第115話 暮らしの中で
「あら、ソウジロウ」
「ミスティア。こんな時間に入るのは、珍しいじゃないか」
露天風呂で顔をバシャバシャと洗っていると、ミスティアが現れた。
「なんでそんなびっくりしてるの?」
「そうかな」
鋭い。
ミスティアの指摘したとおり、俺は動揺している。
イルェリーとのやり取りの直後だ。
それも仕方ないと思う。
まさか、あんな関係になるとは思っていなかった。成り行きとはいえ。
事が済んでから、俺は落ち着くために風呂で考え事でもしようと思った。
そこでまさか、ミスティアと鉢合わせるとは。
かけ流し風呂の利点だったはずだ。いつでも、風呂に入れるのは。
それがかえって仇となってしまった。
「ふーん……?」
「どうしたんだ?」
「怪しい」
めちゃくちゃストレートに言われて、心臓が縮む。
浴槽に小さく座る俺の隣に、ミスティアが堂々と陣取ってきた。
近い。こわい。
「あのね、私はさっき、ストームグリフィンにお礼参りしてきたの。だって、あれに襲われた隙に弓を失ったんですから」
話が変わってくれた。助かった。
どうやら、あの鳥の化け物を狩りに行ってきたらしい。
「飛んでたところを、いきなり撃ち落としたわ」
そして、前回と違って勝負にすらなっていなかったようだ。なんてことだ。
「弓一つで、そんなに違うのか」
「弓の性能もあるかな。なにしろ霊樹と神代樹を削って、神器で丹念に合わせた逸品ですもの」
作った物を褒められるのは嬉しいことだ。
顔が緩む。
「でも、ちょっと可哀想だな。その魔獣は同族とはいえ、襲ったのとは別の魔獣なのに」
「そうよね。同族でも、別人は別人よね」
「そうだな」
「だからね、エルフ同士でどうしても仲良くなる必要は、無いの。ソウジロウが何を隠してるのか知らないけど、仲違いする理由になっても恨まないから」
そこまで見抜かれるんだ。
ついでに言うと、話はまったく変わってなかったらしい。
「それでも、私が相手だと、話せない感じなの?」
そしてどうやら、ミスティアはむしろ俺の心配をしているらしい。
「ミスティア……」
葛藤が生まれる。
話すべきか、話さざるべきか。
イルェリーとのことを。
話してしまえば、俺は楽になる。
しかし、ミスティアとイルェリーの間には、溝ができてしまうかもしれない。
ひょっとしたら、俺との間にも、である。
軽率な選択をしたことを、後悔した。
このまま話さなければ、ミスティアは知らないままだ。
俺の態度に、少し嫌な思いをするかもしれない。
でも、これまでどおりに接してくれるだろう。ミスティアは賢く、そして優しいから。
話せないことがある。それは分かってくれるだろう。
でも、そうしてしまえば、重大な隠し事をしたまま、ミスティアと暮らしていくことになる。
俺は、
「……落ち着いて聞いてほしい。ミスティア」
「わかったわ」
覚悟を決めた。
話してしまえば、これまでどおりのままでいてくれるか、分からない。
でも、ミスティアに誠実であろうと思った。
イルェリーのことも、もしも喧嘩が起きたら、どうにかする。
隠したまま事なかれと祈るよりも、それを試練にして乗り越えてでも、誠実な付き合い方をする。
きっと、ミスティアはそうしてほしいと思っているはずだ。
俺の覚悟が伝わったのか、ミスティアの美しい顔が、真剣味を帯びて近づいてくる。
告げる。
「……イルェリーは、スパイだったんだ」
「っ……!」
ミスティアが息を呑んだ。いや違う、
続きがある。
「ミスティアの、お母さんの」
「…………………………と゜っ????」
なんか聞いたことない声が出たな。
無理もない。
「……………………
長い沈黙を経て、じんわりと理解したミスティア。
「らしい。うん。なんというか……」
これはとても言いづらい。裸で向き合ってる、この状況的にも。
「人間の男を拾って二人で暮らし始めたから、見てきて欲しいって、言われたって……」
「は、あ、あああああ──!?」
ミスティアの絶叫は、森の木々を震わせた。
イルェリーが語ったのは、こういうことだった。
「ミスティアがどんな生活をしているのか、見てきてほしいと頼まれたのよ。精霊魔法で少し、やりとりしただけだけれど」
「だからあんなに、ミスティアのことを知りたがったのか……」
近況報告をするのに、ミスティアの詳細情報を添えたかったのだ。
納得の理由だが、
「なんで、そんなことを?」
「あのミスティアが、あんなにもこだわっていた森の中に、人間を招き入れて、一緒に暮らしているからよ」
イルェリーの細い指が、上を差して下を差して俺を差してもう一度俺を差した。
「……それは、つまり」
「男を拾って何してるのか、知りたかったの。ミスティアのお母さんが」
俺は思わず、天を仰いで目をきつく閉じた。
ああ、そういうのかぁ。
「……いろいろと、飛躍してるのは置いておいても」
つまりあれだ。身辺調査だ。付き合ってる男がどんなやつなのか、ものすごく詳細に周りに聞き込むやつ。
なんだろうねあれ。
ただ、
「それなら調べるなら、俺の方なのでは?」
「エルフは独立独歩なのよ。人間ほどには、付き合う相手を詮索しないわ」
「じゃあこれは?」
「私にお願いしたのは、ミスティアの直系の母よ。悪さしてないか、くらいは調べるわよ」
それはつまり、心配されてたのは俺の方だろうか。
