第119話 人を寄せる店

 ブラウンウォルス。神樹の森に最も近い人間の街。

 そこでは少し、変わった出来事が起きている。

 若者が、揚げ物の屋台を出しているのだ。


「はいはい、お待たせっす! お兄さんは二つだな。お姉さん、三つだったね。子どもの分は、ちょっと盛っておくよ」


 客が突き出してくる手に、次々と手際良くポテトと魚のフライを渡していく。

 厳つい体つきで、険しい目つき。しかし、きっちりと整えられた髪型は崩しておらず、白い歯を見せて笑うと愛嬌すらある。

 それがカルバート。参事会会長の商会長ドラロの息子である。


「こんな暑いのに、よく間違えないな……」


 その横でひたすら魚とポテトを揚げ続けるのが、領主の息子であり次代の子爵令息セヴリアス。

 熱い鍋とずっと向き合っているせいで流れ出る汗を、額に巻いた手ぬぐいで落ちないようにしている。

 どこか気の抜けたような顔に見えるのは生まれつきで、屋台で汗だくになっていても、柔らかい印象があった。


 次代の領主であり、子爵令息のセヴリアス。

 屋台の売り子としては、両者ともなかなか様になっていた。なっていていいのかは、関係者父親などによれば議論の余地があるとしても。


「魚もタルタルも昼までだからな。見習い小僧みたいに、いちいち間違えちゃいられねえ。時間の浪費だぜ。そっちもどんどん揚げろどんどん」


「粉挽き小屋の歯車になった気分だ……」


 二人はフィッシュ&チップスの屋台を開いていた。

 最初の評価は、あまり芳しくはなかった。美味いけどその値段だと、高すぎて買えない。みたいなものだった。

 茹でただけの豆や肉のスープは、二人の屋台の物よりずっと安い。それでも続けるうちに、総次郎から直接の教えを受けられる機会を得た。

 魚の下拵から手間がかかるようになり、その味は格段に向上する。

 そんな中で、一つだけ問題が浮上した。手間が増えたことで、値段を上げるしかなくなったのである。


 カルバートは、すでに商人として仕事をしている。ここで値付けを不当に低くするのは、将来の破産を招くことだ。そう直感した。

 正当な値段で売る。そう決めて屋台を続けた。

『しばらく赤字かな』

『仕方ねえよ。期限だけ決めておこうぜ』

 セヴリアスとカルバートは、失敗をする覚悟をした。


 そして、フィッシュ&チップスは──売れた。値段を上げて、逆に売れるようになった。


 もちろん、味が良くなったことが第一にある。”美味いけど”という感想が”すごく美味い”だけになっていた。その理由として『森のあるじ様が手ずから二人に教えたもの』という経緯が、いつの間にか広められた。

