第99話 領主として父として

 その日のブラウンウォルスは、森から飛竜が飛んできたせいで、いろいろと忙しくなった。


 飛んできた飛竜の背には、見覚えのあるダークエルフがいた。フリンダの友人、イルェリーだ。


 意外にもイルェリーは、かなり話が分かるエルフだ。


 フリンダという知己を伝ってドラロに話をしてくれたのもそうだし、森に入る前に話し合いをしてくれた。


 飛竜がいることは、ソウジロウが商人たちに話した。森に入る前に町に立ち寄ったイルェリーは、それを利用するかもと離してくれた。


 セデクやドラロからすれば、備える時間ができることになる。


 飛竜がこの町に来た時に備えて、馬をすべて外に出しておける程度に、余裕を作るために厩舎を準備できた。


 そして、その備えは役に立ったというわけだ。


「森のあるじに会えたわ。今日の私は、ただのお使いよ」


「それは重畳。で、あそこで飛竜を撫で回しておるのは?」


 地上に降り立ったイルェリーと、もう一人。目立たぬようにか、被衣のような布を被って地味な色合いの服を着ている。

 しかし、明らかに見慣れたものではない、異国風の出で立ちをした人物が、巨きく怖ろしい飛竜を猫でも可愛がるようにあやしている。


「あれは……誰なのか聞かないほうがいいけれど、聞きたい?」


「わかった。遠慮しておこう」


 セデクはその忠告を聞き入れて、素直に従った。

 本人らが名乗る様子を見せないのは、むしろこちらへの気遣いなのだろう。


「お使いといったな、何かを売り買いに来たか? 調理道具なら、できた分を持って行っていいと思うが」


 商会へ迎え入れてから、ドラロはそう切り出した。


「やだねえ、人間の商人は。職人に相談もせずに、物を渡す話をするんじゃないよ、まったく」


 同席しているフリンダが、そんな茶々を入れてきた。


「そちらはフリンダと相談するわ。私が預かってきたのは、農具とおもちゃよ。少なくとも、ソウジロウはそう言ってた」


「……嫌な予感しかせん」


 ソウジロウには、普通の人間が見れば常識を粉々にするようなものを作ってきては、面白おかしく言い換える悪癖がある。


ガチャコン足踏み式脱穀機と唐箕が農具。リール付きの釣り竿がおもちゃ。そう言われたわ」


「……なにをする装置だ?」


「ガチャコンは、麦の一束を十秒とかからず脱穀できるそうよ」


 ダークエルフが静かに言ったことに、ドラロは気が遠くなりかけた。


 麦穂は収穫後、穂から実を取らなければならない。脱穀作業が待っている。

 硬い地面に置いて殻竿で叩いて実を外し、十分に落ちてないものは一つずつしごき上げていく。力と時間と、根気が必要な作業だ。


 農民の仕事がとんでもなく省略される。


 それは良いが、省略された農民は喜ぶだろうか? 逆に怒りだしたりしないか?

 自分たちの仕事が奪われた、と言い出す者は必ずいる。そのような作業で人手が要らないと言われたら、それで稼いでいた者らには、他の仕事を宛てがわなければ。


 力のある者は、空いた時間で耕作地を広げる仕事でもいい。だが、細かい作業しかできない者は?


 いや待て。そもそも麦の価格はどうなる?


