名が呼ばれるのは、初めてじゃないだろうか。


「アナ様を、知ってるのか?」


「もちろんです。このアスラフィエル、神璽レガリアのお手伝いをさせていただきたく思います」


「手伝いって?」


 なんのことだろう。


「はっきりと言葉にして祈誓せよというのですね、分かりました」


 そういうことではないけれど。

 アスラフィエルは、顔を上げて俺を見た。


「癒やしと浄めの女神アナ様の復活に、ぜひともこのアスラフィエルをお使いください!」


「復活……」


 女神様の。


「復活!?」


 思わず、叫び返してしまった。



 女神アナ様。彼女は、最期の力を使い切って俺をこの異世界に送り出してくれた。

 神様であるにもかかわらず、この世界の誰もアナ様を知らなかった。

 彼女は忘れ去られた女神様であり、その姿も想いも、世界から消えていた。


 しかし、ミコトの郷には女神が最後に産み落とした神璽レガリアがいる。

 ならば、想いは受け継がれている。

 アスラフィエルはそう語った。


「癒やしと浄めの女神アナ様の御恩が、この世にまだある。であれば、その神意を尊重し、教えを守るのは天使族の務めです」


 生真面目そうなアスラフィエルは、とても生真面目な顔でそう言った。家に招き入れて、座ってお茶を出して説明してもらっている。

 そうなんだ。


「まあつまり、そういう性癖の種族なのよね。天使族って」


 新しい種族が来たら、ミスティアに聞くのが一番だ。

 そう思って同席してもらったハイエルフから、なんか聞かされたのとかけ離れた言葉が飛び出た。


「……性癖って、ミスティア」


「はしたなかったかしら。ごめんね」


 笑ってごまかすミスティアである。

 うーん、マイナス五点の失言も笑顔だけで一万点取って生きてきたと思うエルフ族は。


「天使族は清廉に従順に神々に仕える、美しい種族です」


 と自分で言うアスラフィエル。頭上に光る光輪も背中にある翼も、たしかに美しい。


「竜族に匹敵するほど大昔からいる長寿の種族で、自分たちを神々の使いって自負してるのよ。〈代行者〉アスラフィエルって言ったら、教会で最高権力の『教皇代行権限』を持つ天使族よ」


 ミスティアがそんな解説をしてくれる。


「つまり、偉い人なのか? アスラフィエル……さん?」


「女神アナ様が手ずから祝福して産み落とし、神器〈クラフトギア〉を肉体に宿したほどの神璽レガリアたるソウジロウ様が、そのように呼ばわれることはありません。どうぞ、ラフィとでも気軽にお呼びつけください」