 そして、味と値段がそれを裏付けていたことが、なにより評判を呼んだ。

 二人の予想を裏切って、屋台の客足はものすごく増えた。


「あー、今あるのは全部出た! 次が揚がるまで待っててくれ!」


「なんだ、しょうがねえな」「もっとたくさん用意してくれよ」「おい、ここいいか」


 集まっていた客たちが、やいやい言いながらもどことなく嬉しそうに待ちの姿勢になる。

 二人が屋台を出しているのは市を開く広場のすぐ横の路地だが、屋台の横には茶店ができていた。

 椅子は無く、大人が立ったまま囲む程度の机が四つほど置いてあるだけの別の露店だ。粗末で安いお茶を出すだけの露店が、待ち合い客を取り込んで大盛況である。

 セヴリアスたちの屋台の客入りを見て、目ざとい女商人がそこで待ち合い席のような商売を始めたのだ。


「ボロい商売しやがってまったく」


 眉を寄せるカルバートに、セヴリアスは笑った。


「本職の商人は、さすがだよなー」


「オレがやりたかったぜ」


「こっちだけで手一杯だろー?」


 場所代を払える客しか入らないし、客当たりの単価は安い。が、人が集まる茶屋には、それだけで価値がある。

 便乗商法にしては、うまい汁を吸えているとカルバートは見ていた。


「活気が良いのは、領主の身内としては歓迎だけどなぁ」


「料理人さえ雇えれば、他もやれる」


「見つかりそう?」


「探してるヒマがねえ! 時間が欲しくて雇いたいのに、雇う相手を探す時間がねえのはなんなんだ!?」


 次の魚につける衣を準備しながら、カルバートは嘆いていた。

 セヴリアスは肩をすくめる。募集はしてあるから、待つしかない。


 ふと、鍋の火加減を見ていたセヴリアスは、顔を上げる。

 待っている客の顔ぶれを横目で見て、


「……できれば、強い人が欲しいね」


 変に気の抜けた言葉に、カルバートは首を傾げる。


「料理人に、強さ関係あるか?」


「無いけど。まあ、市場の見回り当番には、安くしてやらないとなー」


 セヴリアスが言っているのは、衛兵のことである。


「ああ、大通りでもないのに、人がこんだけいるとな」


 カルバートは納得したようにうなずいた。大勢が集まる場所では、トラブルもある。


「行商人もいっぱいいるしな」


 セヴリアスは、へらりと笑うだけだった。





訛り・・が出てるわよ」


「おっと。こりゃ恥ずかしい」


 露店の人だかりを壁にして屋台を盗み見る男女が、人には聞こえない声量で話し合う。

 はた目には、ただの行商人くらいにしか見えない。


「こんな辺境だからって、領主の息子が屋台をするとかどうなってんだ?」


「神意を騙るほどの恐れ知らずなら、常識外れなこともするわ」


「いや、額に汗水垂らす方向ではやらねえんじゃねえか」


「あるいは彼らの”後ろ”がそう思わせたいのかも、ということよ。港にあった腕は本物だったもの」


「”組合”が出張るほど、ってのはアレ見りゃうなずくしかねえ。だが、こんなに美味いもん作らせる意味は?」


 男が口にフライドポテトを頬張りつつ言う。


「判断は”荷主”の役目。私達は、見聞きした事実を伝えるだけよ」


「そうだな。ほらよ、美味いぜこれ」


 フライを差し出す男に、女は恨みがましい顔で睨んだ。


「やめて。気が散る」


「あいつらの匂いは覚えたんだ。いつでも殺せる」


 屋台の青年たちを見て言った男に、女は指を向ける。


「”訛り”」


「いつでも”注文”できる。おお美味え。日増しに腕を上げてるぜ、あいつら」


 気楽な様子で大口を開けて揚げ物にかぶりつく男。指についたタルタルソースまで舐め取る姿に、女はため息を吐いた。


「……その食べ物で、匂いが上書きされてなきゃいいけど」


「さて、そりゃあ……ん、この匂い?」


 男が不意に大通りの方に目を遠く向けた。女もそれに倣う。

 そちらにいたのは、遠目にも分かるほど洒脱でスタイルの良い美女。


「あいつは初めて知る匂いだな」


「……ダークエルフ。本物よ」


 イルェリーだった。





「盛況のようね」


 イルェリーが微笑むと、青年二人は佇まいを直して挨拶した。


「ありがとうございます!」


「おかげさまで」


 そんな二人に、イルェリーは手をひらひら横に振る。


「あら、よしてよ。私は貴方達に、なんにもしてないもの。今日はほら、預かり物を届けに来ただけだから」


 肩から提げた布で覆った絵画のような包みを下ろして、二人の青年に引き渡す。


「これは、まさか郷長から?」


「ええ、ソウジロウから」


「うわあ、本当に作ってくれたんだ!」


「感謝ー」


 二人は喜んで飛び上がり、板を覆う布をていねいに素早く取り払った。


「「おおお……!」」


 それは、可愛らしいリボンを巻いた子どもの狼が描かれたレリーフだった。


「めちゃめちゃ良いっす!」


「最高です」


 そんな二人の反応に、イルェリーは微笑みを浮かべる。


「ソウジロウに伝えておくわ」


 少し会話を交わしてから、手早く立ち去ったダークエルフ。

 入れ替わりで、遠慮していた客たちがわっと押し寄せる。


「なんだいそれ」「おおい、見せてくれ」「すっげえなあ」

「森のあるじ様が彫ってくれた、うちの看板だよ! これからこいつが目印だ! おい勝手に触んな!」


 カルバートはやいやい言いながらも、客に見せびらかしている。

 明日からも大盛況になる、と確信しながら。


「……あれ、消えたな」


 セヴリアスは、ぼそりとそんなことをつぶやいていた。





 全てを盗み見ていた二人は、素早く宿に帰って相談した。

 ばさりと絨毯を広げて、魔石を中央に落とす。絨毯に仕込まれた魔法陣が起動して、部屋の外には声も気配も届かないようにした。

 そして、


「ちょっと!! あの看板の神気はなんなのいったい!?」


「いやぶったまげたぜ……」


 二人はそれぞれ冷や汗をかいていた。


「新たな神がいると吹聴してる闇魔法使いが、神樹の森に住んで領主を手籠めにして、信奉者を増やそうとしてるんじゃなかったの?」


「教会──おっと”組合”がオレらを派遣したんだし、そのはずだったけどなぁ。ありゃぁ、オレの鼻でも本物にしか思えねえ」


「思えないじゃなくて、本物よ。この私が、神気の宿る神代樹を見間違えるわけないわ」


「訛りは?」


「今はいいでしょ別に」


 大きなため息を吐く女。


「神意を騙る者の調査と、可能なら抹殺が任務。でも、騙ってない・・・・・場合は、どうすればいいのよ……」


「店長にありのまま報告するしか、ねえんじゃねえか」


「投げっぱなしにしろっていうの?」


 睨む女に、男は苦笑いする。


「オレたちが勝手にあれこれして、店長が怒ったらそれこそやばいだろ」


「それは──」


 女は反論しようと口を開いて、


「…………」


「それは?」


「〈代行〉に、ありのまま報告するしかないわね」


「だろ」


 会議とは、実のところ始まる前に結論が出ているものだ。

 宿に帰ってくる道すがら、女もうすうすそうなんじゃないかと思っていた。


「教会最高権力者と同じ権威を持つ〈代行〉に、現場の混乱を丸投げする日が来るとはね……」


「またあの店に通えそうだぜ」


 二人の諜報員は、目を閉じて別々の祈りを神に捧げていた。

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