第108話 滅びた魚

「これは珍しい……まだ生きているとは、思いませなんだ」


「そうなのか?」


 ラスリューが驚く、貴重な様子が見られた。


 俺が村に到着する寸前で釣り上げたのは、チョウザメっぽい顔つきの魚だった。


 全身真っ黒でひげがある、魚卵がかの有名な高級食材キャビアになるヤツだ。

 サイズは、実にメーター超え。十分以上は戦っていた気がする。


 なんとか釣り上げてから思ったんだが。釣り竿も糸も、頑丈すぎる。そんな耐久力に比べて、軽すぎるのだ。

 さすがは木製&ムスビ製である。


 それはともかく、これはなかなかいい手土産ができたと喜んで。ラスリューに見せびらかした。


 思いのほか反応が大きかった。


「失われたはずの魚です」


 それはつまり、絶滅危惧種。いや、絶滅した種。


「……今日の朝、本当に失った可能性が」


 釣り上げてからすぐ、締めてしまった。最後の一匹を、俺が活け締めにしてしまったかもしれない。


 どうしよう。


「私共は、これをクロワニと呼んでいました」


「見た目がそれっぽいから、なんか分かる」


 真っ黒な体をしていて、口は体の下についている。鼻先が長くて、背ビレがちょっといかつい。

 黒いワニに似てる。


「大物だったし、美味そうなやつだったから、つい下処理をして絶滅させてしまった、のか……」


 絶滅した理由、美味そう。

 悲しいことに、よくある理由なのだこれが。


「いえいえ、まだわかりません。この湖にいる。それが分かったのです。これから私が探してみます」


「種の保全のためか?」


 ラスリューは首を横に振った。


「とても役に立つ魚なのです。特に、鬼族にとっては」


 そんな会話をしたのが、朝のことだった。


「ラスリューがそれから探しに行ったけど、こいつが話題の絶滅危惧種だ」


「あっ、おお刺身にされてますけど? 絶滅?」


 ミスティアと千種が、村へやってきて俺と合流した。

 俺はラスリューの屋敷で厨房を借りて、クロワニ(チョウザ)を姿造りにした。


 舟盛りに飾り付けたかったので、舟形の器を午前中に作り、頭と尻尾を立てて刺身を置いた。


「そうだ。この姿は、この世界で最後かもしれない……」


「ちょ、ちょっとこれって、冒涜的じゃないの……?」


 ミスティアが引いていた。

 さすがに姿造りは引いちゃうか。頭がそのままあるしな。


「あっ、食べても大丈夫ですか?」


 千種が恐る恐る訊いてくる。気持ちは分かる。絶滅危惧種だもんな。


「でも、食べなくても、すでにお亡くなりだし」


「サメって、臭いって聞きますけど……」


 味の心配か。さすがだなこの子。


「チョウザメはサメじゃないぞ」


「えっ?」


 JKがきょとんとしている。よくある勘違いだ。


「名前に”サメ”ってついてるだけで、硬骨魚だし、軟骨魚のサメにはかすりもしてない」


 生き物の分類としては、かなり離れた存在だ。


「淡水魚だから、白身の淡泊な身質してるよ」


「そうだったんだ……へえー」


 説明を聞いているうちに、がぜん食べる気になってきたらしい。


 千種の目が、舟盛りに釘付けになる。


 ラスリューが帰ってこないうちに食べてしまうのは。そう思っていたが、


「いいじゃん。食べよ。いただきまーす」


 アイレスがわーいと食べ始めてしまった。


 こうなれば、千種だけを止めておくこともできない。


「……仕方ない。どうぞ」


「あっ、いただきます」


 さっそく刺身に箸を向ける千種。


「うっま! チョウザメいける! 臭みが無くて、白身らしい淡泊な味で……真鯛っぽい? うん、近い」


「う、うーん……」


 姿造りの頭を見て、手が出せないミスティアがいる。


「ミスティアは、こっちのカルパッチョとかどうぞ」


 メートル超えのチョウザメだ。もちろん、刺身以外も用意している。


「ごめんね、そうするわ」


 別の器の別の料理なら食べられるのが、人間の不思議なところだ。


 ミスティアは差し出されたカルパッチョを食べて、ようやく笑顔が戻った。


