第117話 野菜のごちゃ混ぜ煮込み汁(とある国はそれを万能ソースと呼んだ)

 ということで、俺は大きな鍋とたくさんの材料を用意した。

 玉ねぎ、にんじん、干しブドウ、にんにく、トマト、セロリの葉、葉生姜、妖精のキノコ(足が生えてた)、煮干し、塩、砂糖、酢、オールスパイス、タイム、セージ、黒胡椒、ローリエ、唐辛子。

 野菜は角切りに、スパイスは粉末にしておく。鍋に水と全ての材料を入れて、煮る。


「このまま、ちょっと煮込んでおいて。アクを取るとスパイスも一緒に取っちゃうから、そのままにしていいから」


「はい、あるじ様」


 ヒナと交代する。

 ちょっと暑かったので、水を飲んで一服しておく。


「え? ああっ、そんな!?」


「な、なんですか?」


 なぜか厨房に現れたイルェリーが、ヒナが煮込んでいる鍋を見て悲鳴を上げた。

 イルェリーはヒナの腕を掴み、顔を見上げて目を合わせる。 


「……ここに来て私は、鬼族と初めて会ったんだけれど」


 真摯な声色で、そんなことを語る。


「はい」


「ヒナのことを本当に尊敬していたわ。毎日毎日、たくさんの違う料理を作るなんて、狂気の沙汰みたいなことをずっと続けてて」


 そこまで言うほどのことだろうか。


「それなのに、今日はついにこんなことを……悩みがあるなら、聞くわよ。いいえ、解決に全力を尽くすわ。なにが不満なの? ソウジロウに媚薬盛る?」


「い、いえいえ。そんなそんな」


「盛るなイルェリー。それでなにが解決するんだ」


 イルェリー相手に恐縮しきっているヒナの代わりに、俺は横から口を挟んだ。

 ダークエルフは、真顔のままちょっと考えて。


「人手不足とか? 子どもを生んで手伝わせるの」


「気が長すぎる解消法だろそれ」


「たった十年くらいじゃない。って、いけない。ハイエルフみたいなことを言っちゃったわ」


「それ以前に、なにもかも間違ってる。その鍋は、俺がヒナに頼んでるやつだよ」


 その瞬間、俺の肩が力強く掴まれた。


「どうしたのよソウジロウ!? 口に入るものに変態的にこだわる貴方が!! ああもう、サウナに行く? ミスティアにはバレないようにしてあげるから!」


 そんな風に思ってたのか、こら。


「なんでそんなに、深刻そうな顔してるんだ?」


「だってほら、それ」


 と、鍋を指差すイルェリー。


「これですか?」


「今日は、それが夕飯なんでしょう?」


 俺は思わず眉をひそめた。


「いや、そんなわけないよ」


「……本当に?」


「見れば分かるだろう?」


 鍋の中身は、味の強い調味料やハーブが持つ強い匂いのする、香辛料と野菜から染み出た赤茶色の汁物になっている。

 食べなくても、そのまま食べたら不味いのは分かる。


「あー、焦ったわ。もう、びっくりさせないで」


 イルェリーは鍋ではなく俺の顔を見て、ほっと胸を撫で下ろした。


「あはは。分かりますよぅ」


「だよな」


 ヒナが同意してくれる。


「こういう感じで、なんでも煮込めば食べられるみたいなの、多いですよね」


 あれ、俺の方への同意じゃない?


「きつい香辛料で、腐ってるのも誤魔化してあるのよね」


 あるある、みたいに笑い合うヒナとイルェリーだった。

 まさかの俺が異端の方だった。切ない。


「こんな見るからに不味そうなのが、夕食に出ることがあるのか……」


 この異世界怖い。


「よく考えたら、ソウジロウが不味いものを作るわけがないわよね。これは何になるの?」


 イルェリーが改めて訊いてくる。


「かつて万能ソースと呼ばれていたものだよ。『ウスターソース』と『中濃ソース』っていう、調味料になるんだ」





 野菜が柔らかくなるまで煮たら、煮汁を濾す。

 濾した汁を鍋に戻して、とろみがつくまで煮詰めれば、一つは完成だ。


「これがウスターソース」


 そして、ソース作りには続きがある。

 いったん濾して残った、野菜やその他の材料。唐辛子やローリエを取り除き、これをすり鉢ですり潰していく。すり潰しながらウスターソースを少し入れて、ピューレ状にする。

 潰したものを鍋に入れて、砂糖を加えてひと煮立ちさせれば、もう一つが完成だ。


「そしてこれが、中濃ソースだ」


「酸味がありそうですね。油っぽいものとか、相性が良いかも……」


 ヒナが瓶詰めされた二つのソースの匂いを嗅いでいる。


「まさにそのとおり。揚げ物にかけると美味しいよ」


 牛頭鬼のヒナは、味覚も嗅覚も人並み以上だ。最近は料理にも慣れてきていて、初めて見るものにもセンスの良い組み合わせを見つけてる。


「数日寝かせると、味が丸くなるはずだ。冷蔵庫に入れておいて」


「はい」


 この異世界には、とっくに冷蔵庫がある。といっても、冷気を出す魔導具を入れた箱で、魔石を使う高級品らしい。

 らしい、というのはラスリューに冷える魔導具をもらって、真空断熱構造をした業務用くらいの冷蔵庫箱を、自分で作ったから。実感が湧かない。


 でも、冬の間に保管した氷で氷室を作っていた魔法無しの世界よりは、だいぶ便利で進んだ技術のように思える。

 ファンタジー世界は、あちこちでチグハグだ。


 ソースをしまったヒナに、俺は一皿差し出す。


「完成は数日後だけど、一足先にこっちで味見しよう」


 兎もも肉のソース煮込みだ。

 鍋肌に残ったソースを利用して作ったまかないだ。


「いただきます」


「いただきます」


 イルェリーがしれっと参加している。

 あの後すぐ帰ったのに、このタイミングで戻ってくるなんて。


「へえ、すごいわね。あんな茶色のドロドロだったのに、美味しい」


「お、良かった。美味しく煮えた」


 イルェリーと俺が肉を口に運んで、頬を緩めていると、


「脂の匂いが野菜や香辛料で引き立てられて、良い香り。噛むと思ったより柔らかくなってます。これは、ソースの中のお酢のおかげでしょうか。肉が酸味で引き立てられていて、食べやすいです」


「すごい分析」


「すごい語る」


 ヒナは少しずつ肉を裂いて口に運び、熱意のこもった目でもも肉を観察しながら食べていた。


「私は、間違えていたわね」


「なにを?」


「ソウジロウだけでは、なかったのね……」


「そんな悲しげな目で、俺たちを見ないでくれ」


 ダークエルフの怜悧な眼尻が、つつつと細められている。

 ヒナが慌てて立ち上がり、大きな手で俺の手を包みこんだ。


「だ、大丈夫ですよあるじ様っ。私は、あのっ、幸せですから!」


「そう言ってくれると助かるよ。ヒナを頼りにしてる」


 料理仲間であり、毎日の食事を用意してくれるヒナの腕前は、もはや俺も舌を巻くほどだ。


「はいっ、お任せくださいっ」


 ヒナは嬉しげにそう答えてくれた。


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