「あ、はい」


 勢いに負けてうなずかされる。


教皇最高権力者に俗世の仕事は投げつつ、たまに代行とか言って独断で教皇と同等の権力を発動する陰の支配者よ」


 ミスティアの説明で陰の支配者フィクサーみたいなイメージになっていくんだけど、これ大丈夫だろうか。


「下々は下世話な噂をすることを、好むものですから。神璽レガリアたるソウジロウ様ならば、神々に愛されし天使を誤解することはないと分かっております」


 エルフ族を下々って呼ぶ人は、初めて会ったのだが。


「話を本題に移しましょう。このたびはこのアスラフィエル、神璽レガリアたるソウジロウ様に、民情を謹奏いたしたく存じます」


「もうちょっと……いや、もっと気さくに話してもらっていいですか」


 ちょっと何言ってるか分からない。


「神意とあらば。──ソウジロウ様に、ぜひお願いがあります」


「はい」


「ブラウンウォルスにて神殿を建立したいのです。その神殿へ、ソウジロウ様が下賜された女神の像を祀りたいと考えております」


「……あ、もしかして、セデクさんに贈った女神像のこと?」


「そのとおりです」


 あれか。

 調子に乗ってめちゃめちゃ早く仕上げてしまったのだが、セデクさんたちはお披露目の予定を立てるのに困っていたはず。

 つまり、まだ正式な置き場所が無かったのだ。


「それは俺じゃなくて、セデクさんに聞いたほうが」


「そちらはすでに快諾させ──してもらいました。ですので、ソウジロウ様さえお許しいただければ、と」


「そうなんだ」


 手回し済みらしい。

 なんかつい最近こちらを知った感じなのに、お披露目をしていない女神像をなぜ知っているんだろうの謎。


 まあそのへんは置いておいても、最初に聞いたことが最重要だ。


「……女神アナ様は、復活するのか?」


 そこである。

 アスラフィエルは、銀の瞳を俺に向けてうなずいた。


「私は、そう信じております」


「えっと……たとえば、そういう魔法とかがあるの?」


 具体的なところをつっこむと、ラフィはにっこり笑った。


「神の奇跡は、神官によりもたらされます。魔法では神に何かを及ぼすなど、無理なこと。しかし、神にまで届く奇跡となれば、もはや神話ほども遡らなければダメです」


 ふーむ、とても回りくどいがつまり、


「黄泉返りの神話がある、ってことか」


 一度死んだ神が復活する話は、確かに存在する。古事記にもそう書いてある。

 正直に言えば、ちょっと落胆した。まるで雲を掴むような話だ。

 しかし、


「祈りと信仰の奇跡を起こしたいのね。神々の慈悲と祝福が届くなら、人からも感謝と喜びを届けられるから」


 すんなりとエルフがうなずいたので、ちょっと認識を改める。

 雲を掴むような話だが──逆を言えば、この世界でならば雲を掴める人もいそうなものじゃないか?

 あるのかもしれない。


「神話の時代の話ですから、あるいは叶うやもしれません。もちろん、叶わないかもしれませんが──」


「いいですよ」


 俺はうなずいた。


「やるだけの価値はある。女神様のことを知らない人に、伝えられるだけでも、嬉しい」


 この世界に送り出して、励ましてくれた優しい女神アナ様。

 もしかしたら、でもいい。

 あの女神様に報いることがしたい。それは紛れもなく、俺の願いだった。


「良かったわね、ソウジロウ」


 ミスティアは、俺の願いを察したらしい。

 ぽんぽん、と労うように腕を叩いてくれる。


「ああ、良かった」


 うなずいた。そして、天使と目を合わせる。


「よろしく、ラフィ。俺にできることがあったら、ぜひ言ってくれ」


「ありがとうございます、ソウジロウ様!」


 女神様の復活を祈る。それは紛れもなく本心からだ。


「それにしても、この地に妖精がいて良かったです」


 天使がそんなことを言うので、俺は不思議に思って聞き返す。


「なんで?」


「妖精は祈りを啓きますから」


 それで分かるだろう、という顔のラフィ。


「あの妖精が、なにかするのか?」


 重ねて尋ねると、天使はうーんと難しい顔をした。


「平たく言えば……祈りが届きやすくなる、とでも。彼女ら妖精族というのは、可能性の世界で羽ばたく小さな巨人ですので」


「そうなんだ」


 後半はなんもわからなかったが、とりあえず妖精は良いものらしい。

 ……うーん、ぞんざいにしたのはまずかっただろうか。


「ちょっと失礼」


 妖精を解放してこよう。





「ウ゛エ゛エ゛エ゛エ゛エ゛ッ!」


「サイネリア!!」


「汎用人型脱走兵樹ツリカゴリオン! 発進!!」


 アザラシになって温泉を泳ぐ千種、妖精が入った鳥かごを頭部にした走る木人形。それを追うマツカゼとミスティア。

 朝の悪夢が再びどころかパワーアップしていた。


「千種、なんでもう一回アザラシになってるんだ」


 セーラー服の魔法使いを人間に戻すが、さすがにこの時間に二度寝したとは考えにくい。


「アザラシになると泳げるし、食べ物と寝ること以外の考えが消えるので……」


 自分からなりにいってるぞこれ。


「野生に帰るんじゃない」


 自ら人間性を放棄しようとしていた。脱がせたアザラシの皮は、どこかに封印した方が良いんじゃないだろうか。


「あの妖精、バジリスクの巣に幽閉してやる」


 今度は鳥かごを動かないように『固定』しよう。

 妖精は、甘やかすとろくなことをしなさそうだ。

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