「んふー、美味しー!」


 刺身の質が良いと、カルパッチョにするだけで、高級料理店に匹敵する味ができる。

 生活の知恵である。


 うーむ、この顔を見てると、釣ったのも捌いたのも、もう報われた気分だ。


「これが最後の一匹だと思うと、とっても美味しいね!」


 アイレスがすごいこと言った。


「やばい奴だな……」


「そうかな? 美味しいよ?」


 アイレスはかわいらしく首をかしげていた。でも言ってることはかなり危ないからなそれ。


「それが最後では、ありませんでしたよ」


 と、言いながら現れた人影。ラスリューだった。

 手には水のボールみたいなものを持っている。持っているというか、手の上で水が一塊ほど浮いている。


 その中に、


「見つけました。この湖には、クロワニがまだまだ生き残っています。稚魚をたくさん捕まえましたよ」


 チョウザメの稚魚が、何匹も泳いでいた。


「パパ様おかえりー」


「すまない。子どもを止められなかった」


「いえいえ、総次郎殿に、この地では遠慮など無用ですとも」


 俺は鬼族の給仕に目顔で合図して、厨房からラスリューのために取り分けておいた分を持ってきてもらう。


 ラスリューは、ふっと水のボールを部屋の片隅に飛ばした。


 水塊は崩れたりすることもなく、そこで静止していた。これくらいの芸当は、ラスリューにとっては負担ですらないらしい。


「クロワニの稚魚を捕まえて、どうするんだ?」


 俺の隣に座るラスリューに訊いてみる。


「クロワニは、稚魚のうちは長い鼻で泥をかき分けて、その下にいる虫などを食べます」


「ふむ」


「なので、田んぼに放流しておくのですよ。そうすると、田んぼには雑草が生えなくなります」


 合鴨農法と同じだ。

 泥の中の虫を食べようとして、合鴨が田んぼの泥を攪拌しながらうろつく。


 そうすると水が濁って日光が遮られ、田んぼで雑草が育たなくなるのだ。


 米作りでは、雑草との戦いが熾烈だ。


 放っておくと、すぐに田んぼは雑草だらけになり、米に注がれるべき栄養が雑草に吸収される。


 毎日のように草むしりをしなければならないが、


「クロワニを放流するだけで、雑草が駆逐されるのです。大きくなったら別の生け簀に移して育ててやれば、肉や卵を食べられる」


 養殖魚にもなり、農薬代わりにもなる。ついでに言うと、糞が肥料にもなってくれる。

 なるほど。


「完璧な魚だな」


 チョウザメに似てるけど、正体は合鴨だったらしい。


 いずれ卵を採ったりするんだろうか。塩漬けにして瓶詰めにして、スプーンいっぱいに盛って食べてみたい。


 キャビア山盛り。夢があるな。


 卵付きが釣りたい。でも稚魚がいるってことは、もう時期じゃないよな。いずれだな。


「ねえソウジロウ、私も船に乗せてよ。これで逆転は不公平なんだから」


 ミスティアがそんなことを言い出した。


 そういえば、ミスティアより大きいのを釣ると言って、実際釣れたな。忘れてた。


「今度は、舵と帆をつけるよ」


 移動しやすい下部構造とか、安定させるための重りバラストとか、二泊三日でたくさんの改善点が見つかっている。

 改良しておこう。


「ふふ、なんと私、魔法で風を起こせます」


「おおー、偶然にも最高の人材だ」


 パチパチ、と拍手する。知ってるけど。


「エンジン役が交代だ。マツカゼ船長」


「あははっ、マツカゼが船長なの?」


 ミスティアに笑われてしまった。


「そうなんだ。湖の上で、実は──」


 俺は肩をすくめて、顛末を語り始める。


 失敗続きだった二泊三日のことを話し、いなかった間に起きたことを聞いた。


「ヒナとチグサが実験料理を……? えっ、気になる。なんで俺は食べてないの?」


「っ……! っっっ……!!」


「ああああれは言わないって! やっ、約束は!」


「あはは!」


 あちらでも面白そうなことやってた。なんてことだ。

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