 影響は甚大だ。


「リール? ほう、釣り具とはまた」


「ドワーフ族なら機械は得意だから、部品と設計図を預かってるのよ」


 そう言って、イルェリーはフリンダに釣り竿を手渡した。


「こいつは面白いじゃあないかい。腕が鳴るねえ!」


 ひたすら楽しそうな妻がうらやましい。


「ここまで明け透けってことはだ。コイツを、アタシが改良したりしちまってもいい、ってことさね?」


 リールをくるくると動かしながら、その動きに頬を紅潮させて興奮するフリンダ。


 ドワーフ族の職人なら、こうした機械の動きに食いつかないわけがない。

 その目に宿った輝きは、初老の域に至った年齢を吹き飛ばして、甲冑を着た騎士を見る乙女のようですらあった。


「ソウジロウは『料理も広めれば、真似をする人がいる。けれど、そうして真似をする人の中から、才能のある人が見つかるものだし』って、言っていたわ」


「ほっといても、やる奴はやるって考えか。そりゃ分かるけど、そこで喜べるのは、大した自信さね」


 フリンダは挑戦的に笑って、部品や設計図をかぶりつきで調べ始めた。


「ソウジロウ殿は、卓見であるなぁ」


 セデクが感心した風に言った。

 そして、商人に言う。


「ドラロ、機械で畑仕事が減った者らに、露天商をやらせよう」


「儂の縄張りを荒らすでない。よりによって、農人らなどに」


 なにを言い出したんだこやつは。そんな思いを込めて商人が睨むと、領主は苦笑いした。


「それはそうだ。だからおぬしに相談しておる。屋台で、魚と芋の油茹でやら、堅焼きクッキーやら、ソウジロウ殿が見せてくれたものをどんどん売ろう」


「どうするつもりだ、それで?」


「広めるのだ。我々がするのは、ただそれだけでいい。だが、いずれ真似をする者が出る。その者こそが、我々の探し求める料理人になるのだろうよ」


 つまり、セデクはソウジロウの意図を理解し、そして自分たちに取り入れようとしている。


 それは、変革を呼び込むものだ。


 これまではソウジロウのもたらす変革に、必死で対応ばかりをしてきた。


 今までのやり方。習俗。そうしたものが崩れ去っていくのを、大慌てでやりくりしていた。


 しかし、これは別だ。


 この領主は、自ら変革を起こす手助けをしようと言っている。

 セデクの評判は良くも悪くも、貴族社会で波風を立たせることになるだろう。


「ふん、はらを決めたのか、セデク」


「息子の胃袋を掴まれてはなぁ。もはやこれまでよ」


 それはつまり、セデク・ブラウンウォルスという男は、もはや、森のあるじとその女神に信念までも捧げる覚悟を決めたということだ。


「それは、儂も同じ事情であると、分かっての言葉だろうな」


「応よ」


 つまり、付き合わせるつもりである。


 やれやれ、とドラロは天を仰いだ。


 屋台など出させない。嫌だ。参事会の大商人として、そう言えば強権的にそれを妨害できる。

 商人仲間たちは、決して文句を言わないだろう。


 だが、結論など最初から見えている。それはもちろん、セデクの目にも、明らかだろう。


 簡単だ。ドラロの結論など、その横にいるドワーフ族を見れば一目瞭然だ。そこにいる妻の、楽しそうな顔を見ればいい。

 嫌だ、と言えばそれが曇る。 


「参事会に、話は通しておく。他の地にも、料理の話を広められるように、交易船には無料で食事を提供する。屋台の人集めやらは、息子どもにやらせてしまえ」


「それはいいな。楽ができる。わはは!」


 楽な道を選んだとは、決して言えない。

 だが、こうなれば力を尽くして推し進めるまでだ。


 神にでも祈る他ない。

 祈る相手は、ソウジロウをもたらした女神で良いだろう。


「よーし、さっそく海に行くさね! ドラロ、行くよ!」


 リールの検分を終えたらしいフリンダが、釣り竿を掲げて宣言した。


「儂もか? なぜだ」


「穴蔵のドワーフに、潮風は辛くて合わないんだよ。来な!」


 フリンダが強引にドラロの手を引いていこうとする。

 イルェリーが、ぽつりとつぶやいた。


「海が怖いのね」


「そ、そんなこたぁないさね! ドワーフに怖い物なんてないよ!」


「分かった。分かったから、腕が折れそうだ」


 ドラロは余計なことを言うなとダークエルフに目顔で訴えて、妻に引っ張られていくのであった。


 それは、商人が密かに楽しむ、いつも勝ち気な妻の弱点なのだから。

 そう思いながら。

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