「それに、貴方のことは、ミスティアもチグサも、いちいち聞かなくても話してくれたわ」
いや、俺については聞き込み済みなのか。
あの二人、いったいなにを話したんだろう。
「事情は分かった」
「そう。良かった」
「でも一つ言っていいか?」
「どうぞ」
「母親がそんな探りを入れるのは、良い思いされないのでは……?」
「そう。だから、スパイを送ったんでしょうね?」
片眉を上げて俺を見るイルェリー。分かってるよ。
「これで貴方も、共犯者だけれど」
分かってる。そうなっちゃうよな。
ああ、厄介なことを聞いてしまった。
千種が正しかったかもしれない。
安易に本人確認なんてするものじゃない。
このことを隠してても話しても、ミスティアは怒るに決まってる。
どちらかを選択しなければならない。
「聞きたくなかった……」
「聞き出したのは、貴方よ」
イルェリーはクールに告げる。それはそう。
「……分かったよ。それは分かった。もういい」
そのことは、後で風呂にでも沈みながら考えよう。
「でも、それならミスティアとは、誤解を解いたら仲良くしてくれ。気にしてたよ」
俺が解決したいのは、むしろそこなのだ。
解決不可能なことは置いておいて、そっちについて話そう。
「……私も、仲良くしたいと、思ってるわ」
「良いじゃないか」
「けれど……どうやって話しかけようかなって、思ってしまって。三十年ぶりだし。だから、話を集めてたのよ」
ハイエルフと離れたダークエルフの時間感覚が、悪い方に作用してたのか。
「魔王国でも、他の魔族はエルフには一線引いてたから、久しぶりに会えるって思ったら、一瞬で仕事やめてこっち来ちゃったのよね。勢い任せすぎて、来てからどうすればいいか分からなかったわ」
このダークエルフ、意外とただの寂しがり屋なのでは?
「なるほど。……うーん、まあ、それも了解。納得がいったよ」
同族だからとほったらかしてないで、俺ももっと協力してあげよう。
そういうことだなこれ。エルフ同士とか言ってないで、ちゃんと話を聞いたり場を設けたりしてあげるべきだった。
また一緒に酒盛りでもしようかな。
「そう。良かった」
「でも、気になることが一つだけ」
「なに?」
「ミスティアのお母さんは、なんでそんなことを知ってるんだ?」
俺の質問に、イルェリーは静かに言った。
「妖精のお告げがあったって、言っていたわ」
「サイネリア! 出てきなさい!」
怒りに満ちたミスティアの声が、森の中にこだまする。
「おや、今回は本気ですね。実在を希釈した優秀な妖精を、精霊魔法まで使って実体に近づけて追ってくるとは」
サイネリアが、ドリュアデスの枝の上で仁王立ちしていた。
「貴女ねえ、やっていいことと悪いことがあるでしょう!」
「優秀な妖精には、やって楽しいこととすごく楽しいことしかありません」
なるほど、楽しくないことは存在すら否定するんだな。
「捕まえて虫かごに入れて飛竜のオモチャにしてあげるわ!」
けっこう過激なことを言うミスティア。
「ふっ──優秀な妖精に、追いつけるとでもお思いですか?」
「今日は本気よ?」
エルフの笑顔が怖い。美人なので凄みがすごい。
「こちらもです」
ピュィーッ! とサイネリアが指笛を吹いた。
その瞬間、たくさんのキノコが走ってきて、妖精のもとに現れた。
キノコが、走ってきた。
フェレットみたいな形をしていて、頭にはキノコの傘がある。
キノコの、フェレット……?
「ハイヨー!」
サイネリアがキノコに跨がり、凄まじいスピードで走り去った。
フェレット集団は、ウサギより速く遠ざかっていく。ちなみに、ウサギは馬より足が速かったはず。
「逃がさない!」
それに追いつけそうなほど物凄い走りで、ミスティアが後を追っていった。
「……すごいな、アレ」
「すごいですねぇ」
「じゃあ、千種は俺と一緒に畑に行こうな」
「な、なんでですかぁ~」
千種には、暇をさせてはいけないことが分かったからだよ。
「ソウジロウ、ここの名前は、決まったの? 手紙を出したいのだけれど、なんて呼べばいいかしら」
イルェリーが訊ねてくる。
俺はうなずいて答えた。
「『ミコトの
「みこと……み、み……あ!
判断が早い。千種はもっと違うところで、判断が早くなってほしい。
女神様に送り出されて、俺はここで家を作った。そして、すぐに女神様の像を彫っていた。自然と。
神前で祈り、感謝を捧げながら、営みを続けていくこと。
それはつまり、神事みたいなものだ。
あと、
「キャンプ場みたいな名前だ。わくわくするだろ?」
「しませんけど」
「あれ……?」
こっちはちょっと通じなかった。残念。
まあいいか。
「管理人がんばるぞ」
牧場で動物の世話をしながら、畑で自給自足して、温泉があって、癒やされる。
ここを、そんな理想郷みたいなキャンプ場にしよう。
「全部もうありますけど!?」
いずれ、ここが本当に郷であると──故郷であると思えるような、そんな生活を続けたい。
できれば、一緒に生活している人にとっても。
ミコトの郷。
そんな願いを秘めつつ、この拠点にそう名付けたのだった。
-------------------------
この小説を読んでいるということは、1月17日。
作者の誕生日やで。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます