第91話 乙女のお仕事
味噌作り。
一般的には、味噌を仕込むのは寒くなってからだ。
しかし、他の時期でも味噌は作れるものである。難易度は上がるが。
というわけで、麹が手に入ったからには待ってなどいられない。
干した豆をラスリューがたくさん備蓄していたので、それを使う。
「大した味はありませんが、栄養はありますからね。具材としては秀でているかと」
というのが、豆の評価だった。
それはまあ、この世界の人がとりあえず具材を全て鍋に入れて煮込む、みたいなのばかり食べているせいだと思う。
そんなラスリューに、麹菌のことがあるので仕込み中は近づかないように、と言ったらショックを受けていた。
「つ、強すぎる我が身が辛い……!」
ラスリューは、なんだかゲームのラスボスのようなことを言っていた。
発酵食品系には、魔法や浄化の力を向けないようにしてくれると約束してくれた。
すまない。たぶん食べるのは平気だと思うから。
それに、清めの力が役に立たないわけじゃない。前もって容器を浄化しておけば、殺菌された綺麗な道具や手で作業ができる。
それはこのうえなく重要な要素だ。
さて、まずは豆だ。
水洗いして汚れを落とし、昼から翌朝くらいまで水に浸けておく。
完全に水を吸っているのが確認できたら、豆を煮る。大鍋で三~四時間くらい。
煮ている間に、米麹をほぐして塩と合わせる。『塩切り』という作業だ。麹と塩と豆を均等に混ぜるための下準備である。
豆が柔らかく煮上がったら、ここから力仕事になる。
豆を冷ましてムスビの布で包み、全て潰していく。
道具を使っても手でやってもいいが、要するに叩き潰していくのでわりと重労働だ。
ただし、今回は運良く応援を捕まえた。
「ぷち、ぷち、ぷち、ぷち……あっは! 足あったか~い!」
ミスティアがなにしてるんだろ顔で覗いてたので、豆を踏んでもらっている。
当たり前だが、柔らかく煮た豆は踏めば潰れる。なので、袋に入れて踏んで潰していくのが楽だ。
「これで、あの、大丈夫なんです……?」
ヒナも怖々と踏んでいる。
ぶにぶにと潰れていく豆の袋を見ると、
「すごく順調。そのまま続けて」
「は~い」「わかり、ました」
返事がとてもよろしい。
元気に豆を踏んでいく二人に続くために、もう一つ豆袋を作っている時だ。
「ほほう、これはこれは」
そこへサイネリアが飛んできた。
ミスティアとヒナがふみふみと豆を潰している光景を眺めて、そして俺を見て、
「……乙女の素足、弾ける粒、香る汗」
指で丸を作った。
「いくらで売りますか?」
「これは自家用だ。自分で作ってどこへなりと売るがいい」
そのへんの手ぬぐいで豆を一掴み、包んで持たせてやる。サイネリアは無表情でわーいと言って、木の枝に吊るしてサンドバッグよろしく殴り始めた。
本当に作り始めるとは思わなかった。やり方はアレだけど。
「あれ? まだご飯じゃなかった……」
最後に、豆の匂いを嗅ぎつけたのか、千種が現れた。
「みんなでこれを潰してるところ」
「あっ、ほかほか。あっつぉ!」
何気なく渡した豆の袋に叫びを上げる千種。熱いけど食べ物を放り出すわけにもいかず、といった様子で苦悶している。
「ちょうどいいから、千種も潰していくといい」
「ええー」
「ほら見なさい、ミスティアとヒナを。仲間はずれになるよ」
「うっ」
ふみふみしながら「楽しいわよー」と手を振るミスティア。
仲間はずれ、というワードに、千種は渋々と素足になって洗浄用の水でざぶざぶと足を濡らした。
ミスティアとヒナに並んで、豆を踏み始める千種。が、
「あっ、おっ、おおっ?」
なぜかその場で足踏みをするのが、うまくできていない。なぜだ。
ふらつく千種。俺は慌てて目の前に立ち、その両手を掴む。
「落ち着け落ち着け。はい、右、左、右、左、」
「あっ、水が、あっ、豆が潰れ、あっ、あっ、あっ、ひぃ」
千種が俺の両手をがっしり掴んでようやく、必死に豆を踏み始めた。
「よしよし、その調子」
「こ、これいつまで?」
「全部潰すまで」
「にゃるぅ……」
豆を踏み潰していく千種をそうやって手伝っていると、視線を感じた。
ミスティアがちらちらと、こちらを横目で盗み見ている。なんだろう。
「『うらやまし~』」
「なっ、なに言ってるのよ、この羽根付き!」
サイネリアと戦い始めるエルフ。
耳元でささやいた大妖精は、飛んでくる裏拳で粉々に散った。ように見えたが、何事も無かったかのように、俺と千種の繋いだ手の上に、サイネリアが座った姿勢で再び現れた。
「ふふふふふ……質量を持った残像です」
意味深な笑い声を残して、サイネリアは勝ち誇っている。そこでそれやらないでくれるか。
豆を潰したら、塩切りした麹と合わせてかき混ぜ、練っていく。
豆と塩と麹。この三つが味噌の原料だ。これで全てが合わさった。
ここまでで、豆の用意から数えると二日ほどか。麹からだともうちょっとかかっているけど。
いよいよ、大詰め。というか樽詰めだ。
麹と豆を団子を作れる程度の適度な柔らかさにして、ハンバーグくらいの大きさで丸める。
そして、あらかじめ清潔に洗って殺菌しておいた木の味噌樽に、団子を叩きつける。
「とぉうっ!」
ズパァン!と良い音を立てて、ミスティアが豆団子を樽の底に叩きつけていた。
「もっと遠くに置いてくれた方が投げやすいんだけど、だめ?」
「こうでしょうか……?」
ちょっと離れたところで、桶を持ってしゃがみこむヒナ。
「そうそう、それくらい。──ふっ!」
豆団子をすさまじい速さで投げて、桶に叩き込むミスティア。
異世界野球が始まってないかこれ?
「やめるんだ。投げ方にこだわらなくていいから。空気が抜ければいいんだ」
叩きつけて手でぎゅうぎゅうに詰め込み、空気が入る隙間を無くしているのである。
味噌作りで最大の敵は、カビ菌だ。
カビは水と空気で繁殖するので、味噌樽の中に空気が残らないようにしている。
「この方が効率的じゃない。エルフは的を外さないわよ?」
「絵面がだめ」
「……なるほど、文化ねー」
ミスティアはそれで納得して引き下がってくれた。
投げつけたり押し込んだりして、できるだけ空気を抜きながら桶に豆を入れていく。
この時に、豆の煮汁を入れると旨味や風味が濃くなるのだが、水分が多くなるのでカビが心配になる。
今回は温かい時期の仕込みなので、無しにした。念のために。
ぎゅうぎゅうに敷き詰めるように入れたら、表面に塩を振って雑菌を予防し、布と木の蓋を被せて重石を乗せる。
「あっ!」
「あ?」
「……なんか、百貨店で見たことあるやつ!」
千種が指差して言った。
一抱えくらいの木の樽に、木の蓋がされていて、その上に石がズンと置いてある。
実際あるかどうかはわからないが、ありそう。
いわゆる味噌樽だ。
このまま快適な場所に保管して、熟成させていく。
気温は二十七度くらいの場所が良い。つまり、人が快適に感じるのと同じくらいの場所だ。
キッチンを快適に保つことは、そこに保管する食べ物や料理を美味しくするために必須である。
これは料理人のモチベを抜きにしても、科学的に必要不可欠なことなのだ。
「さて、あとはうまく熟成してくれるように祈るだけだ」
発酵の途中で天地返しとか、カビが生えていないかのチェックとかもあるが、基本は麹菌に任せるしかない。
「一年くらいですか?」
「いや、もう夏が近いし、二~三ヶ月くらいからいけるんじゃないかな」
気温が高いと、発酵の進みも早い。熟成が短いとコクが薄いものの、豆の香りが強くて甘口な味噌になる。
「早めに食べたいし」
「あっ、それはそうですね」
うなずき合う俺たちを、ミスティアとヒナは変なものを見る目で見ていた。
「……ここまでしてようやく、食べられるのが三ヶ月後の料理なんだ」
「何日もかけて……これが神の余裕なんでしょうか」
料理じゃない。調味料なんだ。
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※注意書き
書籍2巻が11月17日に発売します。
書籍化にあたって『コマ』を『ヒナ』に改名しました。
詳細は近況ノートにて。
https://kakuyomu.jp/users/nagatanobuori/news/16817330666493